金子山展望台にて

 びっくり

仕事を終え、友人と金子山へ登りました。

駐車場から展望台まで、友人の話を聞きながら30分ほど坂道を歩きました。

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金子山

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へっこら、へっこら、山道を歩いて行くと、

パッと視界が開けて、西日を浴びる公園と緑の芝生が目に入りました。

「あー、懐かし~ぃ!」

長男の乳幼児期は、この山の麓の星越社宅に住んでいました。

今回来た道とは反対の西側の階段を登りながら、えっちら、おっちら、ここまでよく遊びに来ました。

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展望台

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額に流れる汗をハンカチで押さえながら、展望台に登りました。

広がる屋根、屋根、屋根・・・

小さな窓が詰まったビル、ビル、ビル・・・

凹凸の激しい建物たちが柔らかい陽を受けています。

「美し~ぃ!あー、改めて新居浜に惚れ込んじゃいましたぁ~!」

「え?この新居浜が?まるさんの美的感覚は解らんわ?!」

と、友人は私と一緒に北方面を眺めていました。

友人の話を聞いたあと、私の悩みを打ち明けました。

「上から臨めばこんなに美しいと思えるこの新居浜が、怖いんよ。。。」

「仕事中、あれほど話し相手を欲しがっていた私が、今は人に会いたくないんよ。。。」

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展望台より望む
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金子山より臨む・中央に市役所
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お日様の出ているうちに下りなくっちゃ。

「辞めちゃえ。辞めちゃえ。」

「そうする。そうする。」

と、パンプスを脱いで、きゃーきゃー叫びながらくねくね曲がる山道を駆け下りました。

ストッキングを通して伝わるアスファルトは冷たくって、痛い!

ごろごろじゃりじゃり、脚を刺激する小石に腹を立て、その強い刺激を変にガマンし、飛び跳ねながら車に乗り込む頃には、

「私、もうちょっと頑張ってみる。」

と、友人に告げていました。

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虹   音楽   虹
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金子山より望む
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月を観て想う

満月から新月に掛けての今夜の月を下弦の月というそうです。

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月を観て思う
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自然の風景は、春夏秋冬様々な姿を見せてくれます。

田植え間も無い水田から、カエルの想像以上の騒がしい大合唱が聞こえたり。

垂れた稲穂の揺れる朝に洗濯物を慌しく干したその日の夕刻には、稲刈りを済ませた広い田を背景に洗濯物を取り込んだり。

最近、数件隣の老夫婦の庭が、雑草が覆い茂ったままになっていて、ご夫婦揃って体調でも崩されたのかと思ったり・・・。或いはお子様の元に行かれたのかしら・・・と思ったり。

私の予期せぬコトがたぁ~くさんの毎日です。

地上の具体的な変化は、見たとおり在るがままの姿とは言えなくて、展開が速くて奥が深いようです。

見上げる天空は、満月、下弦、三日月・・・と変化して様々な顔を見せてくれます。

ところが、月は本来真ん丸いのです。本来の天空は来る日も来る日も同じようです。

天空にも変化があるのでしょうけど、私には見えません。

地球上の生物は、私の知りえる時間で生と死を感じる事が出来ます。むしろ、地上は無に近づいているとさえ感じます。

ところが、天空の生と死は確認できません。宇宙の生は永遠なのでしょうか。

例え宇宙でも、誕生があれば、必ず消滅があるはずです。消滅のない誕生は有り得ないのですから。

すべてのものが無から生まれ、無へ還っていくのでしょうか。

宇宙の織り成す時間からすれば、私の知りえる時間はもちろん短いでしょう。

天空の星があくびをなさるとします。それはどれくらい長いのでしょうか。

百萬年?百億年?宇宙規模では、その期間が長いのか短いのかさえも解りません。

宇宙を含むこの世界が、もしどなたかの夢の中のできごとなら、目覚めれば、私たちは宇宙もろとも一瞬の屑になるのでしょうね。

無から無だとすると、存在の事実は何処にいくのでしょう。

どなたかの夢の中の私たち、どなたかの掌で踊る私たち、その時間や空間は、何故ココにあるのでしょう。

いやはや訳が判りません。この世も、そして、あの世のことも私には判らないわ……。

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月は時折姿を隠します

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月は、流れる雲の中に時折姿を隠します。

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