実父、90年の人生を終えました。
この数日、施設の方々の丁寧な介護に感謝しながら母と弟と3人で看取っておりました。
父の亡き骸にしがみつき激しく取り乱す母の姿に痛いほど夫婦愛を感じました。
私、こんな歴史が欲しかった。
私にもこんな未来が欲しい…。
昨夜は生前のはなしがドンドン飛び交い賑やかな通夜でした。
線香の火をたやすことなく伽をするという母を残し静かに眠る父のもとから帰ってきました。
本日は葬儀です。
あいにくの雨ですね。
恵みの雨だと言い換えましょうか。
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実父、90年の人生を終えました。
この数日、施設の方々の丁寧な介護に感謝しながら母と弟と3人で看取っておりました。
父の亡き骸にしがみつき激しく取り乱す母の姿に痛いほど夫婦愛を感じました。
私、こんな歴史が欲しかった。
私にもこんな未来が欲しい…。
昨夜は生前のはなしがドンドン飛び交い賑やかな通夜でした。
線香の火をたやすことなく伽をするという母を残し静かに眠る父のもとから帰ってきました。
本日は葬儀です。
あいにくの雨ですね。
恵みの雨だと言い換えましょうか。
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子どもたちのワクワクの瞬間を見つけることが一つの楽しみでこのBlogがはじまり19年と半年が経ちました。
色々な出来事があり沢山の出会いもあってとても充実した年月だったと思います。
実はこのBlogの存在は、そんな簡単な意味合いではありません。
これまでにもBlogの理由と目的を何度となく触れてきましたが、実は書いていない理由が重要です。
日常においても負の感情をサラリと?書いていますが、それよりも深い真実…記事にならない現実が一番深刻だったりするのです。
Blogを書くのは何故か?
本来の趣旨は、どっちを向いているか分からない夫へのメッセージでした。ココは夫との共有の場所でした。
思えば、不器用な恋文のよう…。
私の日常は夫ほど情熱的でもなければ刺激的でもありません。
秘密の多い夫に翻弄されて涙がこぼれそうな夜があり、誰にも言えない不安を抱えていても、それには触れずに月並みな日常の幸せと 子どもたちの可能性や好奇心に触れる喜びをBlogに記すことが唯一私の楽しみでした。
夫と私の距離感は異例で夫婦生活は苦しいことが多くありましたが、それを超越する子どもたちの思いやりとそれぞれの成長が私の支えであり誉れです。
そんな私のBlogに夫が目を通して悋気している様子は可笑しくもあり期待でもありました。
「あなたの家族よ。あなたの居場所よ。どう?楽しいでしょう。美しいでしょう。十分 一所懸命生きているでしょう。あなたはこの世界の中心よ。」
と。
夫の死後、隠しておきたかった実情が最後の最後に誤魔化しきれずあふれてしまいました。
Blogを書くに至った私の孤独…伏せていた心情をとうとう表に出してしまいました。
今日の楽しかったことを無かったことにしないで、ちゃんと受け留めることは自分を失わない最良の手立てであるように、
それと共に、沢山の涙を流したことや傷付いたことを無かったことにすることもできません。
楽しい思い出、辛い思い出その両面を受け留めることで次の一歩があるような気がします。
今世の課題は今世のウチに!
思えば、夫と私が共に暮らす意味は子どもを育むためだけではなく、今世出逢うべくして出逢った理由が他にあったはずです。お互いが成長するために避けては通れない道だったのかもしれません。
心をおさめる先に「許すこと」「受け入れること」が大きな課題だったのではないでしょうか。
この数か月、涙、涙の日々ですが、
更なるステップアップと幸せの為に終わりとさせて頂きます。
立ち寄ってくださった皆様に感謝申し上げます。
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夫は繊細、純粋、心優しい人です。一家の主としての責任を 精一杯努力してきました。
死の直後、私が肯定的に評価するべきでした。
最後の死に方が全てではありません。最後に明らかになった秘密が全てではありません。
それまで夫が歩んできた、在りし日の家族団らんの姿や必死に働いた姿が、夫の命の在り様を示すもっとも大切なことだと考えます。
自身のメンタルケアはあまり得意ではありません。この数ヶ月の私は、さまざまな感情が嵐のように押し寄せて混乱し麻痺していました。
自分の心を整えることが、どうしてこうも厄介なのでしょう。
特に
夫の死の理由を探してきました。
夫の死は…、
不慮の事故ではなく ご自分で選んだ道なのではないかとよぎります。
孤独感や絶望感や無力感のなかでイチかバチかの賭けだったのではないかと…。本人は、死が唯一の解決策とは思っていないまでも、現状に疲れ果て自分を責め苦しみから逃げたかったのではないでしょうか。
生前の夫の血走った目が怖すぎて極限状態を経た表情は、まさに鬼気迫るものでした。
その心理状態を考えて思い巡らせて…
「母さん、母さん。」と、当日の清々しい夫の顔を思い浮かべてはソコにたどり着いてしまいます。
喪失の悲しみとともに、夫に対する罪の意識にさいなまれます。
「私のせいだ」「私が夫を死なせた」「あの時こうしていれば」「私が夫を鬼気迫る夜叉にした…申し訳ない」と 自分を責めてしまうこともあります。
「どうして?」「なぜ?」という問いかけはまだ長く続くだろうと思います。
この問いへのはっきりとした答えは得られていませんが、
夫の死は夫のテーマの終わりであると…ふと、気付きました。
夫は、もう苦しむことはありません。
未来の無い総ざらい、夫の責任の解放を感じました。
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いつか必ず
目が見えにくくなります
だから今のうちに
美しいものを沢山見ておきたい
いつか必ず
思うように歩けなくなります
だから今のうちに
行きたい場所へ行き
旅に出ておきたい
いつか必ず
耳が聞こえにくくなります
大切な人の声を何度でも聞いておきたい
傍に居る人と語り合いたい
いつか必ず
病気を抱えて生きていくことになります
だから今のうちに
本来の姿を信じ
自分を大切にして
自分の人生を生きたい
いつか必ず
認知が衰えてきます
だから今のうちに
隣にいてくれる人に感謝を伝えたい
会いたい人に会いに行きたい
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また歩き始めないと。
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子ども達の努力と息遣いを感じる時、まさに平和だな〜と思います。
その息吹が荒れることを恐れています。
母さんは、あなた達の存在に多いに助けられています。
母さんの要領の悪さを許してね。
溢れる感情をどうしても誤魔化せなかったのよ。無かったことにできなかったのよ。
穏やかで達成感に満ち満ちていている母さんに戻ることは難しいと思うけれど、また歩き始めるまでしばらく付き合ってね。
お天道様は、私に微笑んでいます。生かされていることに感謝いたします。
合掌
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