おわりに

文のお題 (日替わり)
ブログを書くのはなぜですか ?



子どもたちのワクワクの瞬間を見つけることが一つの楽しみでこのBlogがはじまり19年と半年が経ちました。
色々な出来事があり沢山の出会いもあってとても充実した年月だったと思います。


実はこのBlogの存在は、そんな簡単な意味合いではありません。


これまでにもBlogの理由と目的を何度となく触れてきましたが、実は書いていない理由が重要です。
日常においても負の感情をサラリと?書いていますが、それよりも深い真実…記事にならない現実が一番深刻だったりするのです。


Blogを書くのは何故か?
本来の趣旨は、どっちを向いているか分からない夫へのメッセージでした。ココは夫との共有の場所でした。
思えば、不器用な恋文のよう…。


私の日常は夫ほど情熱的でもなければ刺激的でもありません。
秘密の多い夫に翻弄されて涙がこぼれそうな夜があり、誰にも言えない不安を抱えていても、それには触れずに月並みな日常の幸せと 子どもたちの可能性や好奇心に触れる喜びをBlogに記すことが唯一私の楽しみでした。
夫と私の距離感は異例で夫婦生活は苦しいことが多くありましたが、それを超越する子どもたちの思いやりとそれぞれの成長が私の支えであり誉れです。


そんな私のBlogに夫が目を通して悋気している様子は可笑しくもあり期待でもありました。
「あなたの家族よ。あなたの居場所よ。どう?楽しいでしょう。美しいでしょう。十分 一所懸命生きているでしょう。あなたはこの世界の中心よ。」
と。


夫の死後、隠しておきたかった実情が最後の最後に誤魔化しきれずあふれてしまいました。
Blogを書くに至った私の孤独…伏せていた心情をとうとう表に出してしまいました。
今日の楽しかったことを無かったことにしないで、ちゃんと受け留めることは自分を失わない最良の手立てであるように、
それと共に、沢山の涙を流したことや傷付いたことを無かったことにすることもできません。
楽しい思い出、辛い思い出その両面を受け留めることで次の一歩があるような気がします。
今世の課題は今世のウチに!


思えば、夫と私が共に暮らす意味は子どもを育むためだけではなく、今世出逢うべくして出逢った理由が他にあったはずです。お互いが成長するために避けては通れない道だったのかもしれません。
心をおさめる先に「許すこと」「受け入れること」が大きな課題だったのではないでしょうか。
この数か月、涙、涙の日々ですが、
更なるステップアップと幸せの為に終わりとさせて頂きます。


立ち寄ってくださった皆様に感謝申し上げます。


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責任の解放



夫は繊細、純粋、心優しい人です。一家の主としての責任を 精一杯努力してきました。
死の直後、私が肯定的に評価するべきでした。
最後の死に方が全てではありません。最後に明らかになった秘密が全てではありません。
それまで夫が歩んできた、在りし日の家族団らんの姿や必死に働いた姿が、夫の命の在り様を示すもっとも大切なことだと考えます。


自身のメンタルケアはあまり得意ではありません。この数ヶ月の私は、さまざまな感情が嵐のように押し寄せて混乱し麻痺していました。
自分の心を整えることが、どうしてこうも厄介なのでしょう。


特に
夫の死の理由を探してきました。


夫の死は…、
不慮の事故ではなく ご自分で選んだ道なのではないかとよぎります。
孤独感や絶望感や無力感のなかでイチかバチかの賭けだったのではないかと…。本人は、死が唯一の解決策とは思っていないまでも、現状に疲れ果て自分を責め苦しみから逃げたかったのではないでしょうか。
生前の夫の血走った目が怖すぎて極限状態を経た表情は、まさに鬼気迫るものでした。
その心理状態を考えて思い巡らせて… 
「母さん、母さん。」と、当日の清々しい夫の顔を思い浮かべてはソコにたどり着いてしまいます。


喪失の悲しみとともに、夫に対する罪の意識にさいなまれます。
「私のせいだ」「私が夫を死なせた」「あの時こうしていれば」「私が夫を鬼気迫る夜叉にした…申し訳ない」と 自分を責めてしまうこともあります。
「どうして?」「なぜ?」という問いかけはまだ長く続くだろうと思います。
この問いへのはっきりとした答えは得られていませんが、
夫の死は夫のテーマの終わりであると…ふと、気付きました。


夫は、もう苦しむことはありません。
未来の無い総ざらい、夫の責任の解放を感じました。


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私は生かされています



子ども達の努力と息遣いを感じる時、まさに平和だな〜と思います。

その息吹が荒れることを恐れています。

母さんは、あなた達の存在に多いに助けられています。

母さんの要領の悪さを許してね。

溢れる感情をどうしても誤魔化せなかったのよ。無かったことにできなかったのよ。

穏やかで達成感に満ち満ちていている母さんに戻ることは難しいと思うけれど、また歩き始めるまでしばらく付き合ってね。

お天道様は、私に微笑んでいます。生かされていることに感謝いたします。

合掌



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素顔のまま


苦しいできごとの中にさえ
自分を育てる何かを見出だせる人に


自分の愚かさや絡まる苦しさに手を合わせ
頭を垂れる人に


体は誰かを魅了するためではなく
人の悲しみを受けとめるために


素顔のままに


それらの想いを深く
日々深く
手を合わせてゆく人になりたい

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赤い実


南天、千両、万両…


庭の赤い実を眺めながら、お正月飾りはどれにしましょうか〜
と、考えている自分がいました。


自由になったはずなんです。


自由になりましたが、幸せに行き着くはずの結末が、こんなにも苦しいとは想像もつきませんでした。


離婚をしないで家族を継続させることを決めた時、散歩をしながらこのBlogの構想を練りました。
Blogを始めるにあたり、それぞれの尊厳を大切にしこの先は幸せが待っていると信じていました。
当時、フラッシュバックや夫婦生活を継続する苦しさを推し量りもせず、まして、銘々のその目的地はわかりませんが、その先は、決して悪いものにしないと心に決めていました。


夫のピュアで砕けそうな心を理解し攻撃性と女好きを認めて、その実情を隠すことで新たな道が見えてくると信じていました。
そのためには、
まず夫を変えることを諦めました。
それは、夫に執着しないで自分を良く見ると言うことです。
自分はどう思うのか?どう感じるのか?何をしたいのか?自分の心の声を聞きながら自分を守り、自分らしく生活する為のBlogでした。


この20年近く、押し込めていた感情を文字で言語化するようになりました。
美しい物を見に出かけるようになりました。
スイミングに夢中になりYouTube画像を見ながら4種目泳げるようになりました。
書店で見つけたテキストとネットの過去問題で保育士資格を取得しました。
着付け教室に通いコミュニティを増やしました。
クリエイターとして某施設のブース出品、minneやメルカリなどのハンドメイドマーケットプレイスで活動を始めました。パステルカラーや可愛い柄の入った、子どもの入園・入学準備にぴったりなアイテムを主に出品しています。


赤い実が次々実るように、
自分で選び、自分で決めて、
私は夫の保護から飛び出しました。
それはわがままじゃなくて、自分を大切にし自分を生きているということです。
シッカリ私の中に私がいます。
夫に明け渡したりしないで私の人生を私が生きています。
そのはずだったのです。


その自分ファーストの末路がこんなにも苦しいものになるとは…
予想だにしない夫の死により溢れる感情を誤魔化すことができません。
隠してきた心情を無かったことにはできませんでした。


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記憶力や体力の衰えとかを感じると自分が楽しんでいる哀愁や慈しむモノは将来どうなるんだろうって思う時があります。
例えばこの家。
夫が去り私がココを去ったら見事に更地になるんだろうな〜って思うと切なく胸に迫るものがあります。

庭の木々に赤い実が次々と成り、その赤い実が天空と柔らかく共有している光景を美しく思っていたら、あっという間に鳥についばまれて裸になりました。これまた良し💖自然の摂理ですよね。
この生業が面白いと思い、この赤い実をBlogに残しておこうと思いました。
苦しいこともこの生業の一つかと…。


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