生きた証

週に3回職場に出入りしているクリーニング屋のおっちゃんは、毎度、調子の良いコトを言って一息ついて帰る。

私たち事務員は、掃除に専念している姿を見せつけながら朝の挨拶を交わしている。

いつもと勝手が違う引継ぎの様子を見て私の退職を察した彼が、いつも以上に調子付いて

「退職するん?清潔さと愛らしさにぞっこん惚れこんどったのに残念じゃ~。急だね。お疲れさま。」

と、言った。

『清潔さを一番追究している方にお褒めをいただいて光栄です。』

と、はじめてまともに会話を交わした。

社交辞令であることは、重々承知だけど、嬉しかった。

彼はいつか私を忘れてしまうでしょう。だけど、私は、退職間際の彼の言葉掛けを忘れることはないでしょう。

泣く顔、喜ぶ顔、困った顔、頑張った顔は、私がここに全力で生きた証。

彼が見た私の顔は、断片的なものかもしれないけれど、私を見ていてくれたんだと思うととっても嬉しかった。

丁寧さと正確さと速さで資力を尽くした。誠心誠意の仕事ぶりが生きた証。(愛らしさなんてちっとも考えてなかった.笑)

誰もそのところを評価してくれない。

それでいい。

私の存在が、私の判断が、私の声が役に立つことがここでの喜びだった。

『邁進しました。四十代後半の良い思い出ができました。お世話になりました。』

と、会長と奥様にご挨拶をして、本日職場を去った。

誰もが一冊の本になるような人生を送るものらしい。

その人生を振り返ると、主役じゃなくって、かすみそうのように主花を盛り立てる役の花もある。それは必要な存在だと思う。(枯れ木でない方が良いように思うけれど・・・.笑 )

私にも感動する場面が一つや二つはある。

瑞々しさを通り越したほおづきにも、生きた証があるんだよ。

ここに そっと 書き記しておこう。
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