16年に亘る過去記事を読み直し、数々の出会いを思い起こしました。
駄文で恥ずかしいけれど、素直な気持ちが綴ってありました。
四股ふんでドスコイさながら…体当りしてくる子供たちと向き合う日々を書いています。
初期、幸福のアイテムを探しに夜な夜なネットサーフィンをしていた事も触れていました。
どこを探してもお手本となるものは なかなか存在しないと、つぶやいています。
人それぞれ 「 幸福を感じる力 」 は違いますから探し当てたところで吸収できるかしら?参考になるかしら?どうでしょう。
置かれている環境や立場、条件などの違いもありますからね。
単に晴れて良かったと思うか、雨のほうが良かったと思うのか、各人各様ですしね〜。
人は自分で立ち上がるしかない。。。
これまでにもBlogの理由や目的を何度となく触れてきましたが、実は書いていない理由が重要です。
日常においても負の感情をサラリと?書いていますが、それよりも深い真実…記事にならない現実が、実は一番深刻だったりするのです。
私は、傍目には穏やかであっても些細なことで心のバランスが崩れることがあります。ひたすら伏せてきた事実があり一人で抱えるには苦しいものですから…。
負の考えが占めると、エネルギーに溢れている家族をも巻き込み 陰の状態に転じてしまいます。
夫の優しさや親の愛を求め続けて、それが敵わないとなると…爆発的な負の考えを持ってしまいます。
かつて子育て中、誰にも助けを求められずに生きる気力を無くした私は、見ず知らずの方が声を掛けてくださったお陰で何とか負から正へと転ずる事ができ、今を生きています。
一家心中でもしそうな雰囲気だったのでしょう。
「笑顔の向こう側に涙が溢れていることを誰も気付いてくれないのね。」と言う初老婦人の親切な眼差しを 今でも忘れることはありません。
❝魔が差すことがある❞と、それを知るだけで済みました。心が壊れるほど傷付いた私は自分や家族を消さずにすみました。
今ようやく そこにふれる余裕が持てました。
初老婦人の優しさに触れ
本当の優しさは経験から生まれると気付きました。
静かな時間、温かい言葉、それがどれほど尊いものか傷付いた人だけが見える景色があるのです。
心が壊れるほど傷付いた人は人の痛みを理解する大きな力となります。
弱さを知っている人は新しい優しさを生む人です。
誰かを救う心になるのです。
生きていく上で、自分で自分の機嫌をとる「 幸福を感じる力 」 は、非常に大切な事だと思いますが、出逢いと優しさのご縁に絶大な力を感じます。
心が壊れるほど傷付いた私、いつしかご恩返しをと胸に秘めております。
心に魔が差すような隙を見せることなく、ただ実践有るのみ!
心が壊れないように幸せの感度を高める必要があります。
その為に、与えられている世界で私なりの“心の満たし方”を綴り責任ある行動を取ることを一念発起しました。
目的は別にして…このBlogに幸せを遺すこと!
心のバランスを整えながら、まさしく絵に描いたような幸せを実現し、夫に捧げているのですから着眼点と実行力は素晴らしいと思います。
自画自賛です。(笑)
Blogの中はいろいろな立場の大人が集い、1人じゃないと思えます。
いろいろな話を聞くことで心強くもなりました。
心にゆとりが生まれることで新たな情報が入ることも知りました。
皆様、幸せの感度を高めましょう。
昔の記事が懐かしく、私はその粗末な文面が好きです。ですが、手を加えるならまだしも、ほんの一瞬の迷いで削除してしまわないとも限りません。
負の感情を心のうちに認め、
出会う人と共にぼんやりと歩きながら、幸せの時間を過ごして行こうと思います。
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