快音



わずか5ヶ月だったが、母子生活支援施設に勤務した。



施設閉鎖に伴い、後半の仕事のひとつは、データ化だった。
戦後まもなくから始まっているこの施設の入所者記録をPDFにおさめた。
朽ちて赤茶けた紙を淡々と複合機に通していると 粉塵で機器が止まった。
文字が自然と目に入ってくる。
その記録は、
事実は小説より奇なりを絵にかいたような人生だ
と、締めくくっていた。



記録文書を読み進めながら悲喜こもごもを想像すると 
その人生は恐ろしいほど波乱万丈だった。
あらすじは、話を盛らなくても大作映画を上回っている。
だが、それを映画化したとしても…
見終わった観客は釈然としないだろう。
努力が実を結ぶことは、ごくまれなのか?
記録されたそれぞれの人生に疑念が残るし、腑に落ちない!
その後の人生はどうだったのか?



住む所・子育て・職、それらの目処が立ち退寮していく母子を この施設は数百人送り出した。
退寮すれば片が付いたとは、言い切れない。
その後、社会に馴染めたのか、幸せになれたのか…
悲しいだけじゃない。嬉しいことをいっぱい見つけたのだろうか。
先だっての退寮者の困窮を身近に経験した私は、身につまされるものを感じてしまうのだった。



私達は残された時間、利用者の支援のみならず退寮者の支援を行っていた。
半年前に退寮をしたA親子から相談があった。
高額な国保料の請求で来月どころか明日の生活が危うい状況だった。
私達は、
こんなはずでは無かったーーー!?
自分の身に起こっているかのように切実につらくなった。
何故なら、
主が退寮した折は住む所が決まり、職・子育て・金銭面等、先々の見通しが立っていた。
故.叔父の遺産を相続し、生活費はもちろんのこと児童が大学を卒業し社会人になるまでの学費をも保証されているはずだった。
ところが、後ろだてを申し出た偽善者Mの介入により、すっかり負の遺産となってしまったのだった。




施設閉鎖まで、あと10日! 
寮長の指揮のもと、早急にA親子が不安を払拭できる道を考えた。
Aさんと寮長と私の3人でMのもとにお願いにあがった。
A親子の生活設計の立て直しのご協力を頂くためにあくまでも低姿勢で!
「お願い」といえば聞こえは良いが、ここで一勝負!と、乗り込んだのだ。



私たちは以前から、A親子の意思を顧みることのないMの命令口調や、マウンティングの背景を懸念している。
やはり、
この日もMは、開口一番、自分の優位性を誇示していた。
そのMに A親子の生活の困り具合を伝えた。
ご尽力を頂いたが、現在この通り…。
今後、A親子の相談窓口は、庁舎の担当課になること、生活が困窮しているので法的に更なる調べがはじまるだろうことを伝えた。



すると、
Mは何故もっと早く頼って来なかったのかと Aさんを責めはじめた。
Aさんの健康と親子の将来を如何に心配しているかということと、自分の苦労話を細やかなリアクションで流暢に長々と語る。
そして、
「よっしゃ!乗り掛かった舟、相続で発生した手数料の一部(領収書なし分)は、人助けの旅行をしたと思えば安易なことだ。旅費分を返す。」
と、Mは自ら提案した。



生活困窮打破作戦は大成功だった。
A親子の生活がしばらくは頻拍しないだろうことを祝って、車中、3人で万歳をした。
四半世紀一番の見事なヒットだった。
快音が胸に頭に響いた。



おーい!そんなんで納得するんかーーーい!
と、ここまで目を通して下さった方は 思われるかもしれないが、
これが私たちにできる精一杯のことだった。



私たちは運が良く 私たちの引き際は痛快だった。

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快音」への4件のフィードバック

    • とんびさん、覚えて下さっていたのですか😳
      2009年3月のBlog記事でした。
      (白モクレンは青い空に向かって八部咲きだ。綺麗だ。 一緒になってわっはっはっはっ!と空を見上げた。)
      と‥‥‥
      ワタシ 若いねー☘

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    • 一昔前のことでしたねー(笑)
      息子に「オカンは破天荒!」って言われてた頃ですよ。根っこは、そのまんまなので  次の職場も その勢いを取り戻しつつ頑張ります。

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