尊敬し、アドバイスを求める人を挙げてください。
アドバイスを求める恩師はこの世でお会いすることが叶いませんが、唱えることにより自然と智慧を頂いております。
私の幼児期は、自分の気持ちを上手く言えなかったり表現できなかったり、母とのコミュニケーションは希薄でした。
母から心無い言葉が飛んでくるのは日常茶飯時で⋯両親ともに疲弊していた様子でした。
母の思いは私には伝わらず、私は親を困らせる子どもだったようで⋯言うことを聞く気配がない私に母が怒りをつのらせていることを私は敏感に感じていました。
50年前そんな環境下、父と母の私への視線…態度や考えが…大きく変わりました。
10歳の私は、生きやすくなりました。
それがどうした理由なのか知る由はなく、ただ、書棚に黒表紙の書物がズラッと並んだことは見て取れました。
後に、谷口雅春先生の著書『生命の實相』が関係していると知りました。
私は自分の底しれぬ穴を埋めるように、10代半ばその書物を読み耽りました。
いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝する谷口雅春先生のお考えにふれました。
谷口雅春先生が創設した「生長の家」と称している組織は存じませんが、先生の書物は私の家庭を明るく変えました。
人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。
つまり本当に存在するものは神と神のつくられた完全円満な世界だけであるという「唯神実相」の意味を毎回深く考えさせられています。
自分が思っていること、いつだってそうなります。そうとしかなりません。
実は、今までもずっとそうでした。
ならば、どのような行動を起こすことが良いのか…
唱えるとき、
物事の本質を考えて、全ての物や事に感謝する時、観えてくるものがあります。
念ずることは現れます。
四国と言えば遍路巡りが盛んです。
実家近隣にも御大師堂があり毎月集まり日常的にお経を唱える環境にあります。
常に弘法大師空海とともにあるという考えで読経をしております。
そのお経の一つには、悟りの境地に至るための教典として「般若心経」があり、仏壇やお墓の前で唱え、先祖供養として遺族の心を癒す効果もあると言われています。
唱えることで悟りの境地に至り徳を積めると考えられておりますので、その習慣は有り難いお導きです。
嫁いだ先も真言宗ですので、私の生活に浸透している宗教です。
様々な正しいとされる宗教は多くありその真理は一つと捉えている谷口雅春先生の考えに甘んじて、私は真言宗の読経をしながら、そのお教の真理を谷口雅春先生のお考えと重ねて融合し学ばせて頂いております。
思春期から壮年期まで、
神仏を拝む姿は見覚えていても、神様がおいでになるのか いらっしゃらないのか それを考えようとせず無神論者に等しい部類の私でしたが、
時を経て近頃は、
実生活は、信仰心ではなく複眼的な思考法でどのような行動に移していくかということを考えています。
別の方向・角度からも見つめてみること、つまり、より正しい自分なりの考えをもち本質を見ようとすることが大事だと考えています。
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私は幼少期の苦痛を最近ようやく言語化し表現できるようになりました。
『心を通わせる大切さ』はその一つです。