石鎚の大〇流し

夕方、急に土砂降りの雨となり、

ドン!の一撃。

何事?!と、私はビックリ!!

続く、ゴロゴロドド~ン!の音でようやく雷であることを認識しました。

その過激な雷の後、照明がパッと消えて、長い長い停電となりました。

停電の中、晩御飯を作っていると、白いタイル壁が薄紫に染まったかと思うと 窓から夕日が射し込み、冷蔵庫や壁がだんだん赤く色付いてきました。

手を止めて、部屋中をぐるりと見廻しました。

その数分はとっても眩しく綺麗でした。

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仕事から帰ってきた夫が

「おぉ!石鎚の大糞(おおぐそ)流しじゃ~。梅雨が明けるぞ!」と。

下品でごめんなさい。

「大糞流し」久しぶりに聞きました。

嫁いで間無しにお百姓さんから聞き、エ?と聞き直したことがあります。

「○○流し?」

この近隣は、梅雨明けの頃の叩きつけるような雨と過激な雷と即の晴れ間の見事なマジックアワーを「大糞流し」と言うようです。


丁度、梅雨明けの頃、7月1日から10日迄 石鎚山の祭礼「お山開き」が 行われています。 その登拝者は、数万人を数えると聞きます。その騒がしさにお山の神様がお目覚めになり 大あくびをしている最中の大○とも言われています。

この地域に残る昔からの言葉って、リアルで豪快ですね♪

事実をどう捉えるか


朝から土砂降りで、夫は仕事が休みです。
私は、いなびかりを時折感じながら これみよがしに珍しく床磨きをしていました。
手をぬぐいながら
コーヒー飲むぅ?♡
と、誘って いっぷくです。


ふと、Blogの下書きが目にとまりました。
母子生活支援施設に勤めていた頃のものです。
なんとも真剣な私です。

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「カウンセリングや傾聴をしていて、建設的な解答はできなくても 聴くことはできるでしょう。“聴くことは待つことです”」

と、上司がおっしゃった。
「言葉を誘導したり、言葉を迎えに行くことは してはいけません。言葉を迎えにゆくことは、聴くことではありません。最悪のかたちになります。」とも。
相手が次の言葉が出やすいように私は相槌を打つ。
私は相手の言葉を誘導する力はない。相槌しか打てない。この時、「来る人を単に迎えるのではなく、来る人を迎える為に、自らが来る人の元へ行くのです。」
と言うことはどういうことだろう

懐に入って、聴き 共感し 受容するということ。
その実践はまだまだ足らない。上司の言葉を繰り返してつぶやいてみた。
“「言葉を迎えに行く」という行為は、最悪!”
うぅーむ?
この場合
・ただただ聴いて 相手の言葉を待つ。
・相手の感情を引き出す。
・相手の事実を捉える力をアップさせる。
・全て、相手が自分で考える!
というニュアンスなのかな?

難しいけれど、知りたい!わかりたい!会得したい!


土砂降りだから、直ぐそこに夫がいて
「また、パソコンかい!」と、嫌味を言います。
こんな天気だからこそ、さも仕事をしているかのようにファイルを開き、
今回の眠っていた駄文に気付いたのでした。

自分が真摯に取り組んでいた残像を垣間見てBlogを投稿しました。
向き合う人の心の機微を受けとめていた自分が居たなんて…

土砂降りをどう捉えるか‥‥
なんとなく幸せ♥


そろそろ
紫陽花の花アップしようかなー♬
夫、出かけないかしら?どうかな?