私、堪えました。
堪え通しました。
私のトキメキはささやかな日常にありますが、
夫のトキメキポイントは秘密を繰り返すことのようでした。
夫の浮ついた遊び心なんて取るに足らないこと、私たちには共に育まなければならない使命が有るのよ…
と思い直して、見事に堪えました。
しかも、夫に嘘をつかすこともなく夫を口頭で責めることなく、正しさを強要することもなく、
私は、歯止めの効かない夫の性を受け流してきました。
胸に突き刺す痛みがある時こそ人間を問われている時と考え満面の笑顔で受けて立ってきました。
4人の子どもたちの心の安定と可能性を見つけることが何より大切でした。
家庭を崩すことで子どもたちの心に影を落としてはいけないし、金銭的な苦労を今以上に掛けてはいけない一念で、無かったことにしようと決めて自分の心を誤魔化し続けました。
心でつながる家族をめざそうと切り替えて自分磨きに勤しみました。
夫と一緒に生きるために 子育て、家事、家業の帳簿付け、運転資金の調達など目の前の課題にがむしゃらに邁進してきました。
自身でコントロールできない夫の特有の体質…
歳を重ねるにつれ芯がほぐれ小さく柔らかくなることを待っていましたが、適切な診療を拒み続け、まだまだ活力がみなぎり元気にあふれていました。
本人は大きいことを自慢しているかのようでした。
何故大きさに拘るのでしょう?
私はそんなことよりも、五つの当たり前をさらりと表現してくれることを願っていました。
それこそが前戯でありその表現が無ければ心が動かないことを伝えその日を待っていました。
- 感謝の言葉を欠かさない
- 名前を呼びあい一緒に笑う時間を持つ
- お互いの話を最後まで聞く
- 小さなスキンシップを忘れない
- それぞれの時間を大切にする
40年間「こうしてくれると嬉しいな」って夫に五つのお願いをしていましたがそれは単なる一方的な提示だったのですね。
「ハン」とも「フン」とも取れる夫の返事は…。
私を舐めていたのですね。
40年前の新婚当初、夫は寡黙で目を合わすこともなく私を雑に扱います。甘えることができません。いくら未熟な私でも何かを感じます。
「あなたの心が私に向いていないことは感じていますよ。」と、伝えたことがあります。
「ワシはアンタとの生活、けっこう楽しいけどの。」と、的を射ていない返事を思い出します。
(うやむやにしたい時の決め台詞「何をいよんぞ!しっかりアンタに夢中じゃ」と、当時はまだ言えず嘘を付けない人でした)
第一子のワンオペ育児で戸惑いながら育児に奮闘していた頃、聞いた話に振り回されることに嫌気をさしていた社宅生活でした。
「新築!土地を買い 家を建てましょう。」と、夫に提案すると
「エエのぉ。アンタの発想は面白い!」と、奮起していましたね。
私は気に留めない振りをしていましたが、社宅の奥様から耳に入っていました。
「この2年間毎夜、旦那様の自転車が会社帰りから数時間、ある居酒屋に停まっていることをご存知ですか。一緒に飲もうと夫が幾度か居酒屋に立ち寄ったことがあるのですが、旦那様の姿は一向に見えなくて、そこに隣接するアパートに通っているのでは?」
と。
残業続きの夫を疑うこともなく、浅はかにも注意するべきサインに気づかずに見過してしまったのは、私が未熟だったから、そして、理由のわからない不安と子育てに追われ心が機能不全だったから…。
社宅での耳打ちが本当だったかも知れないと気付いたのは、更に後でした。
30年前、双子の出産を終えて4人の子育てに奮闘していた頃です。
「おるか!」
と大きい声で、不意に現れ続け招かざる客から必然的に招き客となった憎めないおっちゃんがおりました。
毎夜、我が家に遊びに来て夫と呑み交わし、子どもとよく遊んでくれました。
子ども達は「ヒロミさん!」と懐き、背中や肩、胸に飛びついて笑い声が絶えませんでした。
その方が亡くなる二日前のこと。
「明日、呼吸器をつける…」と、病床から絞るようなむせび泣く電話を貰って、、、
「まるさんは騙されとるぞ。これからをよく考えろ。」と。
気づいたのです。
3年間、身を挺して夫をリビングに繋ぎ止めてくれて私の家庭を守ってくれていたのでした。
ヒロミ氏が折角明言してくださったのに、この時の私は尽力してくださったヒロミ氏の身を思うと継続する道しか思い付かなかったのでございます。
思い返せば「家庭に目を向けろ」と夫を叱咤した人はその方だけです。
そのご好意も虚しく、夫は隙間を縫って北の方へ自転車で向かったり、女性が運転する車にイソイソ乗り込んで巷へ繰り出しています。
オムツを換えている扉向こうからヒロミ氏との会話が聞こえていたこと。
「ワシが〇〇の入団を持ち掛けたばかりにオマエを狂わせた!その責任を感じとる」とか…「その旅行に仲居として連れ込んだあの〇〇か?」と言うヒロミ氏の言葉…。
それ以外にも幾つかの内容を意を決して夫に問いただすと
「言い寄られたら受けないかんかろが。あんなんはオナゴじゃ。あんたは天女じゃ。」と。
さらに言葉を変えて
「トイレに行きたいとき簡単に入れる方に走ろが、手のかかるのは…」
そして、まもなく相手の結婚で終結すると言います。
なんという言い草!
あなたはいつも自分本位です。
私はあなたに大切にしてもらいたいとずっとずっと求めていましたよ。
あなたはどっちを向いているのやら…。
「では、あの件も?」と、新婚当初から十数年にわたる数々の情報や不思議に思うことを尋ねると…うつむいていた夫は上目遣いの視線でニヤッと。
その表情はとても気味が悪いものでした。真剣に塞ぎ込んで欲しかった。
またも注意すべきサインを見過してしまったのは、私の思考が停止していたから、家計の不安と子育てに追われ心が機能不全だったから…。
「何いよんぞ。ワシはシッカリアンタに夢中じゃ!」と夫。
夫は私から去るつもりはないと言います。
私は苦渋の決断をしました。
悩むならやりきってみましょう!
と。
またも
20数年前、このBlogがはじまる前のことです。
「飲むことを楽しんでいる」と言っていた夫の浮気の決定的瞬間を見てしまいました。
「おぞましい!醜い!汚らわしい!その手で私にふれないで!」
と、夫を責める思いと女性の喘ぐ声を払拭することは長年容易なことではありませんでした。
「求めるからしてやっただけじゃ。」と、全く反省のない夫の態度に怒りよりもさげすみを覚えました。
夫への関心が薄れて注意すべきサインを見過していたのでした。
現状を認識するには私は未熟でした。
夫の願い通りの生活空間を心掛けているから大丈夫!と自分に言い聞かせ、平常心で子どもと向き合うことを大切にして疑いや恨み辛み哀しみの感情は蓋をしていました。
この感情は無意味だと…心情から外れたことは見間違い.勘違いと…頭も心も体も余裕が無く機能不全でした。
夫は血を分けた家族!息子のよう!夫の存在の意味付けを変えることで家族を守ろうと思いました。
本当に大切なことは夫を変えることではなく自分を取り戻すこと!
体に触れることは無く心でつながる家族をめざそうと切り替えて夫に執着せず自分磨きに勤しみました。
自分磨きと言いつつも夫の助けになることばかりを考え自分の心を夫に明け渡していることに等しい日々でした。
子どもを育てる同志という関係性だけではなく、
家庭を継続するに於いて夫への私の役割がきっとあるはず…と、そっぽを向くことができなかったのは事実です。
夫の理屈からすれば私の役割はとっくに終えていたのに…大切な人だと置き換えて日常は過ぎるほど手がってきました。まるで赤ちゃんをあやすように。そこに確かにロマンスはありませんでした。
その後も夫の浮ついた夜遊びは留まることを知りません。
情報が全くないわけではありませんが、まさか…毎回、全力で気持ちを寄せているとは思っていませんでした。
3〜4年前、私達二人の還暦祝いとして子ども達から二泊三日の旅が贈られました。
当初この旅行に反対だった私を夫は諭しました。
結婚後はじめて二人で出掛けることに熱意を示す夫と話し合い、
私達夫婦は信頼と尊重を取り戻しこの旅を再構築に繋げようと共に考えました。
特に私は、夜の営みは大切な妻の役目だったと反省して…
ですが旅の真っ最中、夫は綺麗な景色を観るのが苦しい様子…私に熱をあげているように振る舞っていますが言動一つ一つが心ココにあらず、スマホの中に何かを隠している気配…まだ秘密を持っていることを確信し、私はタガを外すことが出来ませんでした。
その深夜、目の前の美味しいものが手に入らないことに気づいた夫が苛立ちからか墓穴を掘りました。
夫がスマホの電源を入れたとたん、とどまらないLINEの着信音。
間なしにスマホから発するヒステリックで感情をコントロール出来ない女性の鳴き声を聞いてしまいました。
「このシツコイのを何とかしてくれ」とスマホを差し出す夫。
その鳴き声のトーンは、25年前、固定電話の留守番メッセージから流れる女性とよく似ていました。
当時、FAX受信専用に切り替えた後に相手の結婚で5年続いた関係は終わったと聞かされていました。
ところが、相手の離婚で5年前に再熱と言います。
なのに私は甘い!
「仏の顔も三度まで。孫を含めた私との生活が大事なら、ご自分の手で綺麗に清算して下さい。それまで私に触れないで。」と私。
互いに許し合い静かに人生を整える門出になることを願っていましたが、スマホを妻に見せたこの時が夫の出発点の決意表明で、それに反して妻の私はオアズケ!
二人の心は大きな開きがありました。
それから3年と5ヶ月、
私は、夫がその課題をクリアする日を待っていました。
何故、待っていたのか?
夫婦の仲良い姿が、子どもたちにとってどんなことでも乗り越えるパワーとなると信じていたのです。
歳を重ねてなお強く思うのですが、違和感なく空気みたいに一緒の時間を過ごす関係に依存していたのです。
自分から手放すことができないのですよ。🧐
そして今回、新たな人とのW不倫の生々しいメール履歴を見てしまいました。
肌を重ねるってことは心を寄せ合い慈しむ心が通うことなのですね。
私、40年よ。長く深く家族を大切にしてきました。その年月をかけても自分は一人の男性を幸せにすることが出来なかった状況を目の当たりにしました。
これまで一度も謝罪の言葉は無かったけれど、
「何いよんぞ。ワシはシッカリアンタに夢中じゃ!」
とその言葉にあぐらをかき、体を許さない妻であるにもかかわらず時折の寛大な眼差しに浮かれ、私は老後に向けて共に手を取り合って協力していく姿勢を示していました。
夫の不貞行為を隠し通して生きていくつもりでしたが、夫からすれば伏せる必要が無いほど好きな人と寝るその行為こそが夫の正義だったのではないかと…。
夫の真意はどうだったのでしょうか?
夫の死後に生々しいLINE等を見てしまったことで私の心は崩壊しました。
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