電子音

「ワシは構ってもらいよんじゃないんぞ。構ってやりよんじゃ。」

と、友の誘いをメールで受けた夫は玄関先で不機嫌そうに言い放って、イソイソと出掛けて行きました。

晩御飯を拵えていた私は、夫の言い草に笑えて 装っていたトン汁をこぼす所でした。

随分前に諦めていますよ。言い訳しなくても独りじゃ生きていけない寂しがり屋だって承知してますよ。

夫の祭りの楽しみ方を見る限りでは、途轍もなくエネルギッシュな人と感じるけれど 日頃は至って地味な人です。

趣味は、新聞の読破と 酒を交えて友と語り合うことなのですから。

掛け時計の電子音メロディーが流れ始めました。6時だ!

毎正時に安らぎのクラシック曲やジブリ曲が順に流れ、飾り振り子が華やかに動き出すけれど、こんなにもしみじみと聞いたことはあるかしら。

この曲、アメイジング・グレイス 好きだなー。

テゴ

夫のテゴに来ている。

久しく手伝っていないので、部材を持つ手が、脚立に股がる足が、こわばっている。

「高いとこ平気な妻で良かったね。」と言うと、

『のせたら何処までも上るけんのう。』だと。

まるでアホやんか。

そりゃ~、ワタシうぬぼれで生きているようなもんだからね。

テゴ

花と涙と娘と彼氏

 

娘の結婚式を終えた翌日、午前9時頃松山のホテルを出て 少々の混雑があったけれど昼前に新居浜へ帰ってきた。

次男の運転する車中、汽車の時刻表を気に掛け家路を一番急いでいた末娘は、久しぶりの我が家だと言うのに帰ってくるなり何処かへ出掛けて行ってしまった。

私の黒留袖や末娘の振袖、そして次男のスーツをそれぞれの洗い屋さんに出しに行ったあとは、

披露宴で貰った花を生けながら…

あー、長女が嫁いで行っちゃった。静かになってしまった。

と、しんみり…

夫と二人、「お早う」「寝るで…」と朝晩の挨拶をする程度の生活がはじまるのね。

と、力の抜けたようなため息

そこへ、なんと なんと❗末娘の彼氏さんが遠方より参上❕❗

道理で 娘の行動が府に落ちる!

末娘は期待を裏切らないわ。いつも楽しい気分にさせてくれる❤

その彼、安心するお顔❗ なかなかエエ感じ❗

と、思いきや 夫の無口加減はエスカレート。

長女の彼氏との初対面とは、ちょっと違う。

あらら、ダブルで気落ちしているの?

風呂上り

「年末が近くなると長女が来るわ。新居浜の忘年会に数々出席するって言ってたし……。」

それを伝えても元気が無い。

「元々人間は生まれてくる時も死んでいく時も一人なんよ。死ぬまで元気に一人で生活をせないかんでしょう。ほらほら元気出して!」

と、言ってしまった私は意地悪なのかしら?

私が居るでしょう!

 

~☆~

よし

やったー!

家業の確定申告 完了!

やっと、重責から開放となりました。

今夜は、あっちこっちの記録をこのBlogにまとめて 夜遊びが過ぎましたわ。

落ち着く先は、やっぱり古巣ね ウインク

さぁー、布団へまいりましょう。

パソコン

結婚はママゴトじゃ無い

「結婚は、ママゴトじゃ無いんぞ。」

と、ご挨拶にみえた娘の彼氏に夫は言った。

夫の言葉が胸に響いた。

長男が嫁を貰うと言った時、「まあー、ガンバレ。」の一言だったのにね。

娘が嫁ぐとなると、ちっとばかし違うみたい。

夫は右変形性股関節症の持病があり、数年前から、とんぷくを常用しながら実際厳しい状態の中、肩を揺らし腰を屈めて仕事をしていた。

今春、疼痛がなお激しくなり、病院を変えてみると組織の損傷はひどく右脚と左の差は5cmほどもあり、即日手術(人工股関節全置換術)と診断を受けた。

7月の手術前は、驚くほどのスピードで体重が激減し車の運転さえもままならず、朝は転げながら布団から起き上がり、それでも這うように仕事に励んでくれた。

術後二ヶ月経った現在早々と退院し、疼痛は無くなったとはいえまだまだ自宅療養が必要なのに足に負担の掛かる仕事をしている。

このような姿を見るにつけ‘ これが夫の責任の取り方なんだ ’と思った。‘ これが夫の家族への愛なんだ ’と気づかされた。

「結婚はママゴトじゃ無いんぞ。(覚悟は有るんか?)」

ずっと昔。
産後の子育てが大変な時、必要としている夫に力になってもらえなかった。
守って欲しいと思っているのに安心させてくれなかった。
『父親になるって、自分の事よりも家族の為に生きるってことでしょう。』と、切実に訴える私に、
「ワシが楽しけりゃ、家族も幸せじゃ。好きなことをして何が悪い。」と、夫は理路整然と言ってのけた。
その後も夫は、大手企業のサラリーマンを勝手に辞めて全く専門外の個人事業主となった。
家族を思っての決断であることを信じ、私は夫の良き理解者となるよう努めた。私は、母として妻として当然の事を成し遂げようと必死だった。
子供と過ごす時間が何よりも大切な私にとって最適な職を見つけた。早朝は新聞配達と乳酸菌飲料のお届けをし、昼間は時折、夫のテゴをした。(テゴと新聞配達はその後も十数年続いた)
その当時、全てに余裕が無く、収入の安定や心の安らぎなど家庭に安心を求める日々だった。
私がどんなにハツラツと頑張ってみても子供たちの手本にならず、心は ふわふわ ゆらゆら頼りない。
「家事や育児は母親のすることじゃ!」と考えている夫に『お父さん!ただの同居人にならないで。』と、心の内で何度も叫んでいた。
ある日。
『あー、この人は変わらないわ。\(◎o◎)/』と、諦めた。
夫が7歳の時に亡くなったお義母さんは、好きなことをして元気ハツラツと生活して欲しいと子供に望んだはず。
私は、夫の母親になろうと思った。そうすれば、怒ることも無い。夫を子供だと思うようにした。
そんな風に諦めたはずなんだけど、子育てに協力の無い夫への恨み辛みはなかなか消えるものではない。
夫の留守中、夜中に泥棒が入ったことがある。懐中電灯の明かりが怪しい動きで天井に映るのを私がどんな思いで見ていたか・・・。なのに心配すらしてくれず、何度も午前様が続いた。
子供たちへの愛情が軽いことが許せない。家族の生活に無関心な夫と暮らして子供たちは幸せなのかしら?募る思いを自制することは並大抵では無かった。
何よりも許せないのは子供への暴力だった。私と子供たちは愛されていないと感じられた。確信出来ないまま家族で居られるのかしら?妻の想いは重く積った。

ところが・・・

私の想いは変わった。変わることが出来た。
子供たちは、私より速く父親の不器用な愛情表現を察っしていた。子供たちは、夫を信頼できない浅はかな私を許してくれていた。
優しくて寛大な子供たちは、この家庭で育った。
今、夫に感謝しています。