ポテトマッシャー🎶
じゃがいもを潰す道具です。
金曜日の夕刻、75km離れている5歳の孫を二泊三日を予定してさらってきました。
夫も大喜びでしたが、更に喜んだのが私の実母です。
皆んなで、母が育てたジャガイモの収穫をしました。
土曜日は、そのジャガイモを茹でて孫たち皆んなでポテトサラダを作りました。
我が家に古くからあるポテトマッシャーが大活躍です。
画像を撮る間がないほど忙しくて騒がしいけれど、楽しくて華やいだ食卓でした。
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ポテトマッシャー🎶
じゃがいもを潰す道具です。
金曜日の夕刻、75km離れている5歳の孫を二泊三日を予定してさらってきました。
夫も大喜びでしたが、更に喜んだのが私の実母です。
皆んなで、母が育てたジャガイモの収穫をしました。
土曜日は、そのジャガイモを茹でて孫たち皆んなでポテトサラダを作りました。
我が家に古くからあるポテトマッシャーが大活躍です。
画像を撮る間がないほど忙しくて騒がしいけれど、楽しくて華やいだ食卓でした。
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毎月恒例のヘナ染めに友人宅へ行きました。
彼女は私の髪をキュッキュとしごきながら
「感謝、感謝!イイ風吹いてるじゃん。その調子、その調子✨」
と、言います。
目から鱗です。
実はこの言葉は彼女の口癖なので毎月聞いています。
今日はいつも以上に私の胸に響きました。
今の気持ちが未来を作ります。
イイ調子🎶✨😄✨
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週末から雨のようですね。いよいよ梅雨に入るのでしょうか。
夫の仕事は雨の日はほぼ休みになります。
近頃、雨の日の夫はリビングのソファーに寝転びNetflixに夢中です。
音が止まり静止画になると、私は裁縫の手を止めます。
おおよそ夫は手の離せない処へ行くか、私に願いを告げます。
「なんか菓子は無いんかい。」
「茶!淹れてくれ、」と。
決して、赤子のような願い事…とは申しません。
「はい。」
と、立ち上がることが賢明です。
これからの梅雨時期は収入が減ってしまいます。
夫は時間管理能力の高い人なので四季を通して夕刻ほぼ決まった時間にクタクタになって帰ってきます。
脱衣所に脱いだ作業着はまるでボロボロの雑巾のようです。
夫は一生懸命に仕事を頑張っています。
夫の努力を想像するにつけ、収入の高低を嘆く訳にはまいりません。
家計を預かる身にとって見れば手腕の見せ所です。
「お父さんはやっぱりスゴイ!働き者!」
と、鼓舞することが私の努めです。
「生まれ変わってもこの仕事がエエの!」
と、これまで試練を何度も乗り越えながらも夫は言っています。
家業を始める30年前まで転職を幾度か繰り返しましたが、30歳前半で本当にやりたいことに出会ったようです。
これからも納得できる人生を送ってほしいです。
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ありがたいことに〜〜〜❤
日曜日、朝イチのこと、
「運が良ければ芍薬が見頃かな?終わっていても新緑は目にイイでしょう。マイントピアまでドライブしよう。」
と友人の誘いでのんびりゆったりドライブを楽しみました。
沢山の緑の世界です。茎の新鮮な白いカット痕が一面に並んでいました。
そこに芍薬が咲いていたのね〜。
お日様キラキラ✨
風はそよそよ✨
小鳥がチュンチュン✨
天気も良いし、何より空気が美味しいですね。
体に優しい環境です。
園庭を降りる坂道の縁にキンシバイが連なるように咲いていて緑と黄色のコンビネーションはまぶしいほどでした。
帰りはココカフェにてランチをしました。
友人2人と向き合って素敵な時間を過ごしました。
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尊敬し、アドバイスを求める人を挙げてください。
アドバイスを求める恩師はこの世でお会いすることが叶いませんが、唱えることにより自然と智慧を頂いております。
私の幼児期は、自分の気持ちを上手く言えなかったり表現できなかったり、母とのコミュニケーションは希薄でした。
母から心無い言葉が飛んでくるのは日常茶飯時で⋯両親ともに疲弊していた様子でした。
母の思いは私には伝わらず、私は親を困らせる子どもだったようで⋯言うことを聞く気配がない私に母が怒りをつのらせていることを私は敏感に感じていました。
50年前そんな環境下、父と母の私への視線…態度や考えが…大きく変わりました。
10歳の私は、生きやすくなりました。
それがどうした理由なのか知る由はなく、ただ、書棚に黒表紙の書物がズラッと並んだことは見て取れました。
後に、谷口雅春先生の著書『生命の實相』が関係していると知りました。
私は自分の底しれぬ穴を埋めるように、10代半ばその書物を読み耽りました。
いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝する谷口雅春先生のお考えにふれました。
谷口雅春先生が創設した「生長の家」と称している組織は存じませんが、先生の書物は私の家庭を明るく変えました。
人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。
つまり本当に存在するものは神と神のつくられた完全円満な世界だけであるという「唯神実相」の意味を毎回深く考えさせられています。
自分が思っていること、いつだってそうなります。そうとしかなりません。
実は、今までもずっとそうでした。
ならば、どのような行動を起こすことが良いのか…
唱えるとき、
物事の本質を考えて、全ての物や事に感謝する時、観えてくるものがあります。
念ずることは現れます。
四国と言えば遍路巡りが盛んです。
実家近隣にも御大師堂があり毎月集まり日常的にお経を唱える環境にあります。
常に弘法大師空海とともにあるという考えで読経をしております。
そのお経の一つには、悟りの境地に至るための教典として「般若心経」があり、仏壇やお墓の前で唱え、先祖供養として遺族の心を癒す効果もあると言われています。
唱えることで悟りの境地に至り徳を積めると考えられておりますので、その習慣は有り難いお導きです。
嫁いだ先も真言宗ですので、私の生活に浸透している宗教です。
様々な正しいとされる宗教は多くありその真理は一つと捉えている谷口雅春先生の考えに甘んじて、私は真言宗の読経をしながら、そのお教の真理を谷口雅春先生のお考えと重ねて融合し学ばせて頂いております。
思春期から壮年期まで、
神仏を拝む姿は見覚えていても、神様がおいでになるのか いらっしゃらないのか それを考えようとせず無神論者に等しい部類の私でしたが、
時を経て近頃は、
実生活は、信仰心ではなく複眼的な思考法でどのような行動に移していくかということを考えています。
別の方向・角度からも見つめてみること、つまり、より正しい自分なりの考えをもち本質を見ようとすることが大事だと考えています。
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私は幼少期の苦痛を最近ようやく言語化し表現できるようになりました。
『心を通わせる大切さ』はその一つです。
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