不穏



朝、
農道に椅子がチョコンと。
なんとも微笑ましい風景です。
稲刈りの段取りをしているようです。
のどかな町なんですよ。



なのに、上空をヘリコプターがもう40分以上旋回しています。
昨夜は、いつになく家の前を散歩する人が多くいました。
夕刻から寝静まる刻まで固定電話や家族の携帯電話が頻繁に鳴っていました。
祭り並の騒がしさです。
この畑の向こうは不穏です。

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全国では新型コロナウイルス感染の波が落ち着いてきたと言うのに、新居浜市ではまだ感染状況の改善がみられないとして、感染回避行動の徹底を呼びかけています。



観客の安全確保は難しく、8月10日太鼓祭り推進委員会では、今年の新居浜太鼓祭りは、かきくらべ等のイベントは開催しないことが決まり、どちらの太鼓台も組み立てないことを次々決めました。
前年に引き続き、祭り好きの市民の興奮は申し合わせたようにこの数ヶ月で鎮静しているかのようでした。



胸の高鳴りがこんな騒動に変わったのかと…。
黄色い規制テープの向こうの惨事、残念で残念でなりません。

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鳴り物に誘われて

提燈が光っています

夜だというのに鳴り物に誘われて 娘と散歩をしました。
ドン デン ドン .。o〇
太鼓の4拍子が聴こえます。
あらっ、 本郷かな
うん? 田の上かな
あー、 山端かな
と、聞き耳をたてていると
家の周囲をグルグル回る予定が…
馬場まで来てしまいました。
額と幟が立っています。
提燈が、シンシン光っています。
今年の祭り、太鼓台は組み立てないので 神様のお守り、できないね。
16日、八幡神社の神様は、お出になるそうです。

提燈

額と幟

腕を降って、ドンドン進み 海岸まで行きました。

 騒がしい海

今夜の海は、騒がしく波をたてていました。
娘がひとこと
「ポニョ、人間になるぅ~!」
ふふふ
そうね♬ ポニョの声が聞こえそうね。

金木犀とお祭り

二十数年前のこと、娘と私は双子の乳母車を押し、鳥の端から、山の端へと良くお散歩をしました。

秋のお祭りの始まる頃、どこからともなく甘い香りが流れてきます。

もうじき我が家の金木犀も薫りだす頃・・・・と 待っていました。

花は小さくて目立ちませんが、雨乞い祭りのその後は、あっけなく散ってしまいます。

まるで、路面に降り積もった金色の雪のようで………..はかない花です。

 

きんもくせい

カメ

新居浜太鼓祭の日

バラ

祭り初日(16日)。

朝、喉が痛いと言っていた長男は、青年部員としての役を務めた夕刻には熱が38度、測るたびに上がり39度まで上った。

医師会病院へ連れて行った。新型インフルエンザではないようだ。

長男は医師の診断に安堵しているようだった。

その夜、息子が呼ぶ度、ダカラの飲料水をコップに注いで2階へ上がった。

17日早朝。

長男は、熱があるにもかかわらず法被姿で出て行った。

それを夫に伝えるが、無言で茶を飲んでいる。

うろたえている私に

『あんたは今日、何をするんぞ。』

「わたし?…河川敷へ行くよ。」

よからぬ気配は感じていたけれど・・・。

『本郷と澤津の最終戦があるぞ。』

と、ぽつり。

「最終戦?」

『前回、本郷vs澤津は本郷の地元だった。次なるは澤津の地元で!今後、双方は、鉢合わせをせんという約束じゃ。』

「で、どこで?」

『労災病院前より東じゃろ。』

と、はっきり言った。

私は身支度を整えて、運営委員の同士の迎えを今か今かと待っていた。

夫を送り出した後、私は息子達を案じて、自転車を立ち漕ぎしてぶっ飛んで行った。

・・・・・そして、本郷vs澤津

詳細は、先の “あっぱれ!” 記事・・・・・・

17日夜。

『悔しい。本郷、カッコ悪い。気持ち悪い

と、誰よりも先に帰ってきたター坊(次男)が言った。

「本郷はやっぱ、まとまってすごいな!とか思わんかった?」

と、私・・・。

『・・・・・もっと行けや おもた。』

「若輩者じゃのう!」

と、ター坊(次男)にカツを入れた。

「母さんは、名勝負だと思う。相手を尊重しあう二台の太鼓台は、どっちもカッコえんじゃわね。」

17日深夜、ドンドンと壁を叩く音に何度も目が覚めて2階へ上がった。

澤津戦の祭りを全身で堪能して帰ってきた長男は、既に40度を越えていた。

飲料水を息子に与えた。全身の汗にびっくりした。肌着も2度着替えた。

18日最終日の朝。

「出来るだけ安静にしなさい。」

と言う私の願いを聞かず、長男は飛び出して行った。

脳炎を発症し気がふれてはタイヘンだ。と案じていた私の思いなど。意に介していない。

風邪の菌を撒き散らしながらの祭り三昧。

世間様に申し訳ない。もぉ~まったく無礼千万!

18日夕刻。

娘の振り袖を座敷に吊るし、草履カバン髪飾りなどの小物を片付け終えて、さぁー、八幡神社へ行こうとした時。

ター坊(次男)がヨレヨレしながら帰ってきた。それも町の法被を着て!

「酔ってる?」

『ちがわい!!激怒メシ!風呂!』

と、力無く搾り出すような声で言う。

よくよく見れば、裾が破れドロドロに汚れたニッカズボン。靴下も破れ素足に近い状態。

「地下足袋は?」

『なくしたぁー。』

本郷vs澤津に飽き足らず、町vs田の上を参戦した様子。

晩ご飯を食べながらようやくしゃべり出した。

『もぉー、ええ 。困った鉢合わせ30回位までは数えよったけど、ええ加減やめんかおもた。ガマン

『母さん、あれは100回ゆわん ぶつかっとるよがっかり。』

『鉢合わせの最中、地下足袋の留め金がだんだん外れて、踏まれてけつまづいて何度もこけそうになった。困った

・・・・・・・

「よぉー生きとったね。」

と、私は安堵した。

「昨日は、もっと行け行け言よったのに、今日はもうやめよ思ったんかね。」

と、嫌味も言ってやった。

「本郷以外の太鼓は触ったらイカン。綺麗な喧嘩なんか何処にも無いけど、正々堂々と裸の喧嘩じゃけん母さんは目をつむっとったんじゃ。」

と、真剣に怒った。

その直後、実弟の訪問で阿島vs松神子の鉢合わせの真相を知り常識やルールの無さに困惑し、私の仰天は尚も続いた。

嵐のような祭りはもうコリゴリ!

再来年からは楽しく宮入りして、綺麗な太鼓を楽しませてね。

お疲れさまでした。

夜

あっぱれ!

潔く認めます。今回、澤津に負けました。

21年10月17日

薬局前、澤津との鉢合わせで本郷の鎧が外れた。19年とは真逆の鎧の差だった。

130㎏の重い鎧が強いわけではない。留めていたボルトが千切れたのだ。そこに本郷の誤算があった。

太鼓が鳴らなくなったほうが負けという喧嘩祭り。鎧はその太鼓を守る為の盾の役目。

激しいぶつかり合いが尚も続いた。

鎧が外れた今、本郷は大人3人の手でひょいっと太鼓を持ち上げ、澤津の担き棒を交わし激戦を繰り広げた。

敵陣に踏み込み地味な坂を押して押して頑張った本郷太鼓台に部があるようにも見えたが、

もうこの時点で勝敗決まりでしょう!

「鎧がのいたけん待ってくれ」と言う本郷。

「鎧がのいたんだったらこっちもはずそか?」と言う澤津。

待たす本郷と待ってくれた澤津。

「重たい~~。う、う、そこのけ。そこのけ。」

と、大人4人がよろけながら鎧を運び、私の目の前を通った。

もう一度鎧を取り付け、双方数回勢いよくぶつかってみたものの それはまるで握手をしているかのように感じた。

私にはそう見えた。

勝敗決まりだって!!

負けを認め去っていく本郷。

追い掛けることなく新高橋の中腹で本郷を見下ろす澤津は、悔しいけれど武将の如くカッコよく見えた。

太鼓を割るまで戦ったとしたら人と人との喧嘩になるだろう。此の上無い遺恨となっただろう。

人間の小競り合いを直ぐに止めに入る両自治会も立派だった。

民家や担き夫に怪我がないように采配していた本郷と沢津の指揮者も立派だった。

良い戦いを見せてもらった。

喧嘩は悪い!絶対、両者とも悪い!

それを承知で血が騒いでどうしようもないのなら・・・太鼓台の喧嘩は当然こうありたいものだ。

18日夜、実弟が訪ねてきた。阿島の担き夫であり、アンチ本郷の人間だ。

阿島と松神子の戦いを語ってくれた。

無惨な戦い・・・。弟の無念が手に取るように分かる。

50cmの鉄のキャップ vs 10cmの鉄球端冠、その鉢合わせの真っ最中、松神子が手のこぎりで阿島の担き棒切断!

真実を知り、幾度も相槌を打ったが、その戦いをこれ以上書き記すこともない。

殊更、破壊目的ではない澤津の姿勢にあっぱれ! と、再度感心した。

後腐れの無い本郷と澤津の戦いぶりを書き記そうと、

本日、高松駅を出て出張からの帰り道、電車に揺られ決意した。

再来年からは、平和運行の祭りが出来そう。

あー、天晴れ!