乗り越えられるかしら


人が育つには本当に時間がかかります。
私、伊達に遠回りをしてきたわけではないのよ。
恐れているものは自分の心の中にあるってことも、なので、苦しみは自分が作り出していることをこれまでの人生で充分気付いているわ。


先々を不安に思わないこと。
嫌われていると思わないこと。
煙たがれていると思わないこと。
全ては取越苦労なのよ。って思うこと。
自分を変えることが大事!
それが、如何に難しいことか…


私が確固たる目標や目的を持って、自分がすべきことに集中している時は、例え、周りで誰が何を言おうと、何をしようと、それは私にとって何の意味もなさないただの雑音に過ぎないわ。
自分がしなければならないことに集中すれば、私を煩わせることは起こらないし誰もちょっかい出来なくなるものだと、思ってきました。
ですが、
今の環境下に居て怖いと感じるときがあります。


改めてあらゆる面から事の次第を考えてみると、
“自分を苦しめるものは、誰のせいでも無くいつも自分の心の中にある”
物語を誰かが仕組んでいると疑っていること事態、まさしく自分が作り出しているのよね〜。


昔から同じような問題に直面するわ。
面倒になって、空気を読んで去っていく手も有るのだけど、ここらで‥この問題を越えなくっちゃね。


腹を割るって言葉があるでしょう。
本心を言わない人は頼りにならないわ。
喜びは人と人との間にあるはずだから、仕事を越えた語り合いが大切よ。
人間関係は辛いこともあるけれど乗り越えたところに喜びがきっとあるはずよ。
その日が楽しみだわ。

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異様な静けさ



ある女性は優しい口調で話します。
スレンダーで軽やかな身のこなしと共に謙虚なお人柄が全身に現れています。
特にお茶をお出しする姿勢が美しくてついつい見とれてしまいます。



彼女は、お客様がお越しになると絶妙なタイミングで私の視界から離れるのでその先を追って見ますと、
お茶をお出しする際には、サイドテーブルにお盆を置き相手の右後方側から両手で茶托を持って頭を下げて、
「どうぞ」といった言葉を添えて右手でお渡しし、左手はスッと股関節あたりに移っています。
その自然な流れは昔から承知している通りなのですが、彼女が行うと美しいと思うのは私だけではなく多くの方に好印象を与えているようです。
以前からお得意様より定評があり社長からお誉めの言葉を頂いていたと奥様から聞きました。
作法に拘りがある美しさではなく報酬を求めずに行う純粋な美しさについて考えさせられました。
私は情熱を注ぐ余りついつい過剰なサービスをしてしまうことがありますが、それとは非なり彼女は楚々として美しい〜〜〜。



ひとり一人の力が合わさって職場は成り立ちます。
立場やお考えに敬意を払って誰ひとりとして欠けてはならないと思っています。
同僚の良いところやご指導や反対意見にも なお耳を傾け相手を知るように心がけます。
集中すれば雑音は聴こえないはず。
仕事への情熱があるうちはネガティブな感情は起こらないはずです。



「ありがとうございます。」「すみません。」「はい!」の私の声が響く異様な静けさの中、
私の存在はどのように映っているのでしょうか?





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無性にふるさとの花々を見たくなり、仕事帰りに実家へ立ち寄りました。

感謝を申し上げます



新しく得た職場で、



人生を幸せなものにするために、職場の人達との関わりは最も大切なことです。仕事を覚えること以上に最優先だと思っています。


周囲の何気ない振る舞いや、言葉尻にハッとしてどうしたらいいのでしょう?と考えることが往々にしてあります。
何故か?どうしてか?四面楚歌を感じます。職場の人と一緒にいる時間が楽しくなりますように。
この状態を日々積み上げることで解決するでしょうか?
不安になる瞬間はありますが、縁あって出会ったのですから意識統一に励んで役立つ者になりたいと思います。



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