アメちゃん

食べた瞬間に子供の頃を思い出す食べ物は何ですか ?



カゴに入ったキャンディ♡
『お気軽にキャンディをどうぞ』の添え書きがあったとしても、なかなか手を出せないまるさんです。



手渡されてキャンディを頂くと、
私の存在を受け留めてくれてるって感じが嬉しくて美味しさ倍増です。



人は誰しも自分のことを見てもらいたいし、認めてもらいたいものですが、
私はキャンディを手渡してくれた気遣いだけで充分だと感じる時があります。



小学生の頃、まとまった休日が有ると山深い里へバスに揺られ、一人でお泊りに行くことがありました。
そこは父の郷里で、祖父母、伯父さん夫婦と3人の従姉、そして、独身の叔父さんも居て大所帯でした。



出迎えてくれた祖母が❤
「手ぇ出して! アメちゃんあげよ。もろた.もろた.言わんのよ。」
と。
節の曲がった指から手渡された飴玉が、殊の外 美味しかったことを思い出します。
真ん丸い大玉で放射状に白い線がある飴玉です。
個包装しているわけで無く、缶々に入っていたと言う記憶も有りません。





私が嫁いですぐのこと、



義祖母の昔話から、その大玉は義祖父のもとで修行をした職人(かつてのデチコ)が作った飴だったことがわかりました。
そして、山里の祖母のことも印象深く話してくれました。



義祖父は戦時中を挟んで40年菓子屋“音盛堂”を営んでいました。
義祖母はデチコ(丁稚奉公人)を連れ行商に出る毎日です。
売れゆき次第になるのですが月に一回は、リアカーを引っ張り山深い里まで足を運んだそうです。
すると、
「よう、来てくれた。」
と山里の祖母は、まんじゅう、大玉、カステラなどを買い求め、良いタイミングであることを毎回喜んでいたと言うことです。



祖父は68歳で亡くなり店を閉めましたが、技術と行商はリアカーを押していたデチコが継ぎました。



その数年後、まるちゃんの口にその飴が…。(笑)
「よう来てくれた。よかった。よかった。〇〇の孫が来るんよ。」
と、山里の祖母が小さな顔をクシャクシャにして職人から飴を買い求める姿が目に浮かぶわ.ワハハ.
と義祖母は豪快に笑い、昔話を締めくくったのでした。



音盛堂の大玉は、黒糖とザラメ糖と水飴を煮詰めたシンプルな黒飴です。独特な技法で白い線が付いていてまるで紙風船の模様に似ています。
手渡されたアメちゃんは、まさしくその大玉でした。



飴玉は人から人へ繋がり、未来の孫嫁(私)へ❤



求め 求められ
飴玉で繋がっていたという事実を知り、
ここへ嫁ぐことはあらかじめ決められていたと感じてしまうほどに しっくりくるアメちゃんでした。



運命的な縁を感じずにはいられません。

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私は

自分の好きなところは何ですか ?



人のせいにしない潔さがあります。



立ち直りが早いです。



経験して感じたことですが、
ちょっとした失敗を取り返しのつかない失敗だと過大に案ずることは、まずありません。
そこが好きです。

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潔く「よきかな」

どのように引退したいですか ?



誰もが一冊の本になるような人生を送るものらしい。



その本には主役がいて、一方でかすみ草のように主花を盛り立てる役もいる。
どちらも必要な存在。



枯れ木でない方が良いけれど…笑
私は、そのかすみ草のような副の存在で有りたい。



その役を果たして
「善哉よきかな」
と、潔く散ってゆく。



“人生の幕引きの引退”それは近いかもしれないし、まだ先かもしれない。
玄関の灯りにそれぞれの思いが込められているように、
私の住む処や家族、そして出会う人々にその中心が丸く暖かくなるほど思いを込めて生きてゆきたい。
私と関わった方々に「有難う!」と種をまき続けたい。
単なる暖かい思いは独りよがりかもしれないけれど「有難う」と素直に言える生き方は紛れもなく暖かい人生だと信じている。そして、潔く締めくくりたいと思う。




“職の引退”においては、役を果たして幾度も潔く去った。

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筆入れ

今でも日常的に使っている最も古い物は何ですか ?



古い物は色々ありますよ~♫
テーブルや本棚、そしてアイロン…etc♫…



最も古い愛用品となると、レイクアルスターの筆入れでしょうか。



今もバッグにしのばせています。



30余年前、職場仲間からこのブランドのタオルハンカチとサンダルと筆入れをセットでお餞別として頂きました。
日常的に使い古して、姿をとどめているのは筆入れだけになってしまいました。



久しぶりに、無駄のない会話に拘る人、感情の摩擦を引き起こす人、周りの責任にしない潔い人、まず言わなきゃ納得しない人、特定の人のみ話す人、同僚の個性豊かな面々を思い出しました。

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感情が動く

お気に入りの瞬間を教えてください。



映画館は誰からも(家族)ご指名が入らないから 子育て真っ最中の頃、唯一のんびりできる場所でした♪



良きも悪しきも日常の慌ただしさから逃れるかのように 1ヶ月に1回のペースで、レイトショーに通っていた時期がありました。



そこには、自分の感情が動くことを知る瞬間がありました。



大画面を観て同じ空間に居ると言うだけで、見ず知らずの方々とたくさんの笑いや感嘆を共有できる楽しみ方があるんですよ。



一斉のため息さえも一体感があるんです。



なかでも笑い声は特別です。
間と間の大勢の笑い声って、心が踊ります。
人が笑っている空間というのはいいなあと思います。
誰も傷つけることなく生まれる笑い、これこそが本当の笑いじゃないのかな。



映画館での“笑いと感嘆”の共有は、自分を取り戻す瞬間です。

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