ここらでゆっくり

もっとできることは何ですか ?



私にできること…
もっと、もっと、緩やかにゆったり のんびり過ごすことができるのでは。
体力は下り坂、ツンのめってコロコロ転げ落ちないようにね。
自分の人生、緩やかにできるはず。



先の投稿で社会人になってからの自分の図太さを書いたけれど、それより前の自分の弱さを書いておくことにする。



幼少の頃から人と相対するのが怖くて、特に心の奥を可視化することに臆病だった。
拒絶される不安と…人を傷付ける恐れから、自分の感情を抑えていた。
フツフツと湧き上がる得体の知れない感情や歓びの感情さえも ぎこちない笑顔で誤魔化していた。
自分の底しれない穴を埋める術が分からないでいた。



学生の頃の私は、傍目には穏やかであっても些細なことで心のバランスが崩れやすい人だった。
負の考えが占めると家族をも巻き込み 陰の状態に転じてしまう。
例えば、親の愛を求め続けて、それが敵わないとなると…タオルを引き裂くなどの爆発的な行動をしてしまう。
周りの目を気にする割には自分の事で精一杯で、周りの気配りに気が付かない無頓着なところもあった。
図太さなんて無縁だし、自分が何者かもわからないし、心なんてどこにあるのか…
これじゃいけない!こんなんじゃない!
そんな自分を押し殺して目立たずに小ぢんまりとその日その日を過ごしていた。



ところが、
高校生の頃、心を言語化することに夢中になり始めた。
有志で作っている“道”という冊子に何話か投稿してみたり、恩師の歌集のひとつに曲を創作し歌ってみたり、弁論という名の勝手な主張大会で「わかっちゃいるけど」と題して身近な…特に母親に対する反抗心について、成長期に自分の心を言語化することの大切さを語るほどに変わったのだった。



更に、
社会人になったことを転機に水を得た魚のように私の心は整ってきた。
忙しすぎることが良かったのか?自分の役割が見えたことが良かったのか?
“私、失敗しないので!”といった心境で女優になりきり、兎に角見事な七変化だった。



平々凡々が楽なのは知っている。
秀でた人生を過ごそうなどとは思っていない。
なのに、
“迅速に 正確に 丁寧に” と、拘ることがあり過ぎて崩せない自分に酔いしれている。
充実したいからこそ…忙しくしている。



今もその延長線上。



もっと、もっと、夫や子ども達の話に耳を傾けよう。
自分のために、ゆっくりゆっくり気楽に生きていこう。
本心を言えば、心が揺さぶられて動かされて…ちょっと疲れているんだ。
まっ、
ここらでゆっくりしよう。
できるはず。

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