生活空間で思う 自信にあふれた人

あなたが知っている中で最も自信にあふれた人は誰ですか ?



実母は、自信満々に生きている。



母は基本、家族の気持ちに無関心で自分の気持ちを優先する。
自治体でも母の気の強さは折り紙つきだ。
そんな母は、孫には平等に優しいし、孫の意見には耳を傾ける。
「ワタシら(自分は)、幸せじゃ!何でも思いどおりになる!」
と、母は今も昔も自分本位である。



自信満々に生きている母の姿を見て、私は嬉しい。
………それは(私の)努力の集大成よ!



現在、実母との関係は良好だ。
私は母に感謝し、お互い尊重し合っている。
そのことを前置きして、過去の苦しい感情を暴露する。



私の幼少期、
母は、家族の気持ちに無関心で、自分の感情のまま家族を誘導していた。



思春期、
私は言葉にならない苦痛と母に求める激しい感情や怒りを包み隠して、母の優しさを求めてニコニコ笑うことに徹していた。
私は自分の感情や体調、そして他者とのバランスを保つのがやっとだった。
それを代償にしても、
自信満々に生きている母親の姿を見ることが嬉しかった。



私は社会人になった。
会社組織の決まり事よりも母の思索が優先でなければ許されなかった。
その一つを例にすると、
当時、新入行員あるあるなのだがノルマ達成の為にまずは親族の情報を会社に紹介することを上司から指示されたが母は猛反対した。
母は私に自分の足でエリア内を網羅しノルマを達成することを命令してきた。
私は日曜や祝日、サブで任されているエリアを会社から配布された名刺を持って熱心に廻った。
当然ながら、誇示の為か勧誘活動か知らないが時間外にオルグをしエリアを汚されたと営業職の方からお叱りを受けた。
母と同じ屋根の下に居ると、私は自分の居場所を確保できない。
私は家族の絆を他に求め、母から逃げた。



子育て期、
自分の居場所を確保しつつ、人との繋がりを持ちながら自分らしさを守ってきた。
母は、私達夫婦や孫の姿が自分の理想から離れていると、和顔愛語が足りない!心の持ち方が悪い!と言い切る。



私達の結婚を許した母が、母自身の判断が間違いだったと思わないように、私は力を注いできた。



私は壮年期となり、母に感謝しお互い尊重し合うようなった。
母との関係は表向き良好になった。
自信満々な母の姿が嬉しかった。



日常の生活を送る場で思う、自信にあふれた人は母である。



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