よっしゃ!

末娘が、“八千代”で 夫と私の誕生祝いをしてくれた。
生ビールで乾杯し、姫貝とその貝柱…あん肝…タラの白子を食べた。
私たちは、めっぽう酒に強い。
夫と二人きりだと会話が少ないが、彼女がいると3人の会話が弾むので嬉しい。
彼女は、医療機関で多くの患者さんと向き合っているだけあって キャパは広い。
2合ほどのお銚子を3人で7、8本は飲んだ頃だろうか。
ある機関に履歴書を提出してきたことを娘に話した。
めっちゃ!笑われた。
夫に事前報告をした時には
「職安と仲が良いのー。いつもサッサと見つけてきて展開が早い!あんたの就活パワーには感心する。」
と褒めてもらったはずだった。
ところが、夫と娘はそれを肴に二人で盛り上がり、私は蚊帳の外。
「年齢も顧みず、これからの時代を担う若者と張り合うつもり!」
と言ったかと思えば
「面白い!面白い!」
と連呼する。
二人があまりにも笑うので、少しでも長く居たかったが、
「いつ呼び出しがあっても良いように準備が有るから」
と、帰ってきた。

よっしゃ!
玄関を開けながら「失礼致します」
先言御礼!
落ち着いて「〇〇まなる と 申します。よろしくお願いいたします。」
と言って、敬礼をする。

酔った勢いで面接の練習をしばらく続けた。

我が家は、がら-んとして静かだった。

八千代にて

趣味就活、特技退職の私


結婚して30年近く、子育て、家事、家業、仕事、いずれも手を抜かず精神状態を何度も立て直し頑張っています。
仕事をしていない今は、腑抜けです。
「仕事に就かず趣味を極めたら」と、夫は言ってくれますが、その趣味も何をしたら良いのやら?
自分が何をしたいのかもわかりません。
一度立ち止まってしまうと、仕事を得ることが怖いとさえ思っている自分がいます。

自分は、人を傷つけることに臆病ですが、仕事となると度胸が座っています。長年事務職に携わっていますが、大胆な割にすっきりするほど流れの良い仕事っぷりや 綺麗な出来映えとか 見晴らしの良い人間関係に拘っています。
何度転職をしても、その処を頑張り通す自分に、ほとほと愛想が尽きるのですが、そう言う生き方しかできないのです。

明るく元気に根気よく ただ闇雲に頑張っていると、社内間が回っていないと感じてきます。そして、清く正しく美しく尚一層励むのです。
気付いて欲しいアピールのような祈りでもなく、他者への依頼心でもなく、その姿を公で実行することで自分の人生を良くしようとしています。
それが、自分の生き甲斐なのかも知れません。

ところが、良くなるどころか苦しむことになります。この苦しみを乗り越えたら仕事(人間関係を含む時もある)が順調になると思って頑張り続けてしまいます。

頑張ることで幸せになれる訳では有りませんが、何故こんなに頑張るのかと自分に問いかけてみると、自分自身の生活を豊かにする為だけでなく、自分の価値を高めようとしている自分に気付くのです。

自分の価値を高める必要がないのに頑張っていた理由を考えると幸せになりたい一心でした。何をしたら幸せになれるか冷静に考えてみると、心から幸せな思いを起こし続けてゆくことが幸せになる為に大切な事であり、余興を楽しむ如く仕事と向き合うことが大事だったと反省するのです。

すると、自分は間違った方向に進んでいると感じるのです。ここを永遠の居場所にする手立てはとっくに無くなっており、ここは自分の居場所では無かったのだと言い聞かそうともするのです。

これでは幸せな思いを起こし続けることができないと思ったから転職をし、自分の決断で退職をしたのだと…そのように自分の意識を変えてみると、退職という結果になったことを苦しまなくて済みます。

自分にとって幸せだと感じられる職は必ずあると思うのです。
それを見つけるまで粘り強く探し続けることが大事なことなんだと思います。

自分の価値を高めなくて良いのです。自然体で良いのです。フラットな感情で心から幸せな思いを起こし続けてゆける職に就く日が来ることを哀願しています。私には、職に就くことがとても重要なことで幸せになる為に大切な事だと思えて止まないのです。

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