サツキ

星   音楽   星
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6月となりました。

あちらこちらに咲くサツキが、私の目を癒してくれます。

サツキは、新緑の5月よりこの梅雨時に一段と明るさを与えてくれるようです。

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私が思う市内随一のサツキの名所といえば、別子銅山記念館ではないでしょうか。

建築昭和50年頃の変わった建物です。館内には、銅山開坑以来の歴史資料などが展示されています。

その建物の外観は、歴史の重さとは相反してサツキで華やいでいます。

屋根全体に、約一万本のサツキが植えられ、ECOの先取りでしょうか?

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周囲にもサツキが植えられており、明るい色彩を楽しみながら、この公園を散歩しました。

石段の階下には、山根グランド、体育館、テニスコートなど一望できます。

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別子銅山記念館b
山根公園a
山根公園b
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折り重なる山

晴れ
白い衣を着た山や ふさふさの緑の帽子を被った山・・・。

毎朝、四国の山を左に感じながら6キロほど自転車のペダルを踏んでいます。

何層にも重なる藍色の山々はステキです。

もう間も無くすれば、この山の裾に桜色もちらほらすることでしょう。

国領川の桜並木をしばらく眺めました。

桜の蕾がふっくらとしてきました。

河川敷でジョギングする人も 犬と散歩する人も 明るく軽やかに見えます。

春ですねぇー。春の風は快適です。

おっと!見とれていちゃーだめですね。

激チャリしながら橋を渡って職場へと急ぎました。

四国の山

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30年前の絵

朝夕の冷え込みに秋の深まりを感じます。

何を食べてもおいしくって、私…..ますますふくよかに なっていますよ。

食欲の秋 芸術の秋・・・・・。

学園祭や地域ぐるみの文化祭が、あっちこっちで行われ、芸術や文化のお披露目が終わったようですね。

私は隣の町からお嫁に来ましたが、隣の町の文化祭のあれこれが、私の耳に入りました。

なんと、

『 娘の描いた絵 』  —–30年前を皆さんもご一緒に懐かしんでください。—– 

と題して、私が中学から高校の頃に書いた油絵を体育館に展示してあったというのです。

ありゃま~~~!

コト既に遅かりし・・・ですが、実家にすっとんで行きました。

私 : 「 何てコトしたの・・・。」

母 : 「 旧姓で展示したからイイじゃない。何年たっても私たちの宝物よ。」

父 : 「 みんなに懐かしんでもらおうと思ってのぉ。」

私 : 「 誰もそんなの望んでないよ。親バカもタイガイに・・・。」

私の描いた絵は、芸術というには未熟で、一筆一筆が幼稚です。

はぁー・・・。 親バカ、無限大!!

値の張る額縁に納まった私の絵が、実家の各部屋に飾ってあることは、何十年も前から気付いていました。

それをしばらく眺めていると、親ってこんなものかもしれない・・・と、思えてきました。

巣立った子供を追いかけるわけにはいかず、子供の小さい頃の姿や残したものを懐かしむ親心が解らないでもありません。

恥ずかしさはどこへやら・・・だんだん私もその気になってきましたよ。

あぁー、懐かしぃ!

得意は、静物画でしたけど、時には、風景画を描きました。

クロッキー帳片手に歩き回りました。

気に入ったところを見つけるとその場でデッサンして、キャンバスに向かう日を心待ちにして・・・

やっとの思いで時間を作って、日を改めて現地へ行って、イーゼルにボードを立てて・・・

あの時の空間。描きたいものは描きたいという私の想い。それら全てが懐かしぃ!

予讃線を走る快速列車の風と音を下に感じながら、多喜浜塩田跡地や瀬戸内海を・・・

イングランドという喫茶店の駐車場に丸一日座り込んで、阿島の入口を・・・

昼間は海からの風が心地よかったけれど、夕刻は固形燃料を燃やして甘酒すすりながら久貢山周辺を・・・

30年前の絵です。

今の様子も撮ってきました。

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阿島入り口
阿島入口
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久具山周辺
久貢山周辺
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静物1.
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静物2.

燧灘とアツケシソウ

 晴れ   車   LOVE

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秋の良い時候が続いています。隣の庭に咲いている?咲かせている菊が美しいです。

夕飯の支度まで時間が有るので、しめじを買い足しがてらドライブをすることにしました。

工業団地を横目に壬生川新居浜野田線を東に向いて真っ直ぐ進み荷内へ来ました。

海岸通り、新居浜の東の果てです。

防波堤に立ちました。北は、大島と黒島が見えます。

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大島

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黒島

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私の背後(南)は阿島の山々です。

山の木々は紅葉が少し遅れているようで、未だ薄緑が残っています。

この山の奥深くに谷間があり、県道新居浜野田線が通っています。

その県道の南の山の中腹には、JR予讃線が通っていて、汽車が走っています。

あっ、今は電車です・・・。

その道の新居浜の東の最果てが私の父親のふるさとであり、私が小学高学年から過ごした処です。

子供の頃、この奥深い山を何度か探索し、大島と小船の浮かぶ燧灘を小高い山から眺めました。

今思えば、無鉄砲な探検です。

よくまー無事に帰り着いたものだわ。いのししに出くわしたらどうしたのでしょう。

そんな大変な思いをして見つけた景色です。

ちょっと高さが違うけれど、丁度こんな感じです。とっても素敵でしょ。

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木陰から大島が見える

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子供の頃は、獣道を走りきらないと見る事が出来ない風景・・・と思っていました。

この素晴らしい眺めを簡単に見ることが出来ると知ったのは、私が車の免許を取った18歳の時でした。

帰りは、荷内切抜きで保存栽培をしているアツケシソウの紅葉を見に行きました。

新居浜市の天然記念物に指定されています。

今年も色鮮やかに秋色に染まっています。

かつては、多喜浜塩田周辺に広く生えていました。

至っては、工業用地として埋め立てられて、次々と姿を消してしまいました。

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アツケシソウの紅葉

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35年前のことですが、

山の中腹から望む秋色に染まる多喜浜塩田跡地は、それはもう素敵な景色でしたよ。

真っ青な空なのに、まるで一斉に夕日を浴びたかのように、地上は赤く光っておりました。

湿地帯に懸けられたその魔法を見たのは、私が10歳の頃でした。

「地上が赤く染まるのは、砂地に生息するアカザ科の一年草、アツケシソウの仕業だよ。」

と、遠縁にあたる白浜のおじいちゃまから教えてもらったのでした。

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アツケシソウ(アカザ科の一年草)

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おじいちゃまの自宅の庭を通り、予讃線をまたぎ山奥のお寺?ほこら?の、その上から、

今も工業団地を眺める事が出来ますが・・・

もう、あの魔法を見ることはありません。

たまには、昔を思い起こしながら、ふら~っとドライブも良いものですね。

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バラ   車   バラ
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遠い昔になるけれど~~~♪

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『 ALWAYS 続・三丁目の夕日 』、丁寧に再現された当時の町並みを非常に懐かしい感覚で見入りました。

かつて新居浜にもALWAYS同様の町並みと人々の活気がありました。

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幼少の頃の行動範囲は新田町を拠点とし、西は磯浦町、東は西原町、南は星越町・・・

私は、当時新居浜市内で一番繁華で活気ある処を走り回っていたわけです。

オトナシイ女の子だったはず? あれ? 随分お転婆だったのかしら???

緑の生け垣に囲まれた星越社宅周辺の雰囲気、そこから北にレンガ坂を下るとわかば温泉と言う名の銭湯、泉幼稚園遊戯室の窓越しから見るバレエレッスン風景、高須賀散髪屋のシャンプーの香り、その隣の雑貨屋さん、トンネルから出てくるカゴ車やトロッコとその踏切。

お隣の玉市自転車屋のすみとくんや パン屋のけんちゃんと 八百屋のみかちゃん、ワタナベボタン屋のおばちゃんや 自転車で配達している郵便局員さん、何とかドルのパチンコ屋の店員さんと 薬局のおばちゃん、みんなを思い出し、とても会いたくなってきました。

まだまだ浮かぶ思い出は、イメージ的な記憶なので、時代は多少前後していると思いますが・・・

大坪東映のデイリィークイーンは、この土地初のバーガー屋さん。フィッシュバーガーが私のお気に入り!

新宝館横のほとんど具無しのカレー屋さん!

あ~そうして ラーメン屋の熊公・・・チケット10枚集めて食べたよネェ。

口屋跡に図書館があったのをご存知?あの松の木は・・・熊も居たような。

至る所に貯水池があって、木材が浮かぶ所が多くあったね! 歩くたびに目に付く足元のボルトネジや鉄くず!

病院前商店街の自転車の通勤ラッシュは、圧倒されたよね。

旧市役所の最上階(3階?)から北を臨むと、火力発電の4本煙突!カッコよく並んでいたね。

・・・しかし、そんな私の町は、今は大きなビルがポッコンポッコン建ち、商店街は寂しくなり、アーケードは取り壊され、住んでいる人たちも様変わりしてきました。

通った若宮小学校は当時全学年3クラス以上あったのに、今は、住友関連の社宅の減少等に伴って児童数はどんどん減少・・・(のちに追記:2018年3月、66年の歴史に幕を閉じました。2021年6月コロナ禍:ワクリエ新居浜・生涯活躍まち拠点となりました。)

あー、時代は流れているのです。

この映画を観て、私の記憶や心にある新居浜の情景がくるくる巡って、当時の世界へ帰ってしまいました。

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