一宮神社の大楠

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今日も、職場のビルから威勢良く飛び出し

銀行や税務署、そして各集金先へと向かいました。

やっと、デジカメを持って出掛けるゆとりができました。

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毎日のように通る一宮神社前です。

陽射しがどんなに熱くても、参道からは、清々しい風が流れてきます。

いつもその風を感じ、横目に通り過ぎていました。

が、今日は立ち寄りました。

大きいでしょ。一宮神社の楠木です。

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参道の大楠

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この静寂は何なんでしょう?

見事な異空間です。

参道に足を踏み入れることができず、思わず

立ちすくんでしまいました。

この空間を闊歩することは、できそうもありません。

私は、そっと手を合わせ立ち去りました。

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思い出の地

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新居浜市星越町・・・久しぶりに、この土地を車で走りました。

築70年を越える社宅が立ち並び・・・と思っていたら、

まぁ~びっくり、、、、、、、、

その社宅が全て取り壊され、見渡す限りの空き地になっていました。

私は、廃材置き場?となった空き地を画像に収める気にはなれませんでした。

この周辺の建物はとても素敵で、かつては画期的な高級住宅街であったはず・・・。

街路や広場に桜が咲き誇り、付近一面美しかったのを憶えています。

最近は空家となっている家が多く管理が大変と聞いていました。

それでも旅館として利用できたらという声もちらほら耳にしていたけれど・・・。

道を隔てた反対側は、まだ昔の面影を残していました。

事務所になったのでしょうか?駅舎もかろうじて姿を留めています。

小高い山の斜面を利用した大手企業の選鉱場が古い姿のまま建っています。

この小高い山を越えた向こう側に、私の通った泉幼稚園と弟があしげく通った病院があります。

その幼稚園の南裏には、山の傾斜に黒岩墓地があり、斜面を駆け上がると大手企業の独身寮がありました。

かつては、その山の頂上から下の画像のような景色が臨めました。

はいそな社宅

上の画像の手前に選鉱場の屋根が見えます。

社宅が立ち並んでいるでしょう。このように、木々に囲まれた一面の住宅地が拡がっていました。

おおよそ35年ぶりにその山の寮の庭に立ち、南方を眺めました。

空き地が見えます。シートを被せた廃材?が見えます。

ゴルフ場が見えます。

白いゴルフボールを見つけては幾度となく友人宅へ手渡しに行きました。

社交ダンスなどが行われ高級な社交場だと噂されていた洋館が見えます。

こうして眺めていると、昔の思い出が蘇りそうです。

斜面を駆け上り、山を越え、

緑の木々に囲まれた家々の庭を覗き見ながら、走り回った幼少の頃を・・・

純粋で可愛い思い出を・・・。

時は流れているのですね。

胸にこみ上げるものを感じながらシャッターをきり、その場をさりました。

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垣生山

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この小高い山は、垣生(はぶ)山です。

新居浜市の東部にあります。

この山の東と北の二方面は3キロほど海に囲まれています。

一番高い所で101.3メートルあります。

もっぱら子供の遊び場になっています。

年間、いろいろな行事で垣生山に登ります。

四季折々、そこから望む新居浜の景色は最高です。

中腹の段々畑では、つつじが咲いていたり、

みかんが作られたり、花が植えられたり、自然に恵まれています。

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つつじ

段々畑に咲く花

山道に咲く花

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瀬戸内海の潮風を浴びながら 小高い段々畑にみかんの木が並んでいます。

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みかん

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みかんの花が咲き始めました。みかんの木には白いつぼみがいっぱいです。

なんともいえない甘~い香り♪

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みかんの花

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この山には、土と落葉の感触を満喫し散策できる手づくりの遊歩道があります。

子どもを追いかけながら登った思い出深い道です。

その道端や途中の広場にベンチがあります。

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手作りの遊歩道

ミカンの花

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山頂には、桧丸太柱・スレート葺きの展望台や山荘があります。

早朝、垣生山の山頂に立つと 清々しい新緑の合間から我が家が見えました。

「おーーーい!おはようーーーーー!!!」と 大声を出しました。

子供たちの枕元に届いたでしょうか。

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わが家が見える

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垣生山から西を見た新居浜の風景です。

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垣生山から望む

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南は、折り重なる山々が見えます。眺望が素晴らしいでしょ。

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垣生山から東を見ました。 東港が見えます。

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東港が見える
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以前に書いた記事をどうぞご覧ください。

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■垣生山のあゆみ■

垣生(はぶ)山は、昭和30年代後半くらいまでは、中腹は畑や果樹園として耕作され、それより上は全て山松に覆われ、燃料としての松葉掻き、山菜や茸採り、家畜の草刈場として、住民の大切な生活の場となっていました。

その後生活が豊かになり、プロパンガスの普及や松喰虫の発生で山は荒れ放題となりました。雑木が茂り、全く入れない状態になっていたそうです。

昭和63年、公民館の音頭で垣生山遊歩道の開発が計画されました。

自治会を中心に婦人会、老人会等の各種団体が協力し、「昔の自然を、あのロマンを残そう!」を合言葉に皆で汗を流し、遊歩道をつくり始めました。

平成2年には、総延長4.3キロ、道幅0.8~1メートルの遊歩道が完成しました。

それ以来、年末年始にはライトアップが施され、5月上旬には山頂に数匹の鯉のぼりが泳ぎ、地元の風物詩となっています。

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山頂のこいのぼり

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散歩道

国領川の土手沿いは、桜の花が満開です。

河川敷の桜

清く鮮明な桜並木です。

今日は、郵便局への行き帰り、この道をお散歩しました。

わずかな時間ですが、気持ち良かった~!

どなたかの鼻唄が聞こえそうでしたよ。

河川敷の桜

国領川に架かる平形橋が2月末日に開通しました。

今は仮設橋の取り壊しをしています。

新居浜市の緊急輸送道路として大切な母線だったにも拘わらず、

今まで2車線の橋でした。

4車線化で、交通渋滞が緩和されますよ。安全性も向上するでしょう。

夏には、この橋から見る河川敷での花火大会が楽しみですね。

見応えありますよー!

ほら、欄干に桜が施されています。

この春、この橋を渡るたび、

土手沿いの見事な桜の開花を待ちわびていました。

欄干の桜

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亀の化身に違いない!

プレゼント

子育て真っ最中の頃、暇を見つけては泉寿亭跡の市立別子銅山記念図書館へ、親子で出掛けていました。
ドーム型の屋根が特徴的な図書館で、ドームの周辺の窓添いに閲覧コーナーがあり庭を眺めながら読書が出来ます。
その庭は、大手企業の迎賓館として栄えていた泉寿亭の名残り奥ゆかしい庭園です。
子供達は、その庭園に囲まれた窓越しで、紙芝居や童話に夢中になりました。
読書に耽って感情移入している最中、「かあさん、シッコ~!」ということが再々なので・・・。
私は、出来るだけさらっと目を通せるものをあえて選んで随筆か写真集を頻繁に借りていました。
「ふるさとの思い出写真集・新居浜」は、懐かしい想いにふけりながら、目を通した本のひとつです。
以前にも、『幼い時に見た景色』で、この中の写真を紹介しましたが、もうひとつ 私の勝手な思い出の 懐かしい写真があります。

上 : 昭和13年頃の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 (ほとけざき) 』

のどかでしょう~♪

現在の新居浜-西条線海岸道路 『 仏 崎 』

今では 海岸沿いが埋め立てられて、大手の工場が立ち並んでいます。
御代島(みよしま)が陸続きとなり、広い工業地となりました。
中央分離帯に立ち写真を撮りましたが、向かって来る車・後方から来る車がドンドン迫ってきて怖かった~。°・(>_<)・°。

私が懐かしく思う頃は昭和40年代なので、一枚目の写真より30年も後のことですが、私の記憶の景色は この写真となんら変わりが無いように思われます。
ただ 弟が喘息の発作を起こし頻繁に入院したり、この仏崎海水浴場の閉鎖を目の当たりにしましたから、自然の汚染は進んでいたのでしょうか。
そういった公害事情が表立っていましたが、その当時の仏崎は まだまだ静かでした。
自家用車で松山方面へ行く時は、この新居浜-西条線海岸道路を通っていました。 (動物園、松山城、道後温泉、飛行場 etc…..)
車の窓から眺める仏崎周辺はとても美しく、視界を次々遮る松の木と、青い海は絶景でした。
「さあ~、お出掛けよ。楽しいことが待っている。」
と母の一声が、私の心を弾ませてますます美しいものにしていたのかもしれません。
ただその道を通る度、たった一つ気掛かりなことがありました。それは、ペチャンコになった亀が路面に放置されていることでした。

では、私の幼い頃の話をひとついたしましょう。

バラ LOVE プレゼント バラ LOVE プレゼント バラ LOVE

私は6歳になったばかりの頃、竹の物干し竿を半日(往復6km)持ち歩いたことがあります。
行楽を予定していた前日、仏崎に幽霊が出たと聞き、しばらく考えた私は、
「そうだ!幽霊ばなしは・・・亀の化身に違いない。」と、奮起したのでした。
私は、籠に詰まった洗濯物を横目に 物干し竿を引きずり 西へ西へ・・・
持ち出したものの あまりに厄介なので道中置き去りにする事も考えましたが、やはり母が困ると思い 持ち帰ったのでした。
何故、物干し竿を持って歩いたのか不思議でしょ。何を考えていたのでしょうかね?
思い出す限りでは、厄介なものを持ち歩きながらも 決して後悔していませんでしたから、何か理由があるはずです。
亀の墓標にしては長すぎるし、海に返すための道具なら竿だけでは無理のようだし、
その日は、弟が水疱瘡と診断された翌日のことで、弟にばかり手を焼く母を数時間困らそうと思っていたのでしょうか?
それは、ヤキモチ!
私が水疱瘡に罹ったのは、そのまた翌日のことでした。

皆さん!
この道を通ることがございましたら、竹竿を引きずる何とも風変わりな女の子がいたことを思い出してくださいね。

バラ ・・・LOVE ・・・プレゼント