想像の世界は美しい

人生においてスピリチュアルはどのくらい重要ですか ?


  
スピリチュアルって意味が今ひとつ分からないのだけど、取り違えていたら申し訳ありません。
私の想いを書き添えます。



現実は重要です。
ただ、ポジティブな感情にアンテナを張ると想像の世界は美しいものです。



現状に捉われないその向こうに、幸せや豊かさのキッカケがあると思っています。
目に見えるものは大切だけれど、目に見えないその奥に未来を創り出す力が有ると信じています。



スピリチュアルはどのくらい重要か?
私は重要と言うよりも…
心に現れるモノ( ポジティブ感情 )を信じたほうが豊かに楽しく過ごせます。

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自己管理の策は?

どのようにセルフケアを実践していますか ?



心の余裕も金銭的な余裕も無い時って、
自虐的になりそうで…、理想とする自分を演じ続けるほか有りません。



物理的な余裕と心の余裕は大切ですよ~。
その余裕は何から得られるかって?それは、空間かな〜〜〜。
日常生活で一人になれる空間ができることで不思議と心の余裕ができるようになります。
今までは存在しなかった余白ができることで、平常心を保つことができるものなんですよ。



私の場合はささやかですが、食卓が整ってホッとひと息付く時と新聞配達完配の防波堤に立つ行為でした。
その小さな小さな積み重ねで自分で自分の機嫌を取り、自分を愛したり大切にする思いを蘇らせました。



実はね。
そう言うワタクシ「自己管理」下手くそでしたね〜。



私は子育てに追われていた頃、我慢に我慢を重ねた挙げ句、
「ウワ💥ーーーーーー💦」
っと大声を上げて、たまに発狂していました。
抑圧された感情の放ち方が爆発的です。



私に与えられている時間は限られていて
睡眠時間を削り、自分のための時間など全く有りませんでした。
日常は時間に追われ、金銭的にギリギリの生活、そのような時、
要は、自分の心持ち次第なんです。



仕事、コト、こと
家事、ジャン、じゃん



そんな戯言を言いながら、日々フル回転していました。
一見、平然としている私がいつ機嫌をそこねるのか皆目検討が付かず、
娘たちは怖かったと言います。



家族への思いを優しく表現したいし、好きな自分の姿に少しでも近づこうと…
明確にイメージをするのですが、
堂々巡りで悪循環に嵌りそうでした。
その鬱積した思いを吐き出すことが、ウワー○o。.だったのでしょうね。
見ている家族は大迷惑だったことでしょう。
吐き出しても、偶然的に余裕が生まれるなんてことは無いのにね。



物理的余裕の無い時こそ自己を律しながら、生活の余白もしくは空間づくりに努めましょう!と、締め括りたいところですが、
時間に追われている皆様♡
少しの時間を見つけて立ち止まり、
ただひたすら冷静になることです。



こんな私が言えた義理では無いのですが、世の中の酸いも甘いも嚙み分けた?噛み分けつつある今だから言えるのですが…。



ついつい悲観したり物事を悪いほうに考えてしまいがちです。しかし、
自分を不幸にすることに 一秒たりとも自分の頭を使ってはいけません。



まだ起こっていないことで苦しまないことです。
苦しみの原因は現実世界にあるのではなく、心の中にあるのですから。



とね。



未だに…自分を労る時間を取ることは未熟で、唯一の空間と策は、アクビをしながら気分転換をはかることです。

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母の愛を求めて

日々、最も時間を浪費するのはどのような場合ですか ?



母の愛を求めて彷徨っている時。最も浅はかな時間だと思います。



すでに愛を受けているって言うのにね。



許せない相手を反面教師にしたとしても、間違った道を進みかねません。



どんなに上手に恨みつらみの心持ちを隠し通しても、自分に跳ね返って来ます。



大事な人との時間を大事にしていても、親への感謝が無ければ、その大事な時間から幸せは生み出されません。



自分が、遠廻りをしていたことに気づくことが大事です。



かなりの浪費だったと腑に落ちます。
すると、その時から始まります。



浪費にしてはならないと。自分の心を成長させる為にその時間はあったのだと。
求めるばかりでなく心を掛ける大切さに気づくのです。



浅はかな私。
コスモスが揺れています

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アメちゃん

食べた瞬間に子供の頃を思い出す食べ物は何ですか ?



カゴに入ったキャンディ♡
『お気軽にキャンディをどうぞ』の添え書きがあったとしても、なかなか手を出せないまるさんです。



手渡されてキャンディを頂くと、
私の存在を受け留めてくれてるって感じが嬉しくて美味しさ倍増です。



人は誰しも自分のことを見てもらいたいし、認めてもらいたいものですが、
私はキャンディを手渡してくれた気遣いだけで充分だと感じる時があります。



小学生の頃、まとまった休日が有ると山深い里へバスに揺られ、一人でお泊りに行くことがありました。
そこは父の郷里で、祖父母、伯父さん夫婦と3人の従姉、そして、独身の叔父さんも居て大所帯でした。



出迎えてくれた祖母が❤
「手ぇ出して! アメちゃんあげよ。もろた.もろた.言わんのよ。」
と。
節の曲がった指から手渡された飴玉が、殊の外 美味しかったことを思い出します。
真ん丸い大玉で放射状に白い線がある飴玉です。
個包装しているわけで無く、缶々に入っていたと言う記憶も有りません。





私が嫁いですぐのこと、



義祖母の昔話から、その大玉は義祖父のもとで修行をした職人(かつてのデチコ)が作った飴だったことがわかりました。
そして、山里の祖母のことも印象深く話してくれました。



義祖父は戦時中を挟んで40年菓子屋“音盛堂”を営んでいました。
義祖母はデチコ(丁稚奉公人)を連れ行商に出る毎日です。
売れゆき次第になるのですが月に一回は、リアカーを引っ張り山深い里まで足を運んだそうです。
すると、
「よう、来てくれた。」
と山里の祖母は、まんじゅう、大玉、カステラなどを買い求め、良いタイミングであることを毎回喜んでいたと言うことです。



祖父は68歳で亡くなり店を閉めましたが、技術と行商はリアカーを押していたデチコが継ぎました。



その数年後、まるちゃんの口にその飴が…。(笑)
「よう来てくれた。よかった。よかった。〇〇の孫が来るんよ。」
と、山里の祖母が小さな顔をクシャクシャにして職人から飴を買い求める姿が目に浮かぶわ.ワハハ.
と義祖母は豪快に笑い、昔話を締めくくったのでした。



音盛堂の大玉は、黒糖とザラメ糖と水飴を煮詰めたシンプルな黒飴です。独特な技法で白い線が付いていてまるで紙風船の模様に似ています。
手渡されたアメちゃんは、まさしくその大玉でした。



飴玉は人から人へ繋がり、未来の孫嫁(私)へ❤



求め 求められ
飴玉で繋がっていたという事実を知り、
ここへ嫁ぐことはあらかじめ決められていたと感じてしまうほどに しっくりくるアメちゃんでした。



運命的な縁を感じずにはいられません。

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私は

自分の好きなところは何ですか ?



人のせいにしない潔さがあります。



立ち直りが早いです。



経験して感じたことですが、
ちょっとした失敗を取り返しのつかない失敗だと過大に案ずることは、まずありません。
そこが好きです。

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