感情を乗せる

1日だけやってみたい仕事は何ですか ?



声優です。



”演じる仕事” 体の動きや表情を見せないで声で演じるお仕事よね〜。
声ひとつに沢山の感情を乗せるって難しそう。
一日じゃ習得出来ないけれど、やってみた〜い。



私が小さな子どもだったとき、初めてテレビが家庭に来ました。
設置場所は高い位置にあって正座で見ていました。
(今でも顎を突き出して画面を見入るので、その頃の名残りだと思います。)



記憶にあるのは、“リボンの騎士”、“ジャングル大帝レオ”です。
画面から飛び出すキャラクターは様々な感情を教えてくれました。



見る喜びよりもシンプルな画面の動きに合わせて声が出ていることが私には魅力的に映りました。
辺りに誰もいないことを確認して、聞いたばかりの言葉をつぶやきます。
調子に乗って段々歯切れ良く発します。
生き生きと活動する女の子に変身したり、孤独と戦い 仲間と語るシーンを真似っ子しました。
そして、段々大きな声を出すことに慣れてきたのだと思います。
当時は仕事として認識していませんでしたが、魅力的なお仕事ですよね〜。



高校を卒業し会社勤めをしている時、声優の道に進むにはどうすれば?と、チラッと…
本当にチラッと考えたことを思い出しました。



“タッチ”は結婚を決めた頃に流行っていたアニメですが、日髙のり子さんの声に似せて、浅倉南ちゃんを演じたりしていましたよ。




.



私は幼少の頃、偏った表情をしていたと思うのです。
話さないし話し掛けないし、一遍通りと言うのでしょうか…怯えを隠すかのように作り笑いをしている子どもでした。
一つ一つのリアクションも感情もこれで良いのかしら?と、いつも周囲を見て思っていました。



ところが、アニメのキャラクターの真似をするとどんな表現も可能になります。
体の動きや顔の表情までも豊かになったような気がします。
私は自由!ってね…☆”

.

出逢い

あなたの人生にポジティブな影響を与えた人についてのエピソードを教えてください。



子供達の成長を通して夫に感謝をしています。



僭越ながら、
妻としての役割は、意外とおろそかにしてはいけないことだったりして…。と、思うのです。



かつて、
思い通りにならない夫との生活を歪みだらけだわ!と悲痛に思い、共に生きていけない危機感がありました。
不協和音が鳴るたびに何度も何度も考えました。
子どもたちの打てば響く成長を垣間見るようになり、そんな歪みがあってもイイじゃない!って思えるようになりました。
歪みを笑い飛ばす度量で見えてくる世界は、どんなものでしょうと思えたのです。
自分は自分ですから、他者とくらべないで自分らしく生きましょう!我が家は世の中のマニュアルに合わせられない家庭だと開き直り、
発想の転換をし夫を認め心をおさめる努力をしました。



ポジティブに生きる先にあるものは、喜びでした。 
不安や憤りを越えて、それ以上に増してくる喜びは、もちろん家族の協力があってのことです。
子どもたちにとって大切な父親は、
出逢うべくして出逢った、私を成長させてくれる人です。



思いやって支えあって、
1年1年、楽しく大切に年を重ねていけたらと思うのです。




.



夫との出会いは決して良好とは言えません。



中学3年、後方の座席からちょっかいを掛けてくる男子生徒がいました。
私のセーラー服の襟ラインに沿ってペンで押し、少しずつツン.ツン.と移動します。
しかも予期せぬ場所で止まったりします。
気持ちが悪くて、イヤでイヤでたまりません。
私は止めて貰うために後ろを振り向くのですが、少年2人は「しらな~い」といった風にそっぽを向きます。
「何よ!どっちよ!止めてちょうだい!!」



そのうちの1人と専門委員が一緒でしたが、彼は専門委員会の出席を毎回サボります。
理由を尋ねると
「水戸黄門を見たいけん帰るんじゃ」
と、平然と言います。
クラスで選出されて責任が有るはずなのに、私の知る常識より遥かにぶっ飛んでいる人でした。



成人式を迎える年に そのぶっ飛んだ彼と銀行窓口で再会し、
これから一緒に過ごす大切な人と意識することとなり、
大きな転機を迎えました。



私の知っている家庭よりも、穏やかな朝が予想できました。
華やかでなくてもいい、楽しいひと時を 一つひとつ積み上げてゆく様子が想像できたのでした。



私が二十歳の頃に思い描いた家庭に、今、成っているでしょうか?

.

「選挙」は一人ひとりのためにある

政治選挙に投票しますか ?



私は、選挙に投票します。



人は、仕事、結婚、子育て、そのひとつひとつの選択で人生が変わってゆきます。



楽しさを望むか、充実している事を望むか、はたまた、刹那に流されるか、どの人生を選ぶかは自由です。



お一人様で頑張っても良し、子どもがいる生活も良し、パートナーと長年連れ添っても良し、どのような選択をしたとしても、現実は楽ではありません。



どのライフスタイルが平坦な道のりか、激しい変化があるのか人により様々ですが、道をまだまだ選べれる若い方々に後悔のない生活をしてほしいと思います。



どんな生き方を選んでも、生きていくことに希望が持てるように
整った環境(ゆとりのある生活資金や安定した暮らしぶり)を保障する国であって欲しいと思います。



その為には、10年先、いえ…せめてちょっと先のことで良いので考える余裕を持てるように、国民の提案が国に拡がるシステムが必要不可欠です。



となると、家族や地域、学校や職場など様々な場で暮らしている人たちが生活や社会をよくするために意見を反映させてくれる代表者が必要です。



その代表者を決めるのが「選挙」です。



「選挙」は一人ひとりのためにあるということです。

.

幸せな時間を過ごすことに意識を向ける

人生の方向性は何から得ていますか ?



人が育つには時間がかかります。
遠回りをしてきた私が気付いた人生の方向性は、
幸せな時間を過ごすことに意識を向けることです。



では、具体的には??と思うでしょう。



十人十色で…
趣味で心を癒やす。
資産運用に性を出す。
書物で知識を高める。
ジャンジャンバリバリ働く。
恋に目覚める。
etc…
色々ありますが、私の場合は簡単です。



上記を試しても幸せの意識がなかなか高まらない私でしたが、実は念じ方ひとつです。



良い環境を生み出す念じ方があります。



嬉しくて
楽しくて
豊かで
幸せで
生活はどんどん良くなる

と、言葉にしましょう。



幼少の頃から人と相対するのが怖くて、特に心の奥を可視化することに臆病でした。
拒絶される不安と…人を傷付ける恐れから、自分の感情を抑えていました。
歓びの感情やフツフツと湧き上がる得体の知れない感情などを笑顔で誤魔化す私が、子どもを慈しむことができるのかしらと…葛藤し、
自分の底しれぬ穴を埋めるように、大切に大切に子どもと向き合ってきました。
それでも子どもの手本にはなれず、どんなにハツラツと頑張ってみても、ふわふわ ゆらゆら 頼りないものでした。
全てに余裕が無く、安定や安らぎとか…安心を求める日々でした。



その経験で言えることは、
自分を許せないことを含めて 不平不満や苦しみの世界を念じている人は、自暴自棄に陥り苦しみの世界となってゆきます。
このままでは思い通りにならない現実とぶつかり続けることになります。



そこで私は、
自分が作り出す不安や苦しみを解き放つにはどうすれば良いのかと思案しました。
心も身体も軽くなる方法は???
と。
初めは「幸せのふり!豊かなふり!〇〇のふり!」で良いのです。
自分がどんなことを考えているか紐解けば、これからどんな運命となるのか分かると言います。
運を引き寄せる言葉を発しましょう。



つまり、
自分の人生を変えるためには、
幸せな時間を過ごすことに意識を向けると言うことです。



嬉しくて
楽しくて
豊かで
幸せで
生活はどんどん良くなる

と、言葉に出して心を満たしましょう。



これがかなり有効です。
不幸を呼びそうなときも
その言葉を唱えるだけで、良い環境になります。



皆さま、そうと知ったら、即 実行です。

.

ただただ感謝だよ

人生の支えになっている引用や、よく考える引用はありますか ?


「親子の関係は和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」



引用というのかどうか?
自分の生き様を語るにあたり外せない、何度も反芻した言葉です。



私は両親との間に距離を置いてきました。
母の愛を求める激しい感情を隠し、自分の記憶を封印し、
過去に素直になれない私は気丈にも許せない感情のままずっと同じ処にいたのでした。



今、飾らない私は健全だと確信したから書いています。



かつて、
両親相互に指図したりされたり、感情に任せて怒ったり、人の言葉を無視し勝手に構ってきたり体に触れたり、油断して心を許した人の心を傷つけたり、
そんな父と母の全てを忘れようとしました。
忘れた振りをしていました。



幼少期、どれが現実で、何が夢なのかわからない生き方をしてきました。
平常心で生きることが難しいほどの経験をしています。
その後も記憶を飾って生きてきました。
自分の奥深くに固く封印しているものがあります。
どんな事情でどんな事柄なのか詳細までは記憶から取り出さないようにしてきました。



私が二十歳の頃
「許せたらどんなに楽だろう。血縁がなければ求めなくてすむのに。苦しまなくて良いのに。これは一例だけど弟の事ばかりを言う母に腹が立つんよ。幼少の頃を思い出しては悲しくなるんよ。」
と苦しんでいる私に呉服屋の店主が言いました。



「許す日?許される日?まるちゃん、和解をしようと思っているの? 親子の関係は和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」



その言葉を幾度も反芻しました。



苦しみの根元は、私が父と母の愛を求めているからではなく、私が感謝を忘れているからです。
そのことに気付くまで何度も考えました。



父と母は、明らかに一所懸命生きてきました。
私は、両親を憎んではいません。
あらゆる角度から自分の寂しい心を捉えるようになったのは二十歳を過ぎてからで…
両親の思いが、新しく色々と見えてくるようになったのは、
さらに子育て期の頃でした。
母から生まれ今の私があることに心から感謝できるようになり、
理屈を通り越して苦しみから開放されたのは、壮年期と言われる齢になってからでした。



私は遠回りをしました。



今という時間を大事にして心から幸せな思いを起こし、感謝をしながら生きてゆくことが、幸せになる為に大切なことなのだとつくづく思います。

.