神棚



職場は神棚があります。
先週は神棚の清掃当番でした。



家庭を優先する私は、結果的に長期で勤めることが難しくライフスタイルに合わせて数々転職してまいりましたが、
その企業や団体のほとんどが神棚を祀っていました。



私は、神棚が何らかの役目を果たすと感じています。



(あっ、現職場での正式名は『給仕当番』と言われていて1週間の当番です。その内容は、ポットの準備、給湯室のシンク周りやゴミ箱の清掃、ドリンクバーの補充なども含まれています。)



私は派遣でココに就き10ヶ月を越しましたが、この当番が3度回ってきました。



出勤してパンパンと手を合わせて、榊の水を入れ替えます。
まさしく日本人の考え方ですが、
一本軸が通るというか、清々しい気持ちになります。
この当番は、自分を見直す良いきっかけにもなりました。



我が家にも神棚があります。
高身長の夫に合わせて鴨居が高いので神棚は更に高い位置に有ります。
それが主な理由で手入れが行き届いていなかったのですが、改めて明るく清潔にして祀りたいと思いました。






日本は神棚を祀る企業は多いと感じます。
社員の安全や仕事がうまくいくことを祈り、無事に過ごせる日々を感謝するためです。
日々の祀りを継続すること、つまり、
サスティナブル企業を目指すうえで神棚がその部分の役目を果たしていると、その明るい空間で働いている私は常に感じています。
となると、御神酒や榊の準備は、必要不可欠です。
その場を清掃し整えることは重要です。
すべてがうまくいく”習慣”だと思います。



お天道様が見ていますよ。(笑)

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経理事務員は消費?無益?

どんなときに生産性が最も高いと感じますか ?



“生産性”
最も縁遠い言葉です。



私生活で生産性を上げることを重要視してこなかったな〜〜〜。
なので最も高い生産性について的確な回答をできません。
でもね、
何事も苦にせず、やれるだけやってみよう。って心情!
実は生産性を上げていたのかな?



生産性とは効率の良さと捉えるのかもしれません。
ですが、家庭生活は最も非効率でありながら生産性があるように感じます。
何故なら私は一緒に暮らす人が求めるものをしっかり約束しています。
すったもんだの中にも快適な生産性があります。
需要が有れば人が求めるものを確実に約束することだと思います。



私の職歴は経理事務に携わることがほとんどで、何れの職場でも、如何に節約をして消費を抑えるか、経費節減を考慮していました。



かつて、
「生産性の無いヤツは、ハイと従ってりゃー良いんだよ。」
と、言われたことが有ります。
昭和のバブルが弾けた後を生き抜いた事務員は、皆さま、大なり小なり経験が有るのではないでしょうか。



経理チームの苦悩をご存知でしょうか?
決算報告書がまとまるまでの日々を“苦悩の冬”と例えた人がいらっしゃいますが、まさしくそれです。
厳しさと重責が交錯する中、黙々と数字と向き合い一年間の業績を集計し整理し評価します。
それを超えた先には企業の未来があります。
それがもたらす歓びを“新たな季節=春”と例えて希望を感じながら心を整えます。
経理の苦悩と春の香り、そのエンドレスが織りなす先には、必ず会社の成長があります。
その業務は、生産性とは無縁でしょうか?



時間と熱意を投じて人力を尽くしましたが、認められる実感はありませんでした。
私が携わっていることは無益なのかと悔しい想いをしたものです。
抗いながらも
ただ、邁進するほかありませんでした。
明るく元気に根気良く!!

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好きな絵文字は何ですか ?



受け渡し、掛け合いのコミュニケーションの真っ最中に
とかく使用する絵文字は、コレです。



数多い絵文字がある中、好感を持っています。



私にとっては、
「大丈夫よ」
「理解しているよ」
「会えて良かった」
「その通り!」
「その考え好きだよ」
「 幸せを感じるよ」
などの

想いを瞬時に表す手段です。

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犬が容赦なく襲い掛かってくる

最後にリスクを冒したのはいつですか ? 結果はどうでしたか ?



夫がサラリーマンを辞めて不意に帰ってきたのは、30数年前のこと。



私は家計に潤いを求めて新聞配達をはじめた。
担当区域の他に、配達員が休暇を取るための代替員となり幾つものコースを習得した。



リスクを負っても、結果は成功だった。
安心、安全、安定と言う“安”の字とは無縁かと思われるような生活だったが、
わずかでも決まった日に決まった額が確約されることは、子育て中の私には心が落ち着く唯一の時間だった。



そのリスクとは、犬との容赦なき戦いだった。



しとしと雨の降る早朝4時頃だった。
前日の昼間に覚えたばかりのコースをバイクで走っていた。
コースの終盤でナイロンを掛けた新聞が無くなった。
工業団地のポストは比較的新聞が湿りやすいので、残りの数件分をナイロン袋に入れる為に バイクを止めた。
すると、数匹の犬に囲まれた。
「ウゥーーーーーーー。」
と、うなる鳴き声。
暗がりの中 白く光る牙。
私を取り囲むようにじわじわ寄ってくる。
私はバイクにまたがり必死で走った。握ったグリップをしっかり回し速度を上げた。
犬達は容赦なく私の足首に次々襲い掛かってくる。
左足でギアを代えると即座に両足をVの字に広げハンドル程の高さまであげた。
私はその格好のままスピードを上げ直進するしかなかった。
犬の目線は、すきあらばいつでも飛びつこうと私の足に向けられている。
一番大きい犬が最後まで追いかけてきた。
何度目かの交差点を抜けると、ピタッと犬は追いかけてこなかった。
縄張りがあったのだろう。
私は犬たちの領域を荒らしたのだった。



逃げ帰った私は、あの区画に差し掛かったら立ち止まってはいけないことを所長から知らされた。
犬の必死の形相がいつまでも目に浮かぶ。
負けたくは無かった。
立ち止まるわけにはいかない。
しんなりした奥様では生きていけない。
もうちょっと強くなりたいと意欲が出てくる。



雨用ビニールラッピングをしてもらって、再度挑戦!
走行しながら足にパンと打ち付けた新聞を瞬時に片手で三つ折にして工業団地の塀に埋め込まれたポストに投げ込む。
犬のうなり声を聞きながらただひたすら突っ走り、その並び5件を届けて完配した。
工業団地を無事抜けた時、喜びが湧いてきた。



その後十余年、新聞配達は続いた。
何事も喜びが無いと前進しないものなのだろう。
リスクに魅せて魅了する喜びがある。
今となっては、なんとまぁ変な喜びだなぁと思う。

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責めるとき

どんなときに不安になりますか ?



不安はどこから来るのでしょうか?



「不安は外からやって来るのではありません。いつも心から起きるのです。
自分の思い込みから抜け出さない限り、人生を通して苦しみ続けることになりかねません。」
と、説法を聞く機会がありました。



不安は、
誰のものでもない誰の所為でもない自分の心が生み出します。



誰もが不安を抱えます。
私もそうです。
包み隠しているけれど、何らかの正論のもと、私は不安を持っています。



多くの方が、
「正義と道徳のある正しい行動をする」
その言葉に近い校訓であったり企業理念に身を置いて来たのではないでしょうか。



人は、自分を律しながら正しい所を探します。
正しい所に立っていなければ、自分は見捨てられる不安があるからです。



つまり、基本的な考え方を持っている人は、不安を持つと言うことです。



責める感情を自分の頭は一人称と捉えると言うことをご存知でしょうか?
正しい所に立っているはずなのに、人を責めている時は、自分を責めている時です。
見捨てられる不安がある限り、正しい所に立って自分を責め続けます。



その不安は早期に払拭したほうが良いですね。
その方法は、許すことだそうです。
他者を許すことで、自分の不安が消えると言うことです。



説法の終盤は、
「私は、あなたを許します。あなたは、私を許します。と、3回となえてごらんなさい。」
と、おっしゃいました。



自分の思い込みの中で責める感情が大いに不安を呼ぶと言います。
“許します”の言葉で、他者も自分も心は開放されるのです。



どんなときに不安になるのでしょう?
どうすれば良いのかわからない不安とか、思い通りに事が運ばない不安とか、物忘れによる不安もさることながら、人を責めることが自らを不安にするって、皆様ご存知でしたか?
さも道理が分かっているかのように書いてしまいましたが、
聞いたばかりの話が楽しかったものですからゆるりとまとめました。



日々、人を許し心を幸せにすることが人生にとって何よりも大切っと思います。

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