娘と孫は心を通わせている素敵な親子です。
私はその姿を見ていると安心します。
羨ましい〜とも思います。
今回、親子の関係性について思うことあり駄文を残します。
親が真剣にこちらの思いを伝えているのに子どもに全く伝わらない、言うことを聞く気配がない、子供に良かれと思って言っているのに逆に反発される……
子育て中は、そんなやりとりの繰り返しです。
親の意思や願いと異なる 子どもの言動には、子どもの言葉を反復し「あなたはそのように思っているのね。」と、つなぐ言葉に変換しコミュニケーションをはかったり、
親の意思にそぐわない態度を実況中継して「それで良いの?」「それほど苦しいのね。」と子どもに尋ねることで、幾分かイライラを寝かせてきました。
その方法で『私はあなたを見放してはいませんよ!』と、意思表示をしてきました。
それは、即の解決に繋がらなくても何らかの効果があったと思っています。
私の幼児期は、自分の気持ちを上手く言えなかったり表現できなかったり、母とのコミュニケーションは希薄でした。
母は私の目を見ることは無く、私の視線に下りて会話をすることもありません。
そして、私の想いには無頓着で、私の考えを尋ねることも無ければ、しっかり私の顔を見て話し掛けたり言い聞かせることもありませんでした。
母は何かしら忙しくしており作業をしながらであったり、私の弟に優しく接しながら私に指示を出します。
母の指示は私には伝わらず、言うことを聞く気配がないので母が怒りをつのらせていることを私は敏感に感じていました。
母は私の意思を聞くことは無く、母の勝手な解釈で周囲に代弁します。
それを聞いた私は「違う!違う!」と、声高らかに泣きじゃくることが多々ありました。
私は親を困らせる子どもだったのでしょう。母は疲弊していた様子でした。
なので母から心無い言葉が飛んでくるのは当たり前だったのかもしれません。
自分にはどうすることもできない母との関係性に、当時 生誕ななつ(7歳)の私は一生分の涙を流しました。
母の事情を子どもなりに考えて、達観と諦めから大人の顔色を見るおとなしい子どもになりました。
母の苛立ちや娘の気持ちを考えない言動は数年だったかもしれませんが、
私は愛されていないと感じ、見放され感を払拭できず、母と心を通わせた感覚が無いまま大人になりました。
私は、両親を反面教師として 子どもと向き合ってきました。
一度怒ると抑えが効かない血が通っていることを念頭に置いてきましたが、子どもにそれを隠し通すことは並大抵ではありませんでした。
母を責めること無く自分への戒めとしてそれらの経験を捉えることが出来るようになったのは、壮年期になってからのことです。
親の悩み相談を受けたり支援施設の記録を読む機会があったことから、
最近になり、私たち親子の経験は本当によくありがちな関係性であることを知りました。
親の諸事情で子どもへの思いやりが希薄になり会話が途絶えるとか、イライラが募ると抑えることができず子どもに当たってしまうなど…。
親が子ども自身をしっかり見ずに親の思い込みで子どもの気持ちを代弁してしまいがちであることも…。
親が解釈して代弁できるのは、親子のコミュニケーションが成り立っていることが第一条件です。
一瞬たりとも子どもの気持ちを踏みにじらないように気をつけましょうと、肝に銘じるのでした。
心を通わせる大切さ!
本来なら隠し処の古い経験をさらけ出しました。
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