置いてけぼり

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母の愛が重たいと 子供は本来の姿を見せません。

母の想いが軽いと 子供はサインを送ります。

どちらも子供にとって 苦しいでしょう。

子供を育てるのに必要なのは、言葉を掛けること以上に三度の飯!

子供を育てるには、当たり前のことを当たり前にする!・・・それが子供の未来を作ると信じています。それしかないようです☆

子供はどんどん成長しています。

母は置いてけぼりを再々もらっています。

子供と向き合い上手には なかなか成れそうもありません。

ただただ この子たちに会えて良かったと一人でほほ笑んでます。

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幸せな思いを起こし続け、心を込めて目の前のことに取り組むことが、幸せになる為に大切なことだと思います。

それが、私の憧れの生活です。
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真っ直ぐに

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我が家の子供たちは、良く走ります。

子供はいくら走ってもほとんど疲れないのだと思います。

お遣いを頼んだときも、友達の家に遊びに行くときも、田んぼを隔てた畦道でばったり出会ったときも・・・・・知らず知らず足が走るようです。

買ったものを見せたくて、私に「ただいま」と言いたくて・・・・・帰りもまた走ります。

元気良く闊歩する子供たちの姿を見ては、あの走り続ける自転車を思い起こします。

このまま真っ直ぐに、活力ある生活の入り口へ向かっていきますよう願っています。

自転車は、自転車操業という言葉があるように、不安定な状態の例えとされておりますが、私の中では、細々と生きている人達の堅実さを象徴しているように思えます。

不思議でしょ♪

幼少の頃に見たものや、そこで正しいと感じてきた考え方は、根本から変わることは無いのだとつくづく思います。

道に迷ったときは、フットワーク軽やかに!人生、軌道修正が利くことをお忘れなく!

と、

とかく真っ直ぐが大好きな私は、最近、自分につぶやいています。

プレゼント

ちっちゃなお布団

ドキドキ

長女はお気に入りの毛布(モウモ)が無いと生きてゆけませんでした。

眠いとき、怖いとき、痛いとき、

いつも顔の近くに置いて、抱っこして歩き回ります。

モウモを抱いた娘は、いつも穏やかな顔をしていました。

モウモに自分の想いを訴えていたのでしょうか。

汚れがひどくなったので洗濯した時は、

「わたしのモウモ~!」と泣きながら・・・

物干し竿の下で、乾くのを待っていました。

あまりの涙に、根負けして、まだ乾いていないモウモを竿から下ろし娘に手渡しました。

寝入ってからそぉっと手元から離し、また干し直す事が、それはそれは 大変でした。

双子(弟と妹)が生まれた頃、言葉が下手になり、変に甘えてみたり、

「だっこー」と ダダをこねたりしましたが、それは いっときでした。

「赤ちゃんの帽子はどれがいいかしら?」と尋ねたら、

母も思いつかないお散歩着をコーディネイトしてくれたり、

私の納得する見事なオムツ替えを再三してくれたり、

おっぱいを待つ もう一人のほっぺにモウモを当ててあやしてくれたり、

母にとっては、良く気のつく愛しい可愛い娘です。

双子がよちよち歩きをする頃、駄々をこねる双子の一人に 母は手を焼いていました。

おとなしく待つ双子のもう一人に あなたはモウモを譲りました。

お下がりとなったモウモは、いつのまにか磨り減って、ツルツルテンになりました。

覚えていますか?そのモウモ。

シルバニアのお人形さんのちっちゃなお布団になったことを・・・

ちっちゃなお布団を思い出し、家捜ししました。

あなたが愛したお人形さんに会いました。

モウモの在り処をあれこれと・・・朝になり 昼になり・・・☆

12日夜、やっと モウモがみつかりました。

  あなたを愛したお人形たち
お人形さんのモウモ
追伸 :
あっそうそう !
残飯の中・・・?と思っていた台所洗剤が、なんと 冷蔵庫の中から出てきました。
そんな母に、ほとほと愛想が尽きては困るので、しばらく内緒にしておきましょう…☆”
☆~☆~☆~

距離の広がりを感じて♪

我が家の双子は、未熟児でした。

小学校高学年になった頃 ようやく精神年齢が高まり、同学年の子供たちとさほど変わりなく生活できるようになりました。

体格は、中学生になってもまだまだ敵いませんが・・・。

保育園の運動会を思い出します。

母親の姿を一度見つけると しょっちゅう振り向き 私が見ていることを確認しながら競技をしていました。

いつも私を追いかけてくれているのです。それも二人。

右見ても 左見ても いつもどちらかの視線がビビっと まるで引力のように引き合うのです。

小学校の運動会では、それ程の引力は感じなくなりましたが、意外と普段お利口にしている次女のほうが こういった行事に ビビっと視線が引き合うのです。

私の目線を確認すると、とっても素敵な笑顔を向けてくれます。

ところが 父親の一喝を再々受けている次男は、私と目を合わすと退屈そうな顔をして 普段と違うこういった行事をまるで拒否しているかのような態度まで取るのです。

怒られる度に 脳の血管が萎縮しているのでしょうか。

脳細胞まで固まってしまい 笑わない退屈な人間に変わってしまうのではないかと不安でした。

よく笑う子供は誰からも良くしてもらい 得な性分です。

周りの影響で笑うことが少なくなった子供は 損な性分に化けてしまいます。

でもそういう損な子供の中に真っ直ぐで澄み切ったやさしさを私は感じることが出来ます。

母親の特権ですね。

私の不安を父親に何度話しても何度訴えても どうも判らないようです。

昨日の中学校の運動会では、次男との引力はどうも弱まっているようです。

母と子供の距離が、どんどん広がっている。自立していると思ったほうがいいのでしょうか。

今与えられている行事を真っ直ぐに取り組み、そして 元気良く走る姿を見て 次男も一人立ちしているなと思いました。

いつまでも「ちびちゃん」と呼んでいてはいけないと感じました。

😊

子ども達と距離の広がりを感じるこの頃です。

☆~☆~☆~

夕暮れ泣き

キラキラ

我が家の双子は 夕暮れ時によく泣いた

お腹がすいたから?

人が恋しくなったから?

ひんやりした風が 素足にしみるから?

風の透る夕暮れは 特によく泣き大合唱

母も途方にくれて泣きそうになったものだ

ちびの泣き声 あわわ~あわわ~

こちびの泣き声 ふわわ~ふわわ~

カラスも夕方よく啼いた あわわ~ふわわ~

いったいどっちが真似をしているの

月夜がせまる夕刻に オオカミもお空に向かって吠えるという

夜を迎える心細さは 原始的な感情かしら

それで 赤ちゃんも夕暮れ時に泣くのでしょう

ひんやりした風が 窓からそ~っと流れ込む

夕暮れ泣きをためらうと

その風が 殊更 人恋しく しみてくる

キラキラ
夕刻 ひんやりしてきたので 掛け布団を押入れから出してきました。
6枚のカバー掛けは 難なく はかどりました。
いつもなら邪魔をしてくる子供たちは 子供部屋でたむろして 銘々しなければならない事に専念していたのでしょう。
夫は外出。 只今、この家に5人も居るというのに・・・
秋の夜風を受けながら 今夜は ひとりのようで心細い。
昔読んだ育児書に
『 赤ちゃんは夕方の4時から5時に掛けて一番よく泣く それを夕暮れ泣きという 』
と書いてありました。
「夕暮れ泣き」と言葉にすると、何故か虚しくなったので子育てをするうえでは使ったことはありません。
今夜は 久しぶりに 「夕暮れ泣き」 と つぶやきました。
ちびも こちびも 夕刻の泣き声は からすと同じ泣き声でした。
 ふと啼くからすは最近ちっとも出会いません。
思い出すたびに考えます。 からすと一緒に泣いていたのかしらと・・・
赤ちゃんは 本能で周囲に合わせて泣くすべを身に付けるて居るのでしょうか。
月夜がせまる夕刻に オオカミもお空に向かって吠えるといいます。
オオカミは世界を調和する為に必要な存在と聞きます。
赤ちゃんにその原始的な本能があるのだとすると 夕暮れ泣きで 世界調和かしら?
まっ、そういうことで母は全てを受け入れましょう。
赤ちゃんは 泣くことで丸い世界を感じて居るのでしょう。
もはや“ 子育て回想日記 ”と なってしまったこのBlog 歳を感じますねぇ。
子供たちが巣立ったその後は いつ帰って来るとも知れない人を待ち、
風の透るこの部屋で 私はひとり何をするのでしょう。
夕暮れ泣き。

☆~☆~☆~