幸せな時間を過ごすことに意識を向ける

人生の方向性は何から得ていますか ?



人が育つには時間がかかります。
遠回りをしてきた私が気付いた人生の方向性は、
幸せな時間を過ごすことに意識を向けることです。



では、具体的には??と思うでしょう。



十人十色で…
趣味で心を癒やす。
資産運用に性を出す。
書物で知識を高める。
ジャンジャンバリバリ働く。
恋に目覚める。
etc…
色々ありますが、私の場合は簡単です。



上記を試しても幸せの意識がなかなか高まらない私でしたが、実は念じ方ひとつです。



良い環境を生み出す念じ方があります。



嬉しくて
楽しくて
豊かで
幸せで
生活はどんどん良くなる

と、言葉にしましょう。



幼少の頃から人と相対するのが怖くて、特に心の奥を可視化することに臆病でした。
拒絶される不安と…人を傷付ける恐れから、自分の感情を抑えていました。
歓びの感情やフツフツと湧き上がる得体の知れない感情などを笑顔で誤魔化す私が、子どもを慈しむことができるのかしらと…葛藤し、
自分の底しれぬ穴を埋めるように、大切に大切に子どもと向き合ってきました。
それでも子どもの手本にはなれず、どんなにハツラツと頑張ってみても、ふわふわ ゆらゆら 頼りないものでした。
全てに余裕が無く、安定や安らぎとか…安心を求める日々でした。



その経験で言えることは、
自分を許せないことを含めて 不平不満や苦しみの世界を念じている人は、自暴自棄に陥り苦しみの世界となってゆきます。
このままでは思い通りにならない現実とぶつかり続けることになります。



そこで私は、
自分が作り出す不安や苦しみを解き放つにはどうすれば良いのかと思案しました。
心も身体も軽くなる方法は???
と。
初めは「幸せのふり!豊かなふり!〇〇のふり!」で良いのです。
自分がどんなことを考えているか紐解けば、これからどんな運命となるのか分かると言います。
運を引き寄せる言葉を発しましょう。



つまり、
自分の人生を変えるためには、
幸せな時間を過ごすことに意識を向けると言うことです。



嬉しくて
楽しくて
豊かで
幸せで
生活はどんどん良くなる

と、言葉に出して心を満たしましょう。



これがかなり有効です。
不幸を呼びそうなときも
その言葉を唱えるだけで、良い環境になります。



皆さま、そうと知ったら、即 実行です。

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ただただ感謝だよ

人生の支えになっている引用や、よく考える引用はありますか ?


「親子の関係は和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」



引用というのかどうか?
自分の生き様を語るにあたり外せない、何度も反芻した言葉です。



私は両親との間に距離を置いてきました。
母の愛を求める激しい感情を隠し、自分の記憶を封印し、
過去に素直になれない私は気丈にも許せない感情のままずっと同じ処にいたのでした。



今、飾らない私は健全だと確信したから書いています。



かつて、
両親相互に指図したりされたり、感情に任せて怒ったり、人の言葉を無視し勝手に構ってきたり体に触れたり、油断して心を許した人の心を傷つけたり、
そんな父と母の全てを忘れようとしました。
忘れた振りをしていました。



幼少期、どれが現実で、何が夢なのかわからない生き方をしてきました。
平常心で生きることが難しいほどの経験をしています。
その後も記憶を飾って生きてきました。
自分の奥深くに固く封印しているものがあります。
どんな事情でどんな事柄なのか詳細までは記憶から取り出さないようにしてきました。



私が二十歳の頃
「許せたらどんなに楽だろう。血縁がなければ求めなくてすむのに。苦しまなくて良いのに。これは一例だけど弟の事ばかりを言う母に腹が立つんよ。幼少の頃を思い出しては悲しくなるんよ。」
と苦しんでいる私に呉服屋の店主が言いました。



「許す日?許される日?まるちゃん、和解をしようと思っているの? 親子の関係は和解じゃないんだよ。ただただ感謝しかないんだよ。」



その言葉を幾度も反芻しました。



苦しみの根元は、私が父と母の愛を求めているからではなく、私が感謝を忘れているからです。
そのことに気付くまで何度も考えました。



父と母は、明らかに一所懸命生きてきました。
私は、両親を憎んではいません。
あらゆる角度から自分の寂しい心を捉えるようになったのは二十歳を過ぎてからで…
両親の思いが、新しく色々と見えてくるようになったのは、
さらに子育て期の頃でした。
母から生まれ今の私があることに心から感謝できるようになり、
理屈を通り越して苦しみから開放されたのは、壮年期と言われる齢になってからでした。



私は遠回りをしました。



今という時間を大事にして心から幸せな思いを起こし、感謝をしながら生きてゆくことが、幸せになる為に大切なことなのだとつくづく思います。

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経理事務員は消費?無益?

どんなときに生産性が最も高いと感じますか ?



“生産性”
最も縁遠い言葉です。



私生活で生産性を上げることを重要視してこなかったな〜〜〜。
なので最も高い生産性について的確な回答をできません。
でもね、
何事も苦にせず、やれるだけやってみよう。って心情!
実は生産性を上げていたのかな?



生産性とは効率の良さと捉えるのかもしれません。
ですが、家庭生活は最も非効率でありながら生産性があるように感じます。
何故なら私は一緒に暮らす人が求めるものをしっかり約束しています。
すったもんだの中にも快適な生産性があります。
需要が有れば人が求めるものを確実に約束することだと思います。



私の職歴は経理事務に携わることがほとんどで、何れの職場でも、如何に節約をして消費を抑えるか、経費節減を考慮していました。



かつて、
「生産性の無いヤツは、ハイと従ってりゃー良いんだよ。」
と、言われたことが有ります。
昭和のバブルが弾けた後を生き抜いた事務員は、皆さま、大なり小なり経験が有るのではないでしょうか。



経理チームの苦悩をご存知でしょうか?
決算報告書がまとまるまでの日々を“苦悩の冬”と例えた人がいらっしゃいますが、まさしくそれです。
厳しさと重責が交錯する中、黙々と数字と向き合い一年間の業績を集計し整理し評価します。
それを超えた先には企業の未来があります。
それがもたらす歓びを“新たな季節=春”と例えて希望を感じながら心を整えます。
経理の苦悩と春の香り、そのエンドレスが織りなす先には、必ず会社の成長があります。
その業務は、生産性とは無縁でしょうか?



時間と熱意を投じて人力を尽くしましたが、認められる実感はありませんでした。
私が携わっていることは無益なのかと悔しい想いをしたものです。
抗いながらも
ただ、邁進するほかありませんでした。
明るく元気に根気良く!!

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好きな絵文字は何ですか ?



受け渡し、掛け合いのコミュニケーションの真っ最中に
とかく使用する絵文字は、コレです。



数多い絵文字がある中、好感を持っています。



私にとっては、
「大丈夫よ」
「理解しているよ」
「会えて良かった」
「その通り!」
「その考え好きだよ」
「 幸せを感じるよ」
などの

想いを瞬時に表す手段です。

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犬が容赦なく襲い掛かってくる

最後にリスクを冒したのはいつですか ? 結果はどうでしたか ?



夫がサラリーマンを辞めて不意に帰ってきたのは、30数年前のこと。



私は家計に潤いを求めて新聞配達をはじめた。
担当区域の他に、配達員が休暇を取るための代替員となり幾つものコースを習得した。



リスクを負っても、結果は成功だった。
安心、安全、安定と言う“安”の字とは無縁かと思われるような生活だったが、
わずかでも決まった日に決まった額が確約されることは、子育て中の私には心が落ち着く唯一の時間だった。



そのリスクとは、犬との容赦なき戦いだった。



しとしと雨の降る早朝4時頃だった。
前日の昼間に覚えたばかりのコースをバイクで走っていた。
コースの終盤でナイロンを掛けた新聞が無くなった。
工業団地のポストは比較的新聞が湿りやすいので、残りの数件分をナイロン袋に入れる為に バイクを止めた。
すると、数匹の犬に囲まれた。
「ウゥーーーーーーー。」
と、うなる鳴き声。
暗がりの中 白く光る牙。
私を取り囲むようにじわじわ寄ってくる。
私はバイクにまたがり必死で走った。握ったグリップをしっかり回し速度を上げた。
犬達は容赦なく私の足首に次々襲い掛かってくる。
左足でギアを代えると即座に両足をVの字に広げハンドル程の高さまであげた。
私はその格好のままスピードを上げ直進するしかなかった。
犬の目線は、すきあらばいつでも飛びつこうと私の足に向けられている。
一番大きい犬が最後まで追いかけてきた。
何度目かの交差点を抜けると、ピタッと犬は追いかけてこなかった。
縄張りがあったのだろう。
私は犬たちの領域を荒らしたのだった。



逃げ帰った私は、あの区画に差し掛かったら立ち止まってはいけないことを所長から知らされた。
犬の必死の形相がいつまでも目に浮かぶ。
負けたくは無かった。
立ち止まるわけにはいかない。
しんなりした奥様では生きていけない。
もうちょっと強くなりたいと意欲が出てくる。



雨用ビニールラッピングをしてもらって、再度挑戦!
走行しながら足にパンと打ち付けた新聞を瞬時に片手で三つ折にして工業団地の塀に埋め込まれたポストに投げ込む。
犬のうなり声を聞きながらただひたすら突っ走り、その並び5件を届けて完配した。
工業団地を無事抜けた時、喜びが湧いてきた。



その後十余年、新聞配達は続いた。
何事も喜びが無いと前進しないものなのだろう。
リスクに魅せて魅了する喜びがある。
今となっては、なんとまぁ変な喜びだなぁと思う。

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