
暇なので、台所に立つ時間が多くなります。
出産間近の娘と一緒に食べる食事は美味しいです。
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暇なので、台所に立つ時間が多くなります。
出産間近の娘と一緒に食べる食事は美味しいです。
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生活において、どのような細部にもっと注意を払うことができますか ?
私は、子ども達の姿を見て同じように楽しかったり、嬉しかったり、悔しかったり、寂しかったりします。
いつも、何か手伝いたいし役に立ちたいと思っています。
そんなお節介でこざかしい私は、細心の注意をはらって、意識をしなけらばならないことが有ります。
要らぬことは言わぬこと!
家族にたゆまなく心を掛けていく思いに蓋はできませんが距離感が大切です。
特に育児奮闘中のママさんにはつなぎ言葉(最後の言葉を繰り返しながら話をつなぐ 技)に徹することと肝に銘じています。
自称、子育て寄り添い人と言うのなら尚更です。
私の子ども達は、実に正直に話をしてくれます。
聞きながら…
私にできることは無いかしら?
と、あれこれ思いを巡らすけれど、
私は黙って〇〇ポロビール🍺ならぬ うなずきオカン(燗酒)🍶に徹します。
実のところ子どもの精神の働きは私以上に優れています。
私の偏った経験や私の小さな世界で解決を考えないほうが良い流れとなるように思います。
不安や正論を大義名分とせず、子ども達の頑張りをただただ見守って行きたいと思います。
それぞれの問題は、必要だから起こること!
それぞれの環境や社会が教えてくれることでしょう。
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明日の最優先事項は何ですか ?
明日の最優先事項は、ゆとりを持って孫を幼稚園へ送り出すことです。
里帰り出産の為に長女と3歳孫ガールが帰省しています。
今日は、広域保育で申し込んだ幼稚園の初日でした。
ママは園で別れた時もお迎え時もつーちゃん(孫)が緊張している様子に敏感になっています。
園から帰ってきたので「どうだった?」「今日は何したの?」と尋ねると「わかんない」って孫は言いました。
すかさず、具体的な質問をするようにママから注意を受けたので、「砂遊びした?」と尋ねると「うん」と答えが返ってきました。
そうよね〜。「どうだった?」「何したの?」という抽象的な質問には「わかんない」って言いますよね〜。
孫は“できなかった”と否定的に捉えているわけではないし、“わかんない”は悪いことではないわね。
ママの言う通り…
初日だもの!自分のしたい遊びを見つけたり、自分の思いを表現することがまだ出来ないよね。
人や場所に慣れていないので、自発的な言動が出来ないことは当然なことだと思います。
ママは娘(つーちゃん)のことにおいては兎に角繊細です。
ママからその後も助言が入りました。
「ばぁーばも気になるだろうけど、つーちゃんはママから聞かれる一度だけで十分だと思うから、明日からはあまり質問攻めにしないで🤫。」
と。
長女は細心の注意を払って子どもを大切に育てています。
私は、長女が得心するように「はい!」と、反省しております。
明日は、次女(孫からすれば叔母)が出勤前に孫を幼稚園へ送ります。
私は、朝7時30分までに準備を済ませて送り出すことに専念します。
夫の弁当作りもありますから、5:30に起床です。
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どのように努力から達成感を得られますか ?
あくまでも私の場合ですが、努力の結果や成し遂げた証には、達成感を覚えることはありません。
努力をすると何らかの成果を得ることができますが、成果を得るために努力を成し遂げると言う感覚は、私には思い当たらないのでございます。
成果に達成感を覚えるのではなく、努力をしている真っ最中に心が踊りこの上ない喜びとなることが多く有ります。
努力をする過程が楽しいから頑張るのです。
となると、
その過程を豊かな心持ちや楽しむ気持ちで歩んでゆきたいですね。
努力を成した後は、また新たな目標が待っております。
そして、そのエンドレスが世の常です。
成し遂げた後、それまでの過程に余情を感じるか?自分が笑い続けられるか?心から楽しかったか?
私にとっては、その点が重要のように思われます。
努力をして何らかの成果を得る…その繰り返しならば、そのループの真っ最中に、楽しかった!嬉しかった!心が踊った!と言うような、豊かな心持ちになりたいものです。
努力そのものが、楽しい!嬉しい!心が踊る!ものだとすると、その豊かな心持ちが達成感なのだと感じずにはいられません。
内角低めの変化球をホームランにする人がいれば、ど真ん中速球のストライクでも三振する人はいます。
チャンスがあったにもかかわらず私の人生は三振ばかり…努力の結果…成功したという経験に乏しい私からすれば、成功者にエールを送りニコニコ笑って生きていくしか手がないのでございます。
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