父の真実



私は迷子にならないように?自己の統合のために?
父との面談や母の日常生活を日記に書いています。
今日は特に大切な一日でした。
Blogにも残しておこうと日記をそのまま綴ります。




母はつーちゃん(3歳孫ガール)と父の面談を殊の外楽しみにしていました。
ようやく、母の願い通り父が入所している施設へ行きました。
松山から帰省中の長女母娘と次女と私と母の女性5人が、父と向き合って6畳ほどの洋間で談笑しました。



「さて!私は誰でしょう?」
「今日は何を食べたの?」
「散髪したん?男前になって〜!」
「オヤツ持ってきたよ。」
など、女性5人が交互に話し掛けますが、
父はそれらを無視してつーちゃん(曾孫)を目で追っています。
母が言うようにやはり幼児が好きな様子で終始笑顔です。



私達の話し掛けは全て無かった事になってしまいますが、
父は私とつーちゃんを見比べて指を差して「そっくりじゃ!」と、言いました。
父との会話は成立しないのに、自分が感じたことを発信できる力があることに感激しました。



父は、次女に抱かれたつーちゃんの指の先から腕をゆっくり擦り、何度も擦られたつーちゃんは眠ってしまいました。
「そう言えば、じぃちゃんは、私達の頭、腕、足をこんな感じに良く擦ってくれたね〜♬」
と、次女が思い出したように言い長女も頷いています。



え〜?意外です。
私の記憶には、母の顔色を伺いながらその反対の行動をする父しか浮かびません。



私は結婚して数年、浅はかにも父や母と距離を置いていた時期がありました。
第一子の乳幼児期、両親を頼ればもっと楽に平常心で生活できたかもしれないと、常々反省しておりましたが、私の娘たちには楽しい思い出が有るようで嬉しくなりました。



私の知らない父の一面や表現が他にもあるのかもしれません。
今日はその一部を見つけて微笑ましい父の姿として素直に感じる自分にもビックリしました。
私は、ボチボチ大人になっているのね〜。


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まるさん、大人になれる?

大人になったと初めて実感したのはいつですか (もしあれば) ?



親から距離を置くことで大人になったと思ったことがあるけれど、それは勘違いでした。
社会人になって責任とか潔さが身に付くということは大人の証とも思ったけれど、それは大人への階段を上っている一つの段階のようです。
私は、まだ階段の途中で大人になりきれていない自分を感じることがあります。



私の場合、親との関係性にポッカリ穴が空いていて親と距離を置いて生活してきました。
その穴は取るに足らないものなのかもしれませんが、塞がらないことには整わない自分がいます。
仕事も恋愛もうまく行かなくて嫉みや嫉妬の感情を持つと言いますが、その感情をほぼ理解できます。
切ないことに その感情をうまく処理できないのが現実です。
積もり積もった様々な妬み恨みをうまく処理できる方法はないものかと、自分に愛想を尽かしながらも葛藤してきました。




ある時、許す許されるといった方向性と違う所で、ふと😳遠廻りしてきたわ😮😄😆😁って感じたことがあります。
人との絆は、時間をかけて咀嚼しなければ深まらない時もあるんですね〜。



親の偏った表現を見ても微笑ましいと感じる自分を見つけた時、大人になったと実感できるのではないでしょうか?
微笑ましいと思う感情をを多々経験してみないと本当のところまだわかりませんけれど。



私にはたった一人の弟がいます。
優秀で可愛くて幼少の頃から一身に親の愛を引き寄せる人でした。
何かに付けて「良いよ〜♬」と弟が溺愛される家庭の中で、私は全て母の思い通りにしないといつも批判がついてきました。
親の突拍子もない言動や はちゃめちゃな現実に腹が立つし、悲しくなるし、狂いたくなります。だけど、
自信満々に生きている母親の気持ちを削ぐことはできず、自分を受け入れて貰うために精一杯努力しました。
そんな思春期、私は親の愛に気付くことはありませんでした。



見捨てられないように頑張った私ですが…私は母の所有物ではないし、母の元では 私は私で無くなると感じて、
一人で生きていけない私は与えられている環境の中で 親から距離を置くことを考えました。
独り住まいではなく結婚を選んだのでした。
夫は私を好きなように泳がせてくれますし、少なからず母より私の意思を尊重してくれました。
私は長い長〜い月日、親から距離を置いてきました。
頼りたい思いを振り切って生活したけれど、それでも大人にはなりきれていなかったんですよ〜。



Blogをはじめて17年、
傍目に自信満々に生きている母親の姿を見るのが嬉しい反面、
幼少期や思春期、そして、成人期、当時の言葉にならない苦痛と両親に求める激しい感情を 時折書いてきました。
私が母となり気づいたことがあります。
親子、兄妹、叔母と姪など、どちらの家庭にでもあるごくごく在り来たりな会話や振る舞いを見ているだけなのに何だか涙が出てきます。
そのような環境に浸り、嬉しいな。楽しいな。と、心が豊かになる自分を知りました。
家族だからこそ無条件で受け入れる深い絆があることを感じることが出来たのです。



それを経て、ようやくようやく
母から生まれ今の私があることに心から感謝できるようになりました。
一般に壮年期と言われる齢になってからのことです。



親の愛に振り回され傷付いているうちは、大人では無いと言うことです。
親の愛を気付かないうちは、感謝からほど遠い処を彷徨っている子どもだと言っても言い過ぎではありません。

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