早朝



30年前、20数年前、数年前の幾度か…


離婚の理由はいろいろなケースがあると思うけれど
十分に値する事象に苦しんだ。


早朝、テラス下の濡れ縁で6人分の洗濯物を干し終わった後、
今日の天気を予想しながら景色を見ていた。


前夜、
「何いよんぞ。ワシはシッカリアンタに夢中じゃ!」と夫。
夫は私から去るつもりはないと言う。


忘却の名人と異名をとる私ならでの特典は、どのような天候をも幸せに置き換えることだと考えた。


私は苦渋の決断をした。
悩むならやりきってみようと。


心と頭と腹と現実は違うけれど、
心に思うことも頭で考えることも腹にしまっていることも現実を受け入れて自在に整えることができると思っていた。
知らぬ存ぜぬ!
目をつぶるとき!
頑張った先に、我慢した先に、きっと素敵な世界が見えてくるかもしれない。


4人の子どもたちの心の安定と金銭的な余裕の為に夫の行為は無かったことにしようと決めて自分の心を偽った。


継続の決断をしたにもかかわらず30年前は、
私の人生を軽んじる行為に怒り、一途に思ってくれなかったことに傷つき私は完全に自信を失った。
鏡を見るのも嫌になりオシャレをする気もなく、そして誰にも会いたくない。
子どもと向き合うとき平常心を装うことは並大抵ではなく、
子育てに専念しながらも毎日苦しんだ。
夫が勝手に裏ぎり通しただけなのに何故か自分を責めてしまう。
私の言動や魅力低下の所為ではなく夫の弱さだと行きつくまで数年を要した。
ずっと誰かの役に立つことばかりを考えてきた私には、自分の為に生きていく切り替えは一筋縄ではいかなかった。
しかも軽く見られていた自分が自己肯定感を上げることは至難の業だった。


不貞行為を目の当たりにした20数年前、
表向きは感情を乱していない振りをしていた。
心の内は悩み苦しみながら自分の決断の落としどころを考えていた。
早朝この状況下でさえも洗濯物を干している。
自分がしなければならないことを少しずつ見つけて前に進んでいる。
一途に思ってくれなかったことは辛い出来事。だけどここで家族を終わらせる必要はないと思い直した。


夫の浮ついた遊び心なんて取るに足らないこと、私たちには育まなければならない使命が有るのよと心でつながる家族をめざした。
夫の機嫌ありきで幸せを感じることはよそう。
問い詰めることはせず、私のもとへ帰ってくる現実だけを見て、自分磨きに勤しむことにしよう。
裏切りをずっと考えるよりも自分で幸せを感じるような人生を作って行こう。
と、笑って 笑って 笑顔を作った。


今、思う。
私がさっさと見切りをつけることで、夫は自由に生きることができ さらに長く安堵した夫の未来があったかもしれない。


生前 夫に涙を見せたことが無い私が、
早朝、目を腫らして洗濯物を干している。


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