心を育む

どの分野の専門家ですか ?



私は、何者でも無いわ。(笑)



あえて言うなら、子育て寄り添い人です。



自称、子育て中の母親の味方であり、
子どもへの声掛けと心を育てる大切さを伝える言及者です。

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かつて、
保育士資格を取得しました。



園生活で子どもと関わり見守る大人として発する言葉に責任を持ち、これからの時間は子どもへの声掛けに全力で知恵を絞ろうと思ったのでした。



園では、保育士経験の浅い私の座学は無用でした。
「担任と保護者との信頼関係を築く為に貴女は寡黙に!」
「連続的な統一感と責任を保つため」
と、上司の指導はごもっともで、私は補助に徹し保護者への励ましになる言葉を発することさえもできませんでした。



子どもの心を育む力をココで得よう!
保育士の役割は、愛情たっぷりに育てること!
その分野を極めたいところですが、
無念にも聴力は低下し体力の限界を感じ退職しました。
実のところ、
私の居場所は、そこにはありませんでした。
自分が思う園の役割が筋違いであったことや矛盾を改めて感じました。



挫折ばかりではなく得ることもありました。
子育て支援は園の役割の一つですが、そこでの学びは、そのまんまのご家庭を受け止めることが何よりも大事!ということです。
質問が無い限り「こうすれば?あのようにすれば?」の提案は一切致しません。ご家庭の考えを冷静に引き出すことでした。
次に、子どもとの会話です。オウム返しがつなぐ言葉に変わる瞬間を数々経験しました。
子どもの言動に対して共感することが難しいと思う時は、子どもの言葉をそっくりオウム返しすることから始めると共感のコツを掴みやすくなるということです。



夢や希望は儚く散りましたが、保育士の経験は決して無駄ではなく、肯定的、受容的な関りが大切であることを学べたことが私の宝です。



もうお気づきの方もおいでになると思いますが、このBlogの場では、子育てについて私の想いが見え隠れしていることを感じることでしょう。
子どもの“ 真っ直ぐ ”を育んで行くことを主旨として…
大人の心の在り方が大切で有ることを言及し、心のおさめ方を綴っています。

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巣立ちゆく子どもと関わるとき

ロマンティックとは何ですか ?


歳を重ねる日々は平凡ですが、子ども達のワクワクの瞬間、好奇心、創造力は非凡です。
その世界は無限の可能性が広がっています。
その子ども達と気持ちが通い合うと超絶に嬉しいです。
子ども達の笑顔や言葉に触れ私の感情がささやかに揺れ動く様子こそがロマンティックなのでしょうか?



私自身は永遠の記憶になるほど、気の利く言葉を発することは出来ないし、
もちろん目に焼きつくような仕草なんて土台無理な話です。
非日常の美学や甘い情緒は、時にして画像や書籍で好んだり望んだりはするものの、
私には、視覚・聴覚・嗅覚ともにロマンティックと関わる美は備わっておらず、その響きや繋がりさえも無縁と言っても良い程です。
ロマンティックがどのようなものか、表情と行動、そして言葉でさえも表せず、もちろん文章での表現もできません。



ところが、巣立ちゆく子どもと関わるとき、私の世界は一変します。

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『難』が『有る』から『有難う』

感謝の気持ちをどのように伝えますか ?



伝え方…



『ありがとうございます』
と、心からのお礼を言葉にして伝えます。



心意から言えるかな?
ストレートに言えないよ!って時、ありますよね。



あるところに名言があります♡

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『難』が『有る』から『有難う』ですね。
『苦しい時こそありがとう』ですね。



一番 目に触れる処に『ありがとう』の名言があります。苦しい時にも目に付きます。
「有難う」の言葉は『まっすぐな心』と言う意味なのでしょう。
感謝の気持ちを表現することが難しい時こそ、私の人生を豊かにしてくれて♡『ありがとう』ですね。

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「難」が有る人生を「有難い」と思いましょう。
「難」に遭っても不幸だと思わずに、試練を乗り越えることの喜びを感じてみましょうという教えなのでしょう。

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最大のピンチ

将来、最も心配していることは何ですか ?



あなたの強い口調は人を傷つけるわ。



私は嫁いでこのかた、夫と快適な会話が出来ません。



想いを寄せている2人がベッドの上で、時には満天の星空を眺め取り留めのない会話を続ける状況❤
私にはその経験、ナイナイ❗



夫は端的な話を好みます。
私の考えや想いに無頓着です。
自分の決断が最優先です。
自分の目で確認した事しか信じません。



それでも、私としては子どもたちの成長を喜びあいたくて会話を試みます。
私の話は、ちっとも長くは無いのですけど…
「あったままを 聞いた通りを言え。」
と、話しの最中に夫は横槍を入れます。



私の短い話しで、夫が如何に事実通りを理解できるか、毎度思案しています。



考慮して自分の考えを言おうものなら皮肉を込めて
「オォおう、アンタはいつもそうじゃけんの。」
と。



私が経験し考察する今の感激も将来の天望も夫には伝わりません。



悲しいものです。



私は夫をぞんざいに扱ったり言ったことなど一度もありませんが
「アンタはワシを尊敬しとらんが、ワシを立ててくれる人は大勢おるんぞ。」
と、お門違いにも斜に構えるのでした。




普通に会話をしたいだけなのに悲しくなってしまいます。
何かやましい事があり ご自分を正当化させたいのでしょうか?
そうなると私は遠慮がちに尽くす態度を取るしかありません。



女性を軽視した物言い、ため息、視線や揚げ足の取り方、
本来は優しい人なのにそのように生きるしか無いトンチンカンな人です。



夫は、正しい会話と狂いの無い生活リズムを重要としています。
私は、正しい会話と狂いの無い生活よりも大切にされることを求めているのです。
どうやら私は、正しいか否かということよりも、大切にされているか否かを感じるセンサーが強いようです。。。



子育て期、夫に嘘つき呼ばわりをされたと感じ、そして孤独を感じて、さらにどんなに努力しても共感を得ることがないだろう未来に失望し、私は手にしているモノを自分の腹に向けたことがありました。
親子の愛、夫への愛。私は一杯の愛をそそいできたはずですが‥‥。
こうなると本末転倒ですね。



今後、夫の機嫌次第で私の中でおさまりがきかず驚異的な経験値を越す恐れがあるやも知れず、その最大のピンチをどう沈めるかが課題です。



この先、無事に夫と妻の関係を添い遂げることが出来るでしょうか?



私の堪忍袋の緒が切れる日が来ないよう、
これまで通り、自分の機嫌を自分で取りながら過ごそうと思います。

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謙虚な人柄

偉大な教師の決め手は何ですか ?



偉大な所に立っていない先生です。



お手本を見せて下さるのは良いのです…
できる所に立っている先生が目の前に居らっしゃると 不安が生まれます。



できる所に立っていない先生は偉大です。



育ちの関係上 男性に恐怖を抱いていた私にとって、威圧感の無い先生は とても安心できる存在でした。
今思えば、
ここに居て良いんだな〜って思わせてくれる点が、重要なポイントだったのだと思います。



中学時代にN先生、高校時代 にI先生、素敵な担任教師に巡り会いました。
控えめな方で優しい物言いで、信頼のおける謙虚な お人柄でした。
尊敬を申し上げております。

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