気まま


ほんのり冷たい外気が程よい感じです。


脚立に腰を掛けようとして…


あらっ😳カマキリさん!


私の御尻で足を痛めるところでしたよ。


昨日はそこのハンガーにいましたね。


何処にでも出没するのね。


気まま加減は、私と同じ。



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今、洗濯物を干している片手間に脚立に腰掛けて母とLINEのやり取りをしています。



母はスマホを購入し覚えばかりの操作で、平仮名ばかりの たどたどしい文面を私に送ってきます。



さて!
職安の給付申請日なので昼から出掛けます。



気合を入れて、就活をはじめましょう!
気ままで居られるのは今だけかもしれません。

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息子を溺愛する父と母

ご両親は現在のあなたの年齢のとき、何をされていましたか ?



両親が還暦の頃でございます。



父と母は、彼らなりに一所懸命生きていました。
ひたむきに働き預金残高を増やす喜びと息子を溺愛することに邁進し、自信満々に生きていました。



そして、当時の私は35歳。
母親の愛を求め 父親の曖昧な視線は過去のままならない苦しみを呼び起こし、それらから逃れるように長く両親との間に距離を置いていました。
ですが、子ども(年長児:3人目と4人目が双子)の保育園のお迎えを頼るまでに心が落ち着き長い長い思春期の終息を向かえていました。
私は夫のテゴをしていましたが工事は予期せぬこともあって定まった時間に終わることが難しい時があり、父と母を頼らざるを得なくなったのです。



両親の愛を一心に受けている弟(マルヤ)は、
生計の立て直しを考え第一子が生まれたことを機に両親と同居を始めました。



ある日、母から電話がありました。
「マルヤがまだ帰ってこんのんよぉー。そっちに遊びに行ってる?」
「消えた!靴箱、タンス、食器棚の中が空っぽ!マルヤ達の物が無いんよ!」
「朝は普通だったのに‥‥。私には何の相談もない!」
と、夕刻から夜が深くなるまで再三に渡る母の動揺を聞きました。



3ヶ月の同居の末、弟家族は秘密裏に家を出て行ったのでした。



弟の苦しみは私の耳には入ってきませんでしたが、弟家族は自由を求めて失踪したのでしょう。
両親の干渉し過ぎで、束縛から解放されたかったのでしょう。
母はお嫁さんに無頓着で感情のまま家族を誘導していましたから。
父は母親の感情に同調しそそのかされながら独裁的な振る舞いをし、それ以上に厄介なのは、お嫁さんへの良からぬ思いが見え隠れする視線でした。
弟家族が思いを伝えても何一つ通らなかったことは感じ取れます。



息子が自分のもとから離れた喪失感で悲痛な日々を過ごしたのは束の間で、
居所を知った母は、凝りもせず手料理を持って足繁く弟の住まいへ通っていました。



その後も母は私の意を汲むことはなく
「マルヤがネ〜❤マルヤとネ〜❤マルヤのネ〜❤」
と話し掛けてきます。



母から生まれ今の私があり、両親には心から感謝しています。
お題が出て丸一日、私が感じていることをそのまま書いて良いものか考えていました。
自分の思い通りに快活に生きている母に申し訳なく感じ‥。
いえいえそれより‥‥
私のミエ・マネジメントが働いたのでしょう。



今、私は健全です。飾らない私も私だと確信したから書いています。

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空を仰ぐ透かしほおづき

ご自身の伝記があるとしたら、どんなタイトルでしょうか ?

誰もが一冊の本になるような人生を送るものらしい。

私の人生は、何処をどう切っても主役じゃなくって脇役です。

脇役も趣があってそれはそれで必要な存在でしょうけれど。

そんな脇役自伝あるかしら?

主花を盛り立てる役と言えばカスミ草や枯れ木が思い浮かびます。

タイトルに『カスミ草』とか『枯れ木』とか付けてみました。

いやいやいや、枯れ木じゃ〜ない方が良いような気がします‥‥‥笑 )

カスミ草の花言葉は清純、無邪気‥‥私とは程遠いですね。

『カスミ草より図太く』『枯れ木に花を咲かせましょう』

うなずく人も ふふって笑う人も ぼちぼちいらっしゃるかもしれないけれど、

私の自伝は酷評でしょうね。

酷評だと思いながらもタイトルを必死に考えてみます。

以前、

庭で瑞々しさを通り越した透かしほおづきを見つけたことがあります。

何故か親近感を覚えました。

シーズンを幾つも幾つも越して、それでも『空を仰ぐ透かしほおづき』です。

私は、それかも知れません。

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親ごころ



今日のおやつは、もち吉の『いちごチョコ ちょこあられ』です。



ちょこあられを頂きながら、誰かとおしゃべりするように、どうでも良い話しをBlogに綴る私です。



いちご風味とあられの食感が疲れを吹っ飛ばしてくれました😊✨



あらっ!
わたくし‥‥疲れてたの?
体力?体力があって疲れを知らないはずだったのですけど。
そのように言い聞かせていただけなのかもしれません。



先日ようやく一休堂のリラクゼーションを受けて、ゆる~く楽になりましたが、
元日から5日ほど慣れない場所で寝てからというもの私の腕が.肩が.背中が.ガチガチでした。



でもね。
気になるのは自分の体より娘のことです。
やっぱり娘が大切だからこそ孫がたまらなく可愛いのです。



「今から松山へ行くよー」
と、再三言う私に
「大丈夫!来なくてイイ!」
と言い切っている娘は、段々強いママになっています。

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実はね。
元日の夕刻、夫が熱を発症しました。
診察も検査も受けていませんが、なにがしかのウイルスを想定して、それから5日間 夫を隔離しました。

生後1ヶ月の赤ちゃんを含め里帰りでウチに居る娘家族が罹患することを恐れて家族で精一杯の環境を作りました。
母娘になにがしかの疑うような症状はなく夫の隔離は成功し、来たときよりも一人プラスの母娘たちは無事に松山へ帰ってゆきました。

娘家族4人の生活が始まったとたん、4歳ガールは発熱はないけれど異様な痰と鼻水を発症し、その数日後にはパパが発熱しコロナ陽性と相成りました。
(4歳児とママは昨年8月コロナ発症)

娘は松山へ帰宅してそうそう2児連れの待ち時間1時間の耳鼻科受診に緊張し、パパの隔離とともにワンオペ育児が始まり、濃厚接触者としての生活は疲労感がマックスだったことでしょう。

今思えば、元日のなにがしかのウイルスは、コロナを疑わずにはおれません。




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豆まく角には福来たる



安養寺は350年程前に建立された お寺です。
そのお寺の阿島大師堂で2/3 節分護摩法要がありました。
住職がおつとめをしてくださり事前に申し込みをしていた方々の身体健全、開運厄除などを一緒に祈願しました。


帰り際には、干支の御婦人達が豆まきをしてくださり、飛んできた豆を沢山 受け取りました。


両手いっぱいの小包装の豆をその日から今日まで出会う人に渡しました。
仏に供えたあとの「お下がり」は、縁起が良いものなので、皆様快く受け取ってくださいました。
残り一個を受け取った一休堂の店主は、
「残り物には福があるって言うね〜」と、ひと言ゆってくださりホッとしました。
ご利益のある豆を無駄にしなくて良かったわ。
家族だけでは食べきれなかったわ。




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