息子を溺愛する父と母

ご両親は現在のあなたの年齢のとき、何をされていましたか ?



両親が還暦の頃でございます。



父と母は、彼らなりに一所懸命生きていました。
ひたむきに働き預金残高を増やす喜びと息子を溺愛することに邁進し、自信満々に生きていました。



そして、当時の私は35歳。
母親の愛を求め 父親の曖昧な視線は過去のままならない苦しみを呼び起こし、それらから逃れるように長く両親との間に距離を置いていました。
ですが、子ども(年長児:3人目と4人目が双子)の保育園のお迎えを頼るまでに心が落ち着き長い長い思春期の終息を向かえていました。
私は夫のテゴをしていましたが工事は予期せぬこともあって定まった時間に終わることが難しい時があり、父と母を頼らざるを得なくなったのです。



両親の愛を一心に受けている弟(マルヤ)は、
生計の立て直しを考え第一子が生まれたことを機に両親と同居を始めました。



ある日、母から電話がありました。
「マルヤがまだ帰ってこんのんよぉー。そっちに遊びに行ってる?」
「消えた!靴箱、タンス、食器棚の中が空っぽ!マルヤ達の物が無いんよ!」
「朝は普通だったのに‥‥。私には何の相談もない!」
と、夕刻から夜が深くなるまで再三に渡る母の動揺を聞きました。



3ヶ月の同居の末、弟家族は秘密裏に家を出て行ったのでした。



弟の苦しみは私の耳には入ってきませんでしたが、弟家族は自由を求めて失踪したのでしょう。
両親の干渉し過ぎで、束縛から解放されたかったのでしょう。
母はお嫁さんに無頓着で感情のまま家族を誘導していましたから。
父は母親の感情に同調しそそのかされながら独裁的な振る舞いをし、それ以上に厄介なのは、お嫁さんへの良からぬ思いが見え隠れする視線でした。
弟家族が思いを伝えても何一つ通らなかったことは感じ取れます。



息子が自分のもとから離れた喪失感で悲痛な日々を過ごしたのは束の間で、
居所を知った母は、凝りもせず手料理を持って足繁く弟の住まいへ通っていました。



その後も母は私の意を汲むことはなく
「マルヤがネ〜❤マルヤとネ〜❤マルヤのネ〜❤」
と話し掛けてきます。



母から生まれ今の私があり、両親には心から感謝しています。
お題が出て丸一日、私が感じていることをそのまま書いて良いものか考えていました。
自分の思い通りに快活に生きている母に申し訳なく感じ‥。
いえいえそれより‥‥
私のミエ・マネジメントが働いたのでしょう。



今、私は健全です。飾らない私も私だと確信したから書いています。

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