あったまるかな?

人の人生を知ると
自分のことのように重くなります。

支援は奥が深くて…まだまだ慣れない職場です。

私の知恵や知識では解決できないことに直面し過ぎですが、寮長が指揮を取って下さるおかげで、自分がどうすれば居心地が良いのか、だんだんわかってきたような気がします。

ここで暮らす人と話をしながら 相手が求めることに焦点を置く、その会話術を実践で学ばせてもらっています。

利用者のこれから先のことをあまり思い煩わずに、淡々と向き合えたらどんなに楽でしょう。

ただ、仕事をとおして味わうドキドキ感が、ひとつひとつ収まる度に、私はご褒美をもらったように嬉しくなります。

ここは、ちょっぴり疲れて固まってしまった暮らしぶりに感じます。私が年齢を重ねているからでしょうか?人は自分を写す鏡なりと言うでしょう。もっと活気を起こす術はないものかと思います。この世界をほんの少しだけでも、ほぐせたら、そんな思いで働いています。

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今日は、空いた時間に職場ののれん風目隠しを作りました。

目隠し暖簾

リボンを付けてみました

先日は、デスクを囲った中央にあるティッシュボックスに カバーを作りました。

殺風景だったところが、ちょっと温まった感じがします。

カバー①

カバー②

数日前は、脚立の上段に立ち 老木に片腕を絡めて 片腕で手ノコを引き その大木を伐採しました。

首や腕が ガッチガチです。

ちょっぴり無理をしてでも 居心地が良くなるのならと 思っています。

今日は、伐採した枝を 細かく切り 処分しました。

廃棄

一寸先が見えない時

職を無くしたー。
一寸先が見えない。

私は、未来を思い描いて、この数年半端ないほど努力した。
未来を見つめて ジャンジャンバリバリ ただただ頑張った。
だけど、
その未来は、道半ばにして無謀にも崩れた。今、何も残っていない。
想いの丈を注いだが、園児の柔らかいお尻もほっぺも 今この手に触れることは無い。
小さな子どもたちのそれぞれの成長を喜んだあの時間は貴重だった。
組織に染まる事は、簡単ではないとつくづく実感している。

夫は、組織に依存せずに生きている。
心乱れることなく貴重な時間を自由に生きている。
私は、それを羨ましく思いながら 尊重している。

友人Sから誘いを受け、ランチにいってきた。
友の私的環境は、半年合わない間に悲喜こもごもであったが組織の中で公平に立っている。凛とした姿はカッコイイ!

彼女の言葉を振り返ってみた。
彼女は硬い言葉は使わないけれど、要約すると下記のとおり。
「何が間違いか?何が正しいか?自分の意思は大切にしなければならない。が、人と接するときは、関係ない。職場では自分の思い以上に、目の前の人の喜び悲しみが重要だ!多勢に無勢のときこそ、勢の権力の暴走は許してはならず、まずは、常に少人数の意見をも聞く姿勢を持たなくてはならない。心に余裕を持ち、次に公平に視て、指摘し、是正していかなければならない。」
と。
母ちゃん的思考を持つ人だ。立場をわきまえながらも公平な人だ。

彼女は私との会話で“日々のよしなしごと”を語れるので嬉しいと言ってくれた。
私も好きだなー。これから先もこの友と会える時間を大切にしたいと思う。
そうね~。そうね~。とうなずきながらコーヒーを飲んだ。

私はシンプルに生きたい。
一寸先が見えない。暗いトンネルで孤独になるな!
一寸先が見えない時だからこそ、軌道修正をしなくっちゃ!

さー、80㎞離れた長女のもとへ 数日行ってきます。

職を失った今、コロナ事情を気にせず心置き無く行けるわ。

 

 

趣味就活、特技退職の私


結婚して30年近く、子育て、家事、家業、仕事、いずれも手を抜かず精神状態を何度も立て直し頑張っています。
仕事をしていない今は、腑抜けです。
「仕事に就かず趣味を極めたら」と、夫は言ってくれますが、その趣味も何をしたら良いのやら?
自分が何をしたいのかもわかりません。
一度立ち止まってしまうと、仕事を得ることが怖いとさえ思っている自分がいます。

自分は、人を傷つけることに臆病ですが、仕事となると度胸が座っています。長年事務職に携わっていますが、大胆な割にすっきりするほど流れの良い仕事っぷりや 綺麗な出来映えとか 見晴らしの良い人間関係に拘っています。
何度転職をしても、その処を頑張り通す自分に、ほとほと愛想が尽きるのですが、そう言う生き方しかできないのです。

明るく元気に根気よく ただ闇雲に頑張っていると、社内間が回っていないと感じてきます。そして、清く正しく美しく尚一層励むのです。
気付いて欲しいアピールのような祈りでもなく、他者への依頼心でもなく、その姿を公で実行することで自分の人生を良くしようとしています。
それが、自分の生き甲斐なのかも知れません。

ところが、良くなるどころか苦しむことになります。この苦しみを乗り越えたら仕事(人間関係を含む時もある)が順調になると思って頑張り続けてしまいます。

頑張ることで幸せになれる訳では有りませんが、何故こんなに頑張るのかと自分に問いかけてみると、自分自身の生活を豊かにする為だけでなく、自分の価値を高めようとしている自分に気付くのです。

自分の価値を高める必要がないのに頑張っていた理由を考えると幸せになりたい一心でした。何をしたら幸せになれるか冷静に考えてみると、心から幸せな思いを起こし続けてゆくことが幸せになる為に大切な事であり、余興を楽しむ如く仕事と向き合うことが大事だったと反省するのです。

すると、自分は間違った方向に進んでいると感じるのです。ここを永遠の居場所にする手立てはとっくに無くなっており、ここは自分の居場所では無かったのだと言い聞かそうともするのです。

これでは幸せな思いを起こし続けることができないと思ったから転職をし、自分の決断で退職をしたのだと…そのように自分の意識を変えてみると、退職という結果になったことを苦しまなくて済みます。

自分にとって幸せだと感じられる職は必ずあると思うのです。
それを見つけるまで粘り強く探し続けることが大事なことなんだと思います。

自分の価値を高めなくて良いのです。自然体で良いのです。フラットな感情で心から幸せな思いを起こし続けてゆける職に就く日が来ることを哀願しています。私には、職に就くことがとても重要なことで幸せになる為に大切な事だと思えて止まないのです。

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フラッシュバック


自分の意志に反して、ある記憶が 突然 鮮明に思い出され、手元が進まなくなる経験を幾度かしたことがある。
これをフラッシュバックと言うのか!と、認識出来たのは1年後で、

無情』 ←2015年1月のBlogにその断片が見える。


今、ようやく冷静に振り返ることができるようになった。
彼はいったい、どんな苦しみを抱えていたのだろうか?

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2014年1月、某地方銀行に派遣で勤め始めた。

入行して間もない夕刻のことだ。
私は、雑巾を排水口に流してしまった。
クズ受け皿と内部のキャップが排水口に何故かセットされていなかったのだ。原因は、その状態を確認していなかった為だった。

上司の反応は私の想像を超えていた。
「どうしてそのような失態をした!」と、緊迫感のある声で直属の上司から質問を受けた。理由を尋ねて下さったので、背筋が凍りそうになりながらもきちんと事の次第を述べようとすると「言い訳をするな!」と、お叱りを受けた。

それでもナオ「どうしてだ!」と、大声で尋ねるので、自分が考察する原因と改善点を伝えようとするが上司は聞く耳を持たなかった。

万事は確認が大切という教育か?謝罪の訓練か?考えることの指導か?とも思ったが、そうではなく、何らかの仕打ちのような雰囲気だった。上司の意図は、理解不能だった。

顔面が蒼白になり、みぞおちあたりが張って息苦しかった。1時間余りフロントガラスに背を向けてロビーで起立をしていた。

自分の確認不足です。申し訳ありませんでした。以後気をつけます。
と、何度か謝罪をしたが、「違う!ちがぅチガゥ!」と、連呼し鋭い眼光を向ける。上司の責める目から逃れても、私の緊張が解けるには随分時間を要した。

善意の指導であると信じたいが、口調も顔面も終始恐かった。

恥ずかしい話…前半の問答の時か?善意とは違う!と気づいた時か?どのタイミングだったか定かではないが、上司の叱責とともにプチッと漏らしてしまった。汗だと思いたいが、肌着は微かな臭いとともにシットリ濡れていた。

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月は薄雲を通して 

月は薄雲を通して笑っていた。

ひんやりと冷気が頬をかすめる。

夜風を受けて私は揺れ動いていた。

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午後から来ていたパートさんが、8月末日、一身上の都合によりたった半年で退職した。

良きパートナーとなるはずだった。

私は、入社して2年3ヶ月。

考えることや覚えることがたくさんあって、一度に抱え込む任されごとは、自分のキャパシティを完全にオーバーしている。

職場の速度や調子などは速く、片時もゆったりとしておれない。

これからもこんな忙しさが次から次へと間断なく続いていくのかな。

忍耐と努力の限界を感じる。 老化の前兆なのかしら。

そう感じながらも
ときどき思うんです。あなたが必要だって言われたい。もっと役に立ちたい!

心が折れそうな職場の凹凸・・・そんな本能的な事を巻き絵にしても2話や3話で仕切れるものではない。

綺麗に書ける自信など全く無い。

隠しておかなければならない事がある。隠しておかなくっても、言いたくない事もある。

でも、ちょっとつぶやいてみる。

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暖かい社風の会社に勤め直したいなぁー。

走る人