テゴ

夫のテゴに来ている。

久しく手伝っていないので、部材を持つ手が、脚立に股がる足が、こわばっている。

「高いとこ平気な妻で良かったね。」と言うと、

『のせたら何処までも上るけんのう。』だと。

まるでアホやんか。

そりゃ~、ワタシうぬぼれで生きているようなもんだからね。

テゴ

花と涙と娘と彼氏

 

娘の結婚式を終えた翌日、午前9時頃松山のホテルを出て 少々の混雑があったけれど昼前に新居浜へ帰ってきた。

次男の運転する車中、汽車の時刻表を気に掛け家路を一番急いでいた末娘は、久しぶりの我が家だと言うのに帰ってくるなり何処かへ出掛けて行ってしまった。

私の黒留袖や末娘の振袖、そして次男のスーツをそれぞれの洗い屋さんに出しに行ったあとは、

披露宴で貰った花を生けながら…

あー、長女が嫁いで行っちゃった。静かになってしまった。

と、しんみり…

夫と二人、「お早う」「寝るで…」と朝晩の挨拶をする程度の生活がはじまるのね。

と、力の抜けたようなため息

そこへ、なんと なんと❗末娘の彼氏さんが遠方より参上❕❗

道理で 娘の行動が府に落ちる!

末娘は期待を裏切らないわ。いつも楽しい気分にさせてくれる❤

その彼、安心するお顔❗ なかなかエエ感じ❗

と、思いきや 夫の無口加減はエスカレート。

長女の彼氏との初対面とは、ちょっと違う。

あらら、ダブルで気落ちしているの?

風呂上り

「年末が近くなると長女が来るわ。新居浜の忘年会に数々出席するって言ってたし……。」

それを伝えても元気が無い。

「元々人間は生まれてくる時も死んでいく時も一人なんよ。死ぬまで元気に一人で生活をせないかんでしょう。ほらほら元気出して!」

と、言ってしまった私は意地悪なのかしら?

私が居るでしょう!

 

~☆~

開放感

 

お彼岸なので自転車で夫とお墓参りに行った。
その後、潮の引く様子を見ながら二人で防波堤を歩いた。少し黄砂の舞う中だけど快適な散歩だった。
自転車の置いてある野っぱらで夫は立ち小便をはじめた。弧を描くと共にフルパワー放出だ。
「最高に気持ちエーぞ。お前もせぇー。」
『屋外の開放感はお散歩で充分よ。』
「ほうかー。」
と、夫はとても残念そうな顔をしている。
私はキョロキョロ辺りを見渡して立ちション警告標識が無いことを確認した。
『やっぱり、できんわ。』
誘ってくれてありがとう。百歩譲って羞恥心も繊細さもゼロの嫁だとするよ。残念ながら、連れションは無理じゃわ。私は格好良くできないのよ。カラダの構造が違うのだから同じ方法でできないのよ。
大自然に向けて小便を飛ばす行為。お風呂場で少しずつ練習するとマスターできるかしら・・・。

防波堤

お彼岸の燧灘

家族の宴会

深夜、こちびちゃん(次女)が帰ってきたんよ。今晩、牡蠣にしよかなー。一緒に食べよ。

和食

ってことで、久しぶりに子供たち全員集合~~~💕

長男夫婦が頭を摺り寄せて「とあっはっはっ(笑)」と呼びかけながら自分の子供をあやす姿がほほ笑ましい。

私は、子供達が満腹になるまで孫をず~っと抱っこ。

「嬉しいな。楽しいな。幸せだな。健康だよ。豊かだよ。ありがたいな。」

と、孫に語りながら家中をぐるりぐるりと歩き回った。

のれんから長女、次女が「おったばー🤭」と顔を出す。腕の中の孫が声をたてて笑う。

夫に「はい。抱っこ!」と、孫をゆだねると…数分ももたない。隣の人にすぐ孫を手渡す。

酒宴の真っ最中、彼女の居ない次男が「来年結婚する。」などと宣言して、家族みなを大いに笑わせた🤪😆😜。

楽しい時間は、あっという間に過ぎて、長男夫婦は孫のお風呂の時間だからと言い、次男は仕事へ行く準備があるからと言って、銘々帰って行った。

気がつくと長女と次女は二階へ上がり、私は一人、晩御飯の片付けをした。

ふふふ、作り置きしていたウメ酒をお湯割りにして口にふくみながらPCに向かう。

あぁ、幸せだな~💕

こんな幸せがずっと続きますように。今よりいっそう良くなる。もっと良くなる。

🌹

ふふふ

孫の弟分。

投げキス

実家で収穫した大根。この大根が、家族の宴会を盛り上げたことは言うまでも無い。

結婚はママゴトじゃ無い

「結婚は、ママゴトじゃ無いんぞ。」

と、ご挨拶にみえた娘の彼氏に夫は言った。

夫の言葉が胸に響いた。

長男が嫁を貰うと言った時、「まあー、ガンバレ。」の一言だったのにね。

娘が嫁ぐとなると、ちっとばかし違うみたい。

夫は右変形性股関節症の持病があり、数年前から、とんぷくを常用しながら実際厳しい状態の中、肩を揺らし腰を屈めて仕事をしていた。

今春、疼痛がなお激しくなり、病院を変えてみると組織の損傷はひどく右脚と左の差は5cmほどもあり、即日手術(人工股関節全置換術)と診断を受けた。

7月の手術前は、驚くほどのスピードで体重が激減し車の運転さえもままならず、朝は転げながら布団から起き上がり、それでも這うように仕事に励んでくれた。

術後二ヶ月経った現在早々と退院し、疼痛は無くなったとはいえまだまだ自宅療養が必要なのに足に負担の掛かる仕事をしている。

このような姿を見るにつけ‘ これが夫の責任の取り方なんだ ’と思った。‘ これが夫の家族への愛なんだ ’と気づかされた。

「結婚はママゴトじゃ無いんぞ。(覚悟は有るんか?)」

ずっと昔。
産後の子育てが大変な時、必要としている夫に力になってもらえなかった。
守って欲しいと思っているのに安心させてくれなかった。
『父親になるって、自分の事よりも家族の為に生きるってことでしょう。』と、切実に訴える私に、
「ワシが楽しけりゃ、家族も幸せじゃ。好きなことをして何が悪い。」と、夫は理路整然と言ってのけた。
その後も夫は、大手企業のサラリーマンを勝手に辞めて全く専門外の個人事業主となった。
家族を思っての決断であることを信じ、私は夫の良き理解者となるよう努めた。私は、母として妻として当然の事を成し遂げようと必死だった。
子供と過ごす時間が何よりも大切な私にとって最適な職を見つけた。早朝は新聞配達と乳酸菌飲料のお届けをし、昼間は時折、夫のテゴをした。(テゴと新聞配達はその後も十数年続いた)
その当時、全てに余裕が無く、収入の安定や心の安らぎなど家庭に安心を求める日々だった。
私がどんなにハツラツと頑張ってみても子供たちの手本にならず、心は ふわふわ ゆらゆら頼りない。
「家事や育児は母親のすることじゃ!」と考えている夫に『お父さん!ただの同居人にならないで。』と、心の内で何度も叫んでいた。
ある日。
『あー、この人は変わらないわ。\(◎o◎)/』と、諦めた。
夫が7歳の時に亡くなったお義母さんは、好きなことをして元気ハツラツと生活して欲しいと子供に望んだはず。
私は、夫の母親になろうと思った。そうすれば、怒ることも無い。夫を子供だと思うようにした。
そんな風に諦めたはずなんだけど、子育てに協力の無い夫への恨み辛みはなかなか消えるものではない。
夫の留守中、夜中に泥棒が入ったことがある。懐中電灯の明かりが怪しい動きで天井に映るのを私がどんな思いで見ていたか・・・。なのに心配すらしてくれず、何度も午前様が続いた。
子供たちへの愛情が軽いことが許せない。家族の生活に無関心な夫と暮らして子供たちは幸せなのかしら?募る思いを自制することは並大抵では無かった。
何よりも許せないのは子供への暴力だった。私と子供たちは愛されていないと感じられた。確信出来ないまま家族で居られるのかしら?妻の想いは重く積った。

ところが・・・

私の想いは変わった。変わることが出来た。
子供たちは、私より速く父親の不器用な愛情表現を察っしていた。子供たちは、夫を信頼できない浅はかな私を許してくれていた。
優しくて寛大な子供たちは、この家庭で育った。
今、夫に感謝しています。