覚悟



たくさん泣いたあと、
今夜ゆっくり休んだら、
明日は次にすることを考えよう。


潔く覚悟を決める。
それはどんな決断だろう?


大きく畑違いのことを始めるより、
これまでの歩みとこれからの時間が繋がっていることのほうが、楽ではないけれど幸せな場合があると思うのよ。
歩んだ足跡は長いよ。
想いは深いよ。
存在は大きいよ。


どちらにせよ、
責任と情熱を掛けて希望に向かう道を地味に頑張るだけ。


明るい方へ!
楽しい方へ!



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想いを寄せて
つぶやいてきた
遺してきた

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本当に大切なものは目では見えない



結婚記念日です。結婚して38年目となります。
2/2が「挙式日」
2/3が「入籍日」
語呂合わせが良いことから2/2を結婚記念日にしてきましたが、
ふ~ふ.0◯、ふ~ふ.0◯ 
と、これまで険しい山と谷でした。
ため息を飲み込みながら登って降りて…また登り…
いつまで苦しいんだ〜〜〜〜~って叫んだ時もありましたよ。



苦しいのは殿の素行の所為ではありません。
苦しみは自分の心が生み出しています。



目の前にあるアレコレ、直ぐ目に付くことで憤りを感じたことがありますが、
そこに集中するあまり本当に大切なものを見失うところだったのかもしれません。



ホンのひとつ💖
一つ乗り越えた心持ちなので、2/3を記念日にしましょうかね~。
「鬼は外!福は内!」



星の王子さま最大の名言『本当に大切なものは目では見えない』を反芻しています。



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夫婦の距離

考え方を改めたテーマや課題は何ですか ?



還暦の私が、考えを改めたのは一昔前のこと。
それ以前の深刻な話しをしましょうね。



子育て期、夫の躾と称する暴力は激しかったのよ。
その暴力の原因は理想とする息子に育てることが出来ない私にあると思っていたわ。
私は深みにはまって、このうえもなく尊い命を奪い自らも断つと言う想いがよぎった事があるほど。
思いとどまるものの傷つく息子を案じ、いたたまれない想いを当初Blogに記したこともあるのよ。
「母さんについて来て!!」と、旗を翻しガイドさながら子ども達に決死の覚悟を発言したがある。
またある時は、
「子ども達が巣立ったら私も巣立つよ。」と、記事内でこの家を出ることを宣言したこともあるよ。


子ども達ときたら、
「母さん、いよいよ更年期に入ったね。」
などと、私の言動は信用されず、頼りにもされず一時の感情に趣く人だと思っているじゃない💦。更年期の症状なんかじゃないわ!!私は正しいはずなのに…


父親に認めてもらわんばかりに子ども達の努力は涙ぐましいものだった。
「母さんは、父さんのフィールドで好きなことをしよったらえんよ。場外では生きて行けんよ。」
と、私は子ども達の反論であっさり撃沈し思いとどまった。

『妻の想いは重い』孤独を感じる日もあった。

『ピアッシング』おしゃれをしようと思って開けたのではないのよ。
自分の巣立ちを諦めた表明ね。


子ども達がそれぞれに巣立つとき どうしても渡らなければならない節目が有るようで、
私は弱虫だから 毎度泣かずには渡れない。


4人の子どもの巣立ちを感じたとき、後悔の涙ではなかったし、耐え抜いた証でもなかった。
その涙は、様々な想いが交差しているけれど、成し遂げた想いで満ち足りていたわ。
夫を責めている私の心の内は綺麗ではなくて…。
ふと、清く正しく美しく巣立つ子ども達に見合った自分で居たいと思ったのよ。
Blogに綴ることで想いを表現し気持ちを整え、自分を見つめることで心をおさめる術を模索しようと試みた。
Blog内で、もちろん豊かを装うつもりはないし、恵みを自慢するつもりもない。ただ変わりたいと思ったのよ。
夫婦の在り方は自分の想い一つで良くも悪くも変わるはず。


今は一昔、夫への感謝に変えてゆきたいと思ったのでした。


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善き流れ



婿殿の運転で長女とつーちゃん(3歳孫ガール)が帰省しました。
孫は私の首に手を回して思いっきり抱きついてきます。
つーちゃんの顔面神経麻痺が、ほんの少し回復しています。
「病院で(入院中)ありがとう」
と、孫から手書きメッセージを貰いました。


婿殿のトンボ返りは気の毒〜と思っていると、
夫のひと声で長女家族を労って“みやび”で串揚げを食べることになりました。
長女と旦那様の円満な姿を見て、全て善き流れ❤と感じて安心しました。


婿殿は、3時間の滞在で松山へ帰ってゆきました。

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想像力



仕入先の慰労会参加の為に、夫の運転で壬生川の端まできました。
その車中50分、夫と話が噛み合わない〜〜〜。



共感力の薄い夫とどんな話をしようかなっと思いつつ私は助手席に座っていました。


一番気になっている孫の様態については、
「時がくればきっと良くなる。お父さんの孫だから自然治癒力抜群よ。」
と、言っている手前、言葉の力を信じてあえて触れませんでした。



次に気になることは…
唯一ホッとしたことなので、ついポロリと出てしまったのですが、6月末日の『子猫』騒動です。



やはり、夫の言葉は特段記すほどではありません。
寡黙ながら私や散歩中の女性の否定を隠しきれず、夫婦だと言いますのに、気持ちの表し方が全く違う2人です。



『最大のピンチ』を乗り越え、共感を得たいのに距離感が有り過ぎることは、との旨 承知しております。
「お父さんは、そう思っているのね。」
と、私はニコッと笑うのでした。



十数年前でしたら、この空気感を経験すると、
これからの時間どうやって暮らしていくか?
と、私は考え込んでいたものです。



今回、そんな愚痴や悩みを書くためにBlogを書いているのではありません。



どうして私は変われたのか?



それは、想像力です。
共感の薄い相手と暮らすためには想像力が必要です。



夫は何故そのような態度になるのでしょうか?



理解しがたい態度でさえも、
夫の子ども時代を想像することで見方が変わってきました。



夫の実母は数ヶ月闘病の末、3人の子どもを残して他界しております。
それは、夫が小学1年生の夏のことでした。



想像をしてみました。
母親の苦しさ焦り虚しさは想像を絶したことでしょう。
幼少期の彼は、甘えは許されないし辛いこともあったのだろうな、ずっと頑張って来たんだろうなって思います。
そして、無邪気な心をストレートに出せなかったのかもしれません。



実は、子ども時代を想像することで謎が解けたりするものなんですよ。



皆様も是非想像力で幸せな今をお過ごし下さい。

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道中、幸せの道しるべを見ました。

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