母ゆずり♪

実は、22日から次女は新型インフルエンザに罹り学校を休んでいました。

「インフルエンザの発症後に異常行動などの精神・神経症状が発生する場合があるので、事故を防ぐ為に、少なくとも2日間、小児・未成年者を一人きりにさせないように・・・」

と、病院から注意書きをいただきました。

あらま~タイヘン!と、ドキドキしたのはインフルエンザと診断された初日だけ。

娘の熱は38度代からあがることはなく、とっても病人に見えません。部屋に届ける食事は毎度ミゴトに完食です。

リレンザの吸入を5日間、朝夕行い、容態が急変することなく無事に完治しました。

私は、職場から自宅待機を仰せつかり、久しぶりに趣味に没頭しました。

構想を練って形にする楽しさは、なんともいえませんね。

すっかりくたびれている座布団カバー、ず~っと気になっていましたので、この休暇がチャンスよ と。

ちょっと気になる座布団カバー

縫ってつないでる~んるん♪

はい、部屋が明るくなりました。

はい、このようになりました。♪

ひとつ、ひとつ仕上げる作業は、とっても地味ですが、ほら、部屋がパ~っと明るくなりました。

私の母は洋裁士でした。幼い頃住んでいた家は、洋装店&雑貨屋さん!

並んでいるのはすべて母によるハンドメイド作品でした。

私はその空間が大好きでした。

ですが、既製品が多く出回り・・・採算が取れず、

作りたいものと売れるもののギャップがあり過ぎて30年前に店を閉めてしまいました。

今は、老人センターで「先生。」と呼ばれながら、手芸などの手作りの教室を開いています。

作ったものは数百点にのぼるのだそうですが、気前がいいので喜んでくださる方のもとへ、すぐお嫁に行ってしまいます。

今日は、母が巾着袋を我が家に届けてくれました。

巾着袋

私と娘にお揃いのプレゼントです。

母の作っている様子が目に浮かびます。

どうやら、手作りを楽しむ様は、母ゆずりのようですね。

嬉しくて、ちょっと自慢です。

え~~~~~!結婚するぅ?

秋真っ盛り、最高の時季だ。

夫は、祭りが終わり運営委員として残された課題が多く、まだまだ本業に専念できないようだった。

私は、片づけがほぼ終わり法被のクリーニングの仕上がりを待つばかりになった。

祭り前に、やっと娘の採用試験の最終結果が出た。不合格だった。

数日たった今も夫婦は 気落ちしている。

『すまんの。』と何故か謝る夫。

『娘の為に何もしてあげられなかった。』と私。

多忙な夫と手持ち無沙汰な私は、長女のことをあれこれ話し合っていた。

娘は、

「保育士になる想いは強いけど、私には公務員になるという信念が足らんかったんよ。」

とか、

「二次の合格者5人で集団面接をした時、皆の気迫はそりゃ凄かったわ。」

とか、

「私に力が無かったんよ。これ以上心配せんといて。」

などと、私達夫婦の会話に一言、一言、添えていた。

私は気を取り直して振り袖姿の写真を眺め、

『これ、可愛い!この写真。』

『お父さん、これよこれ。昔でいう釣書に添える写真ってこんな感じかしら。ホントお見合い写真に良いわねぇ。』

「履歴書の心配から釣書?!もういい加減にして!夫婦で勝手に楽しんで!」

と、娘は呆れ顔。…と言うより怒っている。

そこへ、長男が、

「ワシ、結婚申し込んだ。受けてくれたけん来年結婚する。」

!』

家族皆、目が点。。。

一つ年下の彼女さんと付き合い始めて10ヶ月足らず。

「こんにちは。」『いらっしゃい。』

「おじゃましました。」『は~い。』

と、私は、玄関で数回挨拶を交わしただけ。

目が合うことがあってもそれ以上の会話をしたことが無い。夫は、まだ一度も会ったことが無い。

「先方のご両親に挨拶してきた。」

『まぁ~。私達は最後。どちらのお嬢様か、どんなお人柄なのか?全く知らんわ。』

機会は何度もあったのに、話し掛けんかった母さんが悪い。」

『まぁー。まぁー。まぁ〜~。』

『あなたの機転の無さを棚に上げて私が悪いって言うの。』

まだ若いから楽しく遊んでるって思ってたわ。あなたは、まだ22歳よ。早すぎるわ。』

まだまだ私の側に居てくれるって思ってたわ。気を落ち着かせて。

『あ、できちゃった婚?』

「ちがう。」

彼女さんにとってみれば、プロポーズは一生もんだから・・・感動している最中にケチをつけたら可哀想よね。

でも、でも、でも、息子に尋ねてみた。

『 他の展開は 考えられない? 』

「全くない。これしかない。」

夫に何か言ってもらおうと、顔を見た。夫は黙ってすっかり冷え切った茶を飲んでいた。

夫は家族皆の視線を感じたらしく一言。

『近く会う日をセッティングしろ。』

「観て学習しとこね。」と、つぶやく次女の声が聞こえた。

隣でうなずく次男。

双子っちは、これまでの一部始終を冷静に見ていたようだった。

はてさて?何を学習するっていうの!

『結婚って、個人同士良ければ円満ってなもんじゃないのよ。親族と親族がつながるってことなのよ。』

『ご縁があれば 自然に導かれてまとまるものなのでしょう。』

と、私は自分の動揺を取り繕って、さも締め括ったかのように台所へ行った。

すれ違う長女に、

『あなたは、さき急いで結婚することより、自立することを考えようね。』

「はい。」

と、長女は返事良く、流れが変わってふふふっと嬉しそう。

お風呂の湯につかってユックリ考える。

気になることは山ほど・・・

先様は、こちらのことをどう思っていらっしゃるのかしら?

息子は全くロマンチストではないから、プロポーズどんなだったんだろう~。

気の利く言葉、言えたかしら?

きっと直球だわ。あー、目に浮かぶわ。私の記憶を辿ってそう思う。

生意気なヤツだし、メンドイ奴だし、頑固オヤジ予備軍だよ。

彼女さん、この先 大変だろうな。

LOVE イヤミ LOVE

心弾む時

O氏より夫へ連絡入る。

「今夜、澤津との話し合いで、和解しました。」

良かった。

もっと楽しい祭りが出来るはず。もっと見直しせないかんね。

『そうじゃの。』

あら?私の話に相槌打った。。。

夫は、娘の振り袖姿のスナップ写真を眺め、とっても気を良くしていたからね。ウインク

新年早々の娘の言葉。

「母さん、身の丈に合った成人式でいいからね。」

と。

このけなげな言葉を私は夫に伝えた。

すると今春、来年の成人式に間に合うようにと、夫は振り袖をM呉服店にお願いした。

18日(祭り最終日)、娘はその振り袖を喜んで着てくれた。

8時の髪セットから、花束贈呈バラが終わる16時まで私は娘にずっと付き添っていた。

“瓜二つね”って言ってもらって随分気を良くして・・・LOVE

やっぱ、娘は良いわね♪

私の心を弾ませてくれる音楽

娘は幼稚園実習の為に祭りを挟んで2週間、私の手の届く処に居た。

可愛くて可愛くて仕方ないわ。プレゼント

 おじいちゃんちへご挨拶

 花束贈呈

   .

日が変わろうとする18日深夜、

息子達の汗臭い地下足袋とドロドロに汚れた白いニッカズボンをゴシゴシ洗った。

念のため法被の袖口と襟元の汚れを落とし、クリーニングに出す準備を済ませた。

座敷に吊るしてある娘の振り袖をしばらく眺め、次の日の出張に備えて静かな眠りについた。

時間

新居浜太鼓祭の日

バラ

祭り初日(16日)。

朝、喉が痛いと言っていた長男は、青年部員としての役を務めた夕刻には熱が38度、測るたびに上がり39度まで上った。

医師会病院へ連れて行った。新型インフルエンザではないようだ。

長男は医師の診断に安堵しているようだった。

その夜、息子が呼ぶ度、ダカラの飲料水をコップに注いで2階へ上がった。

17日早朝。

長男は、熱があるにもかかわらず法被姿で出て行った。

それを夫に伝えるが、無言で茶を飲んでいる。

うろたえている私に

『あんたは今日、何をするんぞ。』

「わたし?…河川敷へ行くよ。」

よからぬ気配は感じていたけれど・・・。

『本郷と澤津の最終戦があるぞ。』

と、ぽつり。

「最終戦?」

『前回、本郷vs澤津は本郷の地元だった。次なるは澤津の地元で!今後、双方は、鉢合わせをせんという約束じゃ。』

「で、どこで?」

『労災病院前より東じゃろ。』

と、はっきり言った。

私は身支度を整えて、運営委員の同士の迎えを今か今かと待っていた。

夫を送り出した後、私は息子達を案じて、自転車を立ち漕ぎしてぶっ飛んで行った。

・・・・・そして、本郷vs澤津

詳細は、先の “あっぱれ!” 記事・・・・・・

17日夜。

『悔しい。本郷、カッコ悪い。気持ち悪い

と、誰よりも先に帰ってきたター坊(次男)が言った。

「本郷はやっぱ、まとまってすごいな!とか思わんかった?」

と、私・・・。

『・・・・・もっと行けや おもた。』

「若輩者じゃのう!」

と、ター坊(次男)にカツを入れた。

「母さんは、名勝負だと思う。相手を尊重しあう二台の太鼓台は、どっちもカッコえんじゃわね。」

17日深夜、ドンドンと壁を叩く音に何度も目が覚めて2階へ上がった。

澤津戦の祭りを全身で堪能して帰ってきた長男は、既に40度を越えていた。

飲料水を息子に与えた。全身の汗にびっくりした。肌着も2度着替えた。

18日最終日の朝。

「出来るだけ安静にしなさい。」

と言う私の願いを聞かず、長男は飛び出して行った。

脳炎を発症し気がふれてはタイヘンだ。と案じていた私の思いなど。意に介していない。

風邪の菌を撒き散らしながらの祭り三昧。

世間様に申し訳ない。もぉ~まったく無礼千万!

18日夕刻。

娘の振り袖を座敷に吊るし、草履カバン髪飾りなどの小物を片付け終えて、さぁー、八幡神社へ行こうとした時。

ター坊(次男)がヨレヨレしながら帰ってきた。それも町の法被を着て!

「酔ってる?」

『ちがわい!!激怒メシ!風呂!』

と、力無く搾り出すような声で言う。

よくよく見れば、裾が破れドロドロに汚れたニッカズボン。靴下も破れ素足に近い状態。

「地下足袋は?」

『なくしたぁー。』

本郷vs澤津に飽き足らず、町vs田の上を参戦した様子。

晩ご飯を食べながらようやくしゃべり出した。

『もぉー、ええ 。困った鉢合わせ30回位までは数えよったけど、ええ加減やめんかおもた。ガマン

『母さん、あれは100回ゆわん ぶつかっとるよがっかり。』

『鉢合わせの最中、地下足袋の留め金がだんだん外れて、踏まれてけつまづいて何度もこけそうになった。困った

・・・・・・・

「よぉー生きとったね。」

と、私は安堵した。

「昨日は、もっと行け行け言よったのに、今日はもうやめよ思ったんかね。」

と、嫌味も言ってやった。

「本郷以外の太鼓は触ったらイカン。綺麗な喧嘩なんか何処にも無いけど、正々堂々と裸の喧嘩じゃけん母さんは目をつむっとったんじゃ。」

と、真剣に怒った。

その直後、実弟の訪問で阿島vs松神子の鉢合わせの真相を知り常識やルールの無さに困惑し、私の仰天は尚も続いた。

嵐のような祭りはもうコリゴリ!

再来年からは楽しく宮入りして、綺麗な太鼓を楽しませてね。

お疲れさまでした。

夜

あっぱれ!

潔く認めます。今回、澤津に負けました。

21年10月17日

薬局前、澤津との鉢合わせで本郷の鎧が外れた。19年とは真逆の鎧の差だった。

130㎏の重い鎧が強いわけではない。留めていたボルトが千切れたのだ。そこに本郷の誤算があった。

太鼓が鳴らなくなったほうが負けという喧嘩祭り。鎧はその太鼓を守る為の盾の役目。

激しいぶつかり合いが尚も続いた。

鎧が外れた今、本郷は大人3人の手でひょいっと太鼓を持ち上げ、澤津の担き棒を交わし激戦を繰り広げた。

敵陣に踏み込み地味な坂を押して押して頑張った本郷太鼓台に部があるようにも見えたが、

もうこの時点で勝敗決まりでしょう!

「鎧がのいたけん待ってくれ」と言う本郷。

「鎧がのいたんだったらこっちもはずそか?」と言う澤津。

待たす本郷と待ってくれた澤津。

「重たい~~。う、う、そこのけ。そこのけ。」

と、大人4人がよろけながら鎧を運び、私の目の前を通った。

もう一度鎧を取り付け、双方数回勢いよくぶつかってみたものの それはまるで握手をしているかのように感じた。

私にはそう見えた。

勝敗決まりだって!!

負けを認め去っていく本郷。

追い掛けることなく新高橋の中腹で本郷を見下ろす澤津は、悔しいけれど武将の如くカッコよく見えた。

太鼓を割るまで戦ったとしたら人と人との喧嘩になるだろう。此の上無い遺恨となっただろう。

人間の小競り合いを直ぐに止めに入る両自治会も立派だった。

民家や担き夫に怪我がないように采配していた本郷と沢津の指揮者も立派だった。

良い戦いを見せてもらった。

喧嘩は悪い!絶対、両者とも悪い!

それを承知で血が騒いでどうしようもないのなら・・・太鼓台の喧嘩は当然こうありたいものだ。

18日夜、実弟が訪ねてきた。阿島の担き夫であり、アンチ本郷の人間だ。

阿島と松神子の戦いを語ってくれた。

無惨な戦い・・・。弟の無念が手に取るように分かる。

50cmの鉄のキャップ vs 10cmの鉄球端冠、その鉢合わせの真っ最中、松神子が手のこぎりで阿島の担き棒切断!

真実を知り、幾度も相槌を打ったが、その戦いをこれ以上書き記すこともない。

殊更、破壊目的ではない澤津の姿勢にあっぱれ! と、再度感心した。

後腐れの無い本郷と澤津の戦いぶりを書き記そうと、

本日、高松駅を出て出張からの帰り道、電車に揺られ決意した。

再来年からは、平和運行の祭りが出来そう。

あー、天晴れ!