程よく



苦しいよね。辛いよね。

『思い通りにならない』のは世の常さ。

ところが、言葉一つで少し変わるよ。

程よく思い通りにならない』ってね。

すると少し楽になるよ。

程よく、幸せに一歩近づいているんだ。

言葉が変わると心が変わる。

心が変わると毎日が変わる。

毎日が変わると人性が変わる。





【追記】

フォローしているサイトを拝見していて…

「旦那と子供を追い詰めてる」その文面を目にしました。

読み込んでしまって気持ちが加わってしまって、お声を掛けたくなりました。

もはや精読から味読へと…

コメントしたのですが、反映されません。

貴女へ届くと良いな。。。

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我を解き放つ


あ〜!私は何様のつもりなの?単なる通りすがりの者よ。


まれに私は「~すれば良かった💦あ~、反省😰」という自縛に はまることがあります。
人の言葉に一喜一憂して、良かれと思うことを?自分の拘りを伝えてしまいます。


「なるようになるさ」と、自我にとらわれることなく やり過ごせると良いのにね。
「人は人、気に留め無いこと」と、自分に言い聞かせると良いのにね。


私には、向き合う人の苦しみや不平不満の感度は分かりません。
わからないのに口を挟んでしまうのよ。ただ、分かっていることを伝えたくなってしまうのよ…。


どんなことを考えているか紐解けば、これからどんな運命となるのか分かるのよ。


自分を許せないことを含めて 不平不満や苦しみの世界を念じている人は、自暴自棄に陥りやすいし、それは苦しみの世界となります。
このままでは思い通りにならない現実とぶつかり続けることになると思うのよ。


心に映る世界は自分が作っているのですから。
向き合う人の祝福を祈って…
良き方向へ自分を導く事に時間を掛けましょうね。


苦しむことは無いのですよ。自分を追い込む必要も無いのですよ。
幸せな時間を過ごすことに意識を向けてゆきましょう。
そうすれば、
自分の人生を変えることができるのです。


目の前に現れる現実を良き方向へ導く事も夢ではないのです。



これまでにも、想いが通じないもどかしさで悩んでいるのを見かけました。家族から叱責を受けたり、親子や妹弟の関係が絡まったり、仕事でミスをしたり、何かしら人生がうまくいかないと感じているのではないかしら。
周囲に失望して近い将来に希望が持てず「もうどうでもいい」と捨て鉢になる状態がなきにしもあらず、それって自分が作り出しているってことなのよ。


「~したほうがよい!」「~して欲しい!」といった執着や不安や願いも私のわがままなのでしょうね。


ただただ、その方の祝福を祈っています。祈ることでもどかしさや苦しみを解き放っています。
解き放つことで!直に心も身体も軽くなるでしょう。

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心の満たし方



人は、自分の想い一つで幸せになります。



まず、
自分の現状を楽しんで生活することです。
自分がどんなことが好きで、どんなことを大事にしているかということを確認しましょう。



そして、
つぶやきます。何はともあれ…
嬉しいな。楽しいな。豊かだな。幸せだな。もっと良くなる。きっと良くなる。
と、念じます。



すると、
言葉の力は絶対です。
どなた様も自分を満たせるようになるのではないかと思います。



自分を許せないことを含めて苦しみの世界を念じている人は、何をやっても苦しみの世界となってゆきます。



良い環境を生み出す念じ方、それが有ると知ったら、即 実行です。



嬉しくて
楽しくて
豊かで
幸せで
生活はどんどん良くなります。
と、心を満たしていきましょう。

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子どもへの声掛け、言葉の大切さ



県総合科学博物館にて』の記事で、博物館のスタッフの極上対応をご紹介したことがあります。

「僕、優しいね。泣きたい時には泣いてイイんよ。優しい人は強くなるよ。この後、恐竜の子どもは強く生きるから観て帰ってね。」
と。

実は当時(2017年7月)、その対応に感銘を受けました。
子どもへの声掛けには、私なりにいろいろ気遣ってまいりましたが、目からウロコでした。

その数ヶ月後、保育士を目指し勉強をはじめましたが、この感激が一大決心の源と言っても過言ではありません。

子どもとの関わりの中、大人として発する言葉に責任を持ち、これからの時間(余生)、子どもへの声掛けに全力で知恵を絞ろうと思ったのでした。



ところが、
現場は、出る杭は打たれる社会でした。以下は、あくまで個人の一意見として読んでください。


その社会は、保育の“ねらい”と“内容”を統一することが重要視されます。
“郷に入れば郷に従え”と物事を円滑に進めることを大切にしながら、園児との関わりかたに関して、周囲と違う対応や自分の言葉を表現することは至難の業でした。

子どもの心を育む力をココで得よう!
保育士の役割は、愛情たっぷりに育てること!
と考えている私の居場所は、そこにはありませんでした。
とうとう同僚との関係を杞憂し疲れ果てたのでした。



追記しますと、

「子どもを見守る」それは保育士の責務です。
具体的に何を言うのでしょうか?

“登園した時のそのまんまの姿で怪我無く降園すること”が、最も大切だと指導者から教わりました。

その為には、
まず観察して、子どもが何をしているか、危険は無いか。
つまり、危険を察することが重要なのです。

そして、保育士目線で、
監視する、助ける、指導する、指示する…それらの子どもの見守り方は、
保育という社会で、自らを守るためにも必要な力なのです。

私の見解は、狭くて誤っているのかも知れません。
しかし、子どもを理解する為の声掛け以上に、子どもを誘導する為の声掛けが最優先であり重要で有ることを 確かに習ったのでした。




親の立場では、どうでしょうか?
「子どもを見守る」具体的な方法は、また違ってきます。

まず観察して、子どもが何をしているか、何を言っているのかを理解することが重要です❗

評価したり、批判したり、解決策を伝えようとして、頭に浮かんだことをすぐ言葉にしたとします。
つい、「こうするとダメ!」「それしちゃダメ!」「こうしなさい!」と、言いたくなりますが、
子どもの心にどのように響くでしょうか?
解決策を言い連ねても子どもの心は伸びません。
誘導する声掛けが、自らの思いを表現する人に育つと言えるでしょうか?
子どもが幸せになるには、どうしたら良いでしょうか?
そう考えると、
子どもへの声掛けは、指摘では無く誘導でも無く心を育てる為の言葉が大切と思いませんか。



まず、子どもが今、何をしているかしっかり見ることが大切です。
今の子どものそのままを観察すると言うことです。

そして、次に掛ける言葉は、
「あなたは、〇〇したいのね。〇〇と思っているのね。」
と、見た通りのことを言ってみてください。

そのあとは、子どもの顔を見て話を聞きます。そして、また話をつなぎます。
その対応次第で、子どもがどのような成長をするかが決まって来るのです。



今は、孫との遊びの中で、最善の言葉を模索しています。
保育の環境で得た経験や指導者に感謝しておりますが、保育士に未練はありません。
これで良かったのだと思います。

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当たり前のことを当たり前にする習慣



私は、あなたがやりたいことを やっている姿を 同じように楽しかったり、嬉しかったり、悔しかったり、寂しかったりするよ。
いつも、何か手伝いたいし、 役に立ちたいと思っているよ。



子どもの心は毎日変化しています。
嬉しい時もあれば、悲しい時もあるでしょう。
でも、その変化に気づくことが難しくなりました。子どもの成長と共に、距離の拡がりを感じて、距離感を保つことができなくなりましたから。



家族と一緒に過ごしながら、家族のことをどれだけ見ているかと考えると、見ていない、見えていないことのほうが多いように感じます。



助けてあげなければならない時も気づかず、放っておいてしまっている状態なのだと思うのです。
子どもを幸せにしてあげたいと思ったならば、絶え間なく心を掛けてゆかなければなりません。
子どもは、そんな母親の心情を厄介に思っているのかも知れませんが…。



家族と一緒に過ごしながら、家族にたゆまなく心を掛けていく思いは、日常の当たり前のことを勤しむ事と、通じるものがあります。



足かせにならないように、大事な人を幸せにする為には、
当たり前のことを当たり前にする!
これが大切だと思います。
その当たり前って?私に限って言えば、

  • 挨拶を誰にでもする。
  • ありがとうございますと感謝を言う。
  • 靴を揃える。
  • 時間を守る。
  • 掃除をして部屋を綺麗に保つ。
  • 食事を作る。
  • 自分の楽しい時間を過ごす。




それらの大切なことを今日頑張ったから明日はお休みという訳にはいきません。
子ども達に心を掛け続けるように、それらを当たり前に続けてゆくことで、家族を幸せにすることができるのだと信じています。



家族を幸せにする為に 当たり前のことを当たり前にする習慣を身につけることが大切です!