「J」のおまじない



「最近、難聴の傾向があるのよー。
もちろん 耳鼻科へは行ったよ。」
と、友人Sにボヤいた。



するとその女史が散歩の途中に、走り書きのメモ「J」を置いていった。

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「自分の体調の崩れを大したことはないと小さく見ていたらダメ。老化だけではないと思う。
経験豊富だから現状を軽く感じて、心が動じないだけ。
体は悲鳴をあげているかも。
免疫力を高めるジュース。飲んでみて!」
と。



「肝心なパセリを書くのを忘れたー😍」
と、後でLINEがきた。(笑)



老いることは悪いことではない。
ただ ちゃんと受け止めて来なかっただけ。
受け止めてゆくって、自分を労ることなのかな? 
工夫をすることは大事よね。



試しに飲んでみようかな😉
そう思って作ってみた。




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  • パセリ
  • 大根
  • ニンジン
  • りんご
  • はちみつ
  • 生姜



とっても美味しかった。
体に良いと思うから
これを体に入れると自分が変わるような気がする。
強くなった気がした。
何度も自分に言い聞かせ、勇気を奮い起こす。
彼女の思いやりが、おまじないに変わった。



ワタシ無敵!!

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この感覚は何?



11月26日は、いい風呂の日 だそうですねー。

娘とマイントピア別子の天空の湯へ行ってきました。

岩盤浴の後は、天然温泉の広い浴槽にどっぷりとつかり湯巡りを楽しみました。

気持ち良かったですーーー☘

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豆苗は、最初は成長が穏やかですが、育ち始めると急に伸びます。
「あら、こんなに伸びてる。」
と言うことで、明日の食卓に!と、昨夜思ったのでした。




ところが、

今夜の一品は、豆苗の卵炒めのはずが、
お膳にあがったのは、小松菜の卵炒めでした。

豆苗を入れ忘れたのでした。



入れていないことに気付いたのは、
娘が仕事から帰ってきて今夜のメニューを伝えている時でした。

キッチンの小窓で育てている豆苗が目に入り、

それも、思いもよらない姿で…

「あらっ!豆苗が青々と繁っているわ?どうしてこんなに伸びてるの?さっきカットしたはずなのに!」
と。

していない事をしたつもりになっています。

存在を忘れていたのでは無くて、カットしていないのに、したつもりになっています。

それってコワイ、恐い!

私の頭はどうなっているのでしょう。



「これも老化?忘却じゃなくて、この感覚は何?話を作っているのよ。思い込んでいるのよ。こんな風に歳を重ねて行くのねー。嫌だイヤだ!」
と、娘に話していたら今夜も岩盤浴に誘ってくれたのでした。

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これからが長い長い道のり…



人生を思い通りに生きている人は少ないでしょう。
誰しもが何かしら思い通りにならない現実を抱えながら生きているのだと思います。



詳細は言えないけどっ。
「母さんは、この包丁を自分の胸に刺したいくらい寂しいわ!」
「私は、この道路に飛び出して木っ端微塵に砕け散りたいほど辛いわ!」
と。
そう言ってしまいたいほど孤独の時間があったことを ここに記しておきます。



気心知れた家族でも同じ生活空間に居ると摩擦は生じます。
心を許す関係であれば有るほど甘えが現れ、人の心は激しく揺れ動いて突進してきます。
いつなんどき、その摩擦で平常心を覆されはしないかと不安になるほどです。
穏便がいいし、喧嘩などしたくないし、当たり障りなく生活したいです。



家族の爆発したい気持ちがわかると言えば嘘になりますが、キャパを通り越した何かしらの想いが有ることは察することができます。
家族が声を発して苦しさの全てを話すことは無いと思いますが、
もし、その声を聴いて、自分はそれを受け留める力が有るでしょうか?
家族のモヤモヤが端的に言語化されたとしても消化する力があるとは言い切れません。



様々な摩擦があって、今を大切にすることはとても難しいですね。
かと言って 自分を取り巻く環境を変えることは怖いです。
その怖さは、経済面であったり、
自分の人生を否定することになりはしないかと考えます。
夫婦や親子の縁から逃げても 逃げようにも 逃げることはできないものです。
カモフラージュしたとしても、逃げ通して目の前に姿が見えなくなったとしても、その事実が過去になっても、その過去にとらわれて苦しむことになるでしょう。



人を変えていくのは難しいですし、自分の想いに蓋をして良い人ぶるのも疲れます。
ただ わかることは、
人を否定するとどんどん苦しみの底に沈んでゆくと言うことです。
「貴方はこうだからそうなるのよ。こうしてください。」
とだけは、言わないように気を付けます。
人を変えようとする発言だけは止めようと思います。



摩擦から生じる苦しみから逃れるためには、相対する言動に執着することなく、常に今の自分が自分なんだから、自分の思いが今に現れているのだと受け入れてゆくことが大切かなって思います。



私は人生の折り返しを明らかに過ぎていますが、これからが最も長い長い道のりになるのかもしれません。



自分の想いを何処まで相対的に、そして、的確に言語化できるか試練です。
自分の時間を否定することなく、過去にとらわれることなく、人や自分を否定することのない道は、どうしたら良いのでしょうね。
鬼の面に相対しても素敵な時間づくりを心掛けるように致します。幸せの気持ちをお越し続けます❤

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コスモスが揺れています


先週、母の免許返納の手続きに付き添いました。



「朝、警察署が開くころに行きたいんよ。」
の 願いどおり、少し早い時間に迎えに行くと
細くて小さい母が、既に農道に出て待っていました。



私の車が近づくと
門柱の前に立っている母は、軽く手を振りはじめました。



母が立っている隣にはコスモスが咲いています。
私の視線に気付いたのか
「コスモス、可愛いでしょう。」
と、車に乗り込みながら母が言います。



コスモスが、揺れています。
ユラユラと 揺れています。



可愛いと言うより…
その花は母と妙に調和していることに気付いて、
私は、アクセルを踏む力が無くなってしまいそうでした。
私が納得するまで?
心が落ち着くまでと、言った方が良いでしょうか。
いつに無くバックミラーの調整やら 座席の座り心地などを尋ねたりして…。
何かしらそわそわ。



用件を次々済ます車中、取り留めのない話をいくつかしましたが、
大半は、母の話に相槌を打つ私です。
明らかに、母は変わりました。
まるで観音様のように柔らかく静かになりました。



予定外の用事なども済ませ母を家まで送りました。
買ったばかりの食材を実家の台所へ持っていき、置き場所を尋ねながら冷蔵庫に仕舞います。



帰り際、
コスモスの傍に立ちじっと見入りました。
私も揺れています。



Blogをはじめて15年、
傍目にも自信満々に生きている母親の姿を見るのが嬉しい反面、
幼少期や思春期、そして、成人期、当時の言葉にならない苦痛と両親に求める激しい感情を 書いてきました。



母から生まれ今の私があることに心から感謝できるようになったのは、一般に壮年期と言われる齢になってからでした。



コスモスが、揺れています。
ユラユラと 揺れています。

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あの頃の爽快感

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鳥よりも自由さんのBlogを拝読していて、しまなみ海道を快走した時のことを思い出しました。

下の画は、2015年6月、友人Sとガチで往復約70キロメートル(糸山⇔多田羅しまなみ公園)を サイクリングした時のものです。

懐かしい〜❤

潮風を受けた時の快感と新緑と海の眺めが最高でした!!

友人と熱い汗を流しました。

緑の風を 青い風を 全身に浴びた爽快さは、遠き日となりました。

体重も体調もこの頃に戻りた〜い🥰🌹😍

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