か弱い振り?

忙しい日の疲れはどのように癒しますか ?



季節によって場所は異なりますが、カーペットの上だったり、畳の上を…
しばし、ゴロンゴロン。
これが、癒やしかな〜〜〜?



このお題には参ったな〜〜〜。
自分をいたわる必要を感じるこの頃ですが、ほとんど毎日、忙しくしています。
手抜きもできないし。



私なりの疲れを癒やす手段は無きにしもあらず、
いかんせん慌ただしい日々ゆえリアルタイムで疲れを癒やすことは、ほぼ考えたことは有りません。



決して洒落た家では無いけれど、無理をしてでも“整う”経緯が好きです。



あれもこれもって自分から忙しくして、そして、時間に限りが見えてくると、やむを得ず消去法を模索しますが…
洗濯、掃除、食事作り、どれも手が抜けません。



油断すると生活が滞るでしょう。
そうなると、全てが不調になるような気がするのです。



それは、家事だけでなく仕事もそうです。



過去に、独身時代と結婚後のパートと派遣を含めて銀行業務の内部事務を10年ほど経験しています。
なかでも、各企業が給与の口座振込をご利用され始めた頃が一番多忙でした。
雨が降る給料日の待合室は、カウンターから見ると黒い群集となります。
次々入れ替わるお客様の要望に笑顔で答えていきます。対応しても尽くしてもその要望は尽きません。
金額相違、名義人相違は許されず、緊迫感が続きます。
電卓の速打ちと現金を数える速さを武器にして端末操作をします。
終わりが見えない恐怖の中、顔を上げウサギとなり、下を向いては蛇となり「私、失敗しないので!」といった心境で女優になりきり、兎に角見事な七変化です。



キャッシュカードが重宝されはじめるとみるみる楽になりましたが、当時、何が癒やしだったのか?見当がつきません。その頃を思うとよく乗り切ったな〜と思います。



余談ですが、カウンター前の背景は、今でも思い出しますが、ハリーポッターの「アズカバンの囚人」に登場する幸せを吸い取るディメンターのシーンと似通っていると言っても過言ではありません。



絶望と憂鬱をもたらすディメンターと戦いながら真剣に業務をこなしていると、だんだん整っていきます。
長く暗いトンネルは、いつか抜けるもので、この“整う”が、癖になっているのでしょうか?不思議なものです。



その後、仕事が多忙でエンドレスに次々やってくる業務をどんなに沢山抱え込んでも、「大丈夫!」と、思うド根性だけは健在です。



こんなこと書いてて、疲れる人だな〜って思います。
突っ走ってきたな~。
ちょっと、疲れたな~。



少し か弱い振りをしてみようかしら。



そのか弱い振りが、癒やしになったりして(笑)

.

遺す処

ソーシャルメディアはどのように活用していますか ?



ソーシャルメディアって?
あくまでも私の受け止め方ですが、その言葉から思いつくモノをひろいました。
共有、表現、画像、拡がり、会話、居場所です。



私の場合、主に表現の場所としてWordpressを積極的に活用しています。



自分が想像したことを残しています。
それは現実だけど、下手したら浮世離れをしています。
ですが、誰のものでもない自分の想いです。



まず1つ目は、頭に思い描くモノを“手作り”という形に現して、その作品を画像として載せています。



そして、2つ目は、つぶやきを駄文に現しています。



その2つ目の表現には、時に生きがいを感じるほど熱を上げています。
何故なら母としての喜びだからです。



私は子どもを授かり母となることができました。
体は老化の一途をたどっていますが、必ずしもネガティブなことばかりではなく、歳を重ねる喜びを子供たちからもらっています。



4人の子供たちは沢山の笑顔と言葉を私に投げかけてくれます。
内角低めだったり、ど真ん中のストレートだったり、大きく曲がったり…
私はその喜びを残したいと思っています。



いわゆるこのメディアは遺書を遺す処です。

それは自分の心から生み出す幸せを表現するところです。

.

煮付けと炊き込みご飯

最初に思いついたことを書き出してください。



山菜を使った芽生えのするメニューは、世にいくらでもあると思うのです。



タケノコ、ワラビ、フキを頂いたので、その素材を活かすお料理は無いものかしら〜と、下処理済の野菜に冷水を掛けながらスマホ片手に検索をしてみました。



ですが、
やはり いつもの煮付けと炊き込みご飯しか思いつきません。



ありきたりな私の手料理で申し訳ないな〜と思いながら、早朝、夫のお弁当を詰めました。

.

.

心を込めて目の前のことに取り組む

10年後の自分はどうなっているでしょうか ?



生きていたいなー✨。



例えば、10年後はどうなっているのでしょう…と逆算して人生を考えてみました。
具体的なことは望みません。



新たな生きがいや挑戦と言うよりも、目の前のことに心を込めて向き合っていると思います。

.

“人の死は、その人が生きている時にどんな生き方をするかによって、寿命が長くもなったり短くもなったりします。寿命の長さはどれだけ自分の心を大事にしてきたかで決まります。”



と、説法で聞いたことがあります。



その折、
自分の心を大事にすることと、如何に生きるか、その心がけが大切なのだと気付かされました。



交通事故にあったとき、
人生は一度しかないことにふれたとき、
今という時間を大事にして生きてゆきたいと思いました。



とかく
これが終わったら、次はこれ…あーこれも…
と、気をもむことが次々とおこりますが、
思い通りに物事が進まなくても、
心を込めて目の前のことをひとつ一つ取り組むことで未来があるのだと思います。



幸せは、心からどんな思いを起こしたかで決まります。



幸せな思いを起こし
家族の為に、自分の為に、心に余裕をもって、心を込めて大事な時間を生きてゆきたいものです。

.



実は私、三十路の後半に、幾たびかの交通事故に遭いました。



一年以内に5件とは、信じられない程の当たりの年だったわけです。その度、生きるか死ぬかの経験をしました。



頭、腰、足首の痛み、そして、毎朝起きるたびグルグル舞い続けるめまいと吐き気。時に嘔吐。表現に出来ない苦しみです。



それを隠すように元気に振舞ってはみますが、体が病むと健康的な物事の考えが出来ません。



「私の寿命って、そう長くはないかもしれない。50歳まで生きたら・・・」

とまで思っていました。



「残りの時間、如何に生きるかと言うよりも、如何に死ぬか!子どものために、如何に死ねるか?」

と、よく考えていました。



ところが、人間の治癒力って素晴らしいですね。



もう60歳を超えました。
昨年、家族が還暦を祝ってくれましたよ。

.

内面を整えていく

高校で学んだことを説明してください。



実務の時間、
「印の乱れは心の乱れ!」
と言う先生の指導のもと、B5のレポート用紙の罫線に沿ってただひたすら押印をし続ける授業を受けたことがあります。



校則は厳しかったようですが、私は何ら不自由を感じることなく、まずは学校のやり方を素直に受け留める生徒でした。



有志で作っている“道”という冊子に何話か投稿してみたり、恩師の歌集のひとつに曲を創作し歌ってみたり、弁論という名の勝手な主張大会の壇上で緊張し震えながら語ったり、ささやかな活動はしてみたものの…



体育祭と言ってもアーチ1つ作らせてくれないし、文化祭と言っても心に響くものに出会わないし、不満が無いと言えば嘘になりますが、燃えるほどの活動は諦めていました。



朝の会に1分間の“黙”と言う学校独自の文化があったことは印象深いのですが、その他は全くと言って良いほど記憶にありません。



何をしてもそつなくこなす ゆるゆるの私が、唯一記憶に残っている授業が上に記したものです。



自分の内面を整えていく。
高校で教わったことはこれに尽きると思います。

.