何故か厄介

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父が、集中治療室から出て10日ほど経った。

「術後は、錯覚を起こしやすい」と看護師がなだめてくれた。

その言葉に勇気づけられ、私はようやく一人で病室に入る決心がついた。

今日の父は、「誰かいのー。」と言いながら、いたって普通に食事をしている。

母に頼まれ、衣類を持ってきて 洗濯物を持って帰る。

ただ、それだけのコトなのに……。

厄介だわ。

そんな簡単なことが 面倒に感じられ 苦しい。

自分の心のおさめ方が分からない。

😔

数日前のこと、集中治療室で会った術後の父は異常だった。

「娘さんが、いらっしゃいましたよ。」と、看護師に案内されて奥に進んだ。

ベッドに寝ている父を覗き込むと
「そんなにニコニコ笑って嬉しいかい。こんなになった姿が楽しいか?私をうらんで…」と、目を見開いて絞り出す声で言った。

父は怒っているのか?いや違う おびえている様子?…平然と言ったようにも感じた。

その数時間前に母から、呂律が回らず会話をする事もままならないと聞いていた私は、父の言葉にビックリした。

「本来なら心の奥に閉まっている思いが言葉に出ることがあります。」と看護師が言った。

潜在意識?父も苦痛だったのか? 

日に日によみがえった。平常心でいることは難しかった。

私は記憶を飾って生きてきた。

自分の奥深くに固く封印しているものがある。

何かの弾みでよみがえる。

どんな事情でどんな事柄なのか詳細までは記憶から取り出さないようにしてきた。

それは、怖くて、不安で、狂いそう、それに近い。

比較的鮮明に幼少のころを思い出し、苦痛な面持ちを隠して数日過ごしていたが、動揺する私は当たり前、飾らない私は健全だと。。。そう思い直して父に会いに病院へ来たのだった。

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父の徘徊

冬の寒さから徐々に刻のうつろいを感じ山桜が満開の頃、週2回デイサービスに通う認知症の父を母が懸命に介護をしていた。
実家は、在宅介護用のベッドやポータブルトイレ、玄関上がり框用の手すり等 福祉用具がドンドン増えていた。
その時だった。

2018年4月8日の早朝、母の視界から父が消えたと知らせを受けた。家族と近所の方々、そして、自治会を巻き込んで総出で捜した。その大騒動はおさまらず、昼過ぎには捜索願を出した。
父は運が良かった。捜索に協力して下さった地元の消防団員が北の山奥に入り、日が沈む寸前に十数メートル崖下の茂みに座り込んでいる父を見つけてくださった。ガサガサと草木の擦れる音と水色のスエット姿が木々の隙間から微かに見えたと言う。その場所は、昼間、地元の方々も大声で呼び掛けながら通った道だった。父はその時の呼び掛けには何の反応も無かったと言う。耳が遠いので気付かなかったのだろう。
父の生存を聞き数分後には もうすっかり暗くなった。転がり落ちたであろうその場所は、なかなかスグに救助ができない位置らしく、レスキュー隊が出動した。
自治会の方々が川辺で細い枝をかき集め薪をしてくれた。私はそこで暖を取りながら救助され山から下りてくるだろう父を案じながら待っていた。
私はその当時、保育士試験を数日後に控え保育実習理論の移調を勉強していた。不協和音にならないように♯・♭を付けて…独学では、難しいところだった。
人の人生、一度道を間違うと とんでもない人生になってしまう。
世の中に起こっている事件は、心の傾きで移調をしてしまった人達が起こしているのだろうか?
父の人生も自ら移調をしたのかも…。
などと思ったりして、私の思考回路はめちゃくちゃだった。まるさんはアホか?
夫と子供たちは捜索に協力して下さっている方々を気遣い、謝罪して廻っている。その存在が有り難かった。
レスキュー車の照明の中から救助された父の姿が見えた。父は12時間の徘徊後、多くの方々の助けにより無事に戻ってきた。
さっきまで寒かったはずなのに、暖かくて天国だ!と思った。
顔にはすり傷、頭から血が…、すねは破れ、衣類は土埃。
父は、ウリ坊を追いかけて山へ登ったと言う。

数日後、auあんしんGPSを父の杖に取り付けた。

山にはつつじが咲き始め、その事件の1か月後、父は硬膜下血腫を患い手術を受けた。
愛のこもった孫のリハビリを受け、経過は良好だった。
退院後、母の願いで父は居宅介護支援施設に宿泊をすることになった。
だが、手がしびれるなどの気になる症状が見え隠れし受診をしてみると....
再度手術を受けることになった。

今、病室の窓から日暮別邸が見える 。

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日暮別邸