黒豆の煮豆

黒豆の煮豆を頂きました。
割れること無く艷やかな出来栄えです。



「今度、遊びに来て。二人で話をしよや。」
と、誘われていたので、やっとその友人宅へお邪魔しました。



4年ぶりのOB会へ行き、独身のときの仲間5人とおしゃべりをしたのが11/10のことですから、2ヶ月もお待たせしました。



彼女の嘆きを聞いていると、もっと早く機会を作れば良かったと思いました。



話の内容は濃いものでした。
その悩みは、彼女の心の底から込み上げてくる苦しみでした。
詳細は言えませんが、堅実な家庭で大切に育てたお子様のことでした。



彼女は、どんな事が苦しいのか、何を案じているのかを自分の言葉で次々表現しました。
彼女の苦しみが何処まで深いのか私には分かりませんが、
人って、苦しい時ほど助けを求めて癒してもらいたいものです。私はその気持ちは分かります。



私は、ただただ うなずいて2時間ほど話を聞きました。
あなたの苦しみが雪解けのように消えていくことを私は願っていると伝えて帰ってきました。



晩御飯に手作りの煮豆をありがたく頂きました。
豆を食しながら彼女の言葉と自分が発した言葉の数々を咀嚼しました。

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母が育てた花



この花々は、実家の母が育てました。



そして、この画像は2012年の9月から12月のものです。PC.に残っていました。



当時、社会人になったばかりの長女が撮りました。



私がいたらない分、長女は母の「花を見においで」の呼び出しを快く受けていました。



娘は母との距離を縮めて2人の関係(孫と祖母)は良好です。



十数年前のことですが、実家の庭に咲く花々を見ていると、私の胸に刺さったトゲが一つ一つ抜けていくのを感じました。



これほど綺麗な花々を育てるには、手を掛けることをいとわずに、そして、愛おしく思う気持ちを持っているから現わすことができるのでしょう。



自分が生まれた時どんな愛情を受けてどんな育ちをしたのかわかりません。
覚えているのは、
母の優しさに触れ油断すると浴びるようにまたささる…
泣いて泣き叫んで幼少期に一生分の涙を流しました。
ずっとずっと先から母の愛を求めていたことだけは記憶にあります。



「まるちゃん、ごめんねぇ。」
と、この花々を育てた母が言いました。
謝られると…、
あーーー確信犯だな〜って思います。
悪いこととわかっていながら言わざるを得なかった?感情的な発言を止めることができなかった環境や心情を想像します。
それでも謝罪する言葉は嬉しくはありません。
聞きたくなかったよ〜。
周囲に遠慮しない自信満々な母を気丈に通して欲しかったよ。
その言葉は要らなかったよ〜。



娘(長女)は、母に似たところがあり合理的で賢くて気丈です。
その娘が生んだ第一子は、心なしか…いえ何から何まで私に似ています。
祖母に似ている娘は私に似た子どもを大事に育てて素敵な子育てをしています。
先日、無事に第二子が誕生しました。
近いうちに会いにゆきます。

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子どもへの声掛け、言葉の大切さ



県総合科学博物館にて』の記事で、博物館のスタッフの極上対応をご紹介したことがあります。

「僕、優しいね。泣きたい時には泣いてイイんよ。優しい人は強くなるよ。この後、恐竜の子どもは強く生きるから観て帰ってね。」
と。

実は当時(2017年7月)、その対応に感銘を受けました。
子どもへの声掛けには、私なりにいろいろ気遣ってまいりましたが、目からウロコでした。

その数ヶ月後、保育士を目指し勉強をはじめましたが、この感激が一大決心の源と言っても過言ではありません。

子どもとの関わりの中、大人として発する言葉に責任を持ち、これからの時間(余生)、子どもへの声掛けに全力で知恵を絞ろうと思ったのでした。



ところが、
現場は、出る杭は打たれる社会でした。以下は、あくまで個人の一意見として読んでください。


その社会は、保育の“ねらい”と“内容”を統一することが重要視されます。
“郷に入れば郷に従え”と物事を円滑に進めることを大切にしながら、園児との関わりかたに関して、周囲と違う対応や自分の言葉を表現することは至難の業でした。

子どもの心を育む力をココで得よう!
保育士の役割は、愛情たっぷりに育てること!
と考えている私の居場所は、そこにはありませんでした。
とうとう同僚との関係を杞憂し疲れ果てたのでした。



追記しますと、

「子どもを見守る」それは保育士の責務です。
具体的に何を言うのでしょうか?

“登園した時のそのまんまの姿で怪我無く降園すること”が、最も大切だと指導者から教わりました。

その為には、
まず観察して、子どもが何をしているか、危険は無いか。
つまり、危険を察することが重要なのです。

そして、保育士目線で、
監視する、助ける、指導する、指示する…それらの子どもの見守り方は、
保育という社会で、自らを守るためにも必要な力なのです。

私の見解は、狭くて誤っているのかも知れません。
しかし、子どもを理解する為の声掛け以上に、子どもを誘導する為の声掛けが最優先であり重要で有ることを 確かに習ったのでした。




親の立場では、どうでしょうか?
「子どもを見守る」具体的な方法は、また違ってきます。

まず観察して、子どもが何をしているか、何を言っているのかを理解することが重要です❗

評価したり、批判したり、解決策を伝えようとして、頭に浮かんだことをすぐ言葉にしたとします。
つい、「こうするとダメ!」「それしちゃダメ!」「こうしなさい!」と、言いたくなりますが、
子どもの心にどのように響くでしょうか?
解決策を言い連ねても子どもの心は伸びません。
誘導する声掛けが、自らの思いを表現する人に育つと言えるでしょうか?
子どもが幸せになるには、どうしたら良いでしょうか?
そう考えると、
子どもへの声掛けは、指摘では無く誘導でも無く心を育てる為の言葉が大切と思いませんか。



まず、子どもが今、何をしているかしっかり見ることが大切です。
今の子どものそのままを観察すると言うことです。

そして、次に掛ける言葉は、
「あなたは、〇〇したいのね。〇〇と思っているのね。」
と、見た通りのことを言ってみてください。

そのあとは、子どもの顔を見て話を聞きます。そして、また話をつなぎます。
その対応次第で、子どもがどのような成長をするかが決まって来るのです。



今は、孫との遊びの中で、最善の言葉を模索しています。
保育の環境で得た経験や指導者に感謝しておりますが、保育士に未練はありません。
これで良かったのだと思います。

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これからが長い長い道のり…

人生を思い通りに生きている人は少ないでしょう。
何かしら思い通りにならない現実を抱えながら生きているのだと思います。



私は人生の折り返しを明らかに過ぎていますが、これからが最も長い長い道のりになるのかもしれません。



様々な摩擦があり、今を大切にすることは難しいです。
かと言って 自分を取り巻く環境を変えることは、とても怖いです。
その怖さは、経済面であったり、
自分の人生を否定することになりはしないかと。




夫婦や親子の縁、逃げても 逃げようにも 逃げることはできないものです。
カモフラージュしたとしても、逃げ通して目の前に姿が見えなくなったとしても、過去にとらわれて苦しむことになるでしょう。



気心知れた家族でも同じ生活空間に居ると摩擦は生じます。
心を許す関係であれば有るほど甘えが現れ、人の心は激しく揺れ動いて突進してきます。
いつなんどき、その摩擦で平常心を覆されはしないかと不安になるほどです。
穏便がいいし、喧嘩などしたくないし、当たり障りなく生活したいです。



家族の爆発したい気持ちがわかると言えば嘘になりますが、キャパを通り越した何かしらの想いが有るのだと察します。
家族が声を発して苦しさの全てを話すことは無いと思います。
もし、その声を聴いたとしても、自分はそれを受け留める力が有るでしょうか?



人を変えていくのは難しいですし、自分の想いに蓋をして良い人ぶるのも疲れます。



ただ わかることは、
人を否定するとどんどん苦しみの底に沈んでゆくと言うことです。



摩擦から生じる苦しみから逃れるためには、相対する言動に執着することなく、常に今の自分が自分なんだから、自分の思いが現れているのだと自分を受け入れてゆくことが大切かと思います。



「貴方はこうだからそうなるのよ。こうしてください。」
とだけは、言わないように気を付けます。
人を変えようとする発言だけは止めようと思います。



「母さんは、この包丁を自分の胸に刺したいくらい寂しいわ!」
「私は、この道路に飛び出して木っ端微塵に砕け散りたいほど辛いわ!」
と。
そう言ってしまいたいほど孤独の時間があったことを ここに書き記しておきます。



いくら心の内だったとしても、
もっともっと苦しい人の思いを鑑みると…持ってはいけない感情や してはいけない発言でした。
あーーーー、甘ちゃんで浅はかですね。



自分の想いを何処まで相対的に、そして、的確に言語化できるか試練です。



自分の時間を否定することなく、過去にとらわれることなく、人や自分を否定することのない道は、どうしたら良いのでしょうね。



鬼の面に相対しても素敵な時間づくりを心掛けるように致します。幸せの気持ちをお越し続けます❤

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子育てBlog綴っています

私が辿ったこの道を 家族を ただいま回想しています。


子どもと向き合い 子育て語って 考えて
想いを綴ったこのBlog。


このBlogという遺書を思いついた時、
私の想いを子供達に伝えるに当たり、半強制的な表現はしないようにと気を配りました。
こんな生き方をしなさい!なんて言われたら誰だって嫌ですからね。
カテゴリー:“子育て”は、特に、未来に母親となる娘達の為に、父親となる息子達の為に書き残したものです。

カテゴリー:“子育て”は、これまでの年月で得たことや書籍、そして、多くの年長者から学んだことを書いています。


このごろはあまり読んでいなかったのですが、私は子育て本を読むのが大好きです。
30数年前、小学館のめばえコース一式を購入した折りに付いていたハイム・G・ギノットの著書:『親と子の心理学ー躾を考えなおす12章』(小学館)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを多く取り上げています。


その著書の影響を受け、親が子に話すにはどうしたら良いのか?どう言った声掛けが良いのか?親の役目のはたし方を興味深く学習してきました。そして、コミュニケーションを学んで自分らしく生きることを大切にしています。
まだまだ 勝手な解釈もあり 独学です。
習った事を実践し、そのまた親子に伝える。その生き方こそ愛行と思います。

子育て真っ最中の皆さまに 
時空を越えて 何かしら届くと良いなー♬

子育て | まるさんの心日和 (wa-rarara1105.jp)

カテゴリー:子育て❤ 

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お待ちしております。