一本取られた


午後1時、独り住まいのお義母さんから呼び出しを受け、3時の約束より早めに夫の実家へ行きました。

おぉーーーホッホッホッホッホッ
わぁーーーハッハッハッハッハッ
と、高笑いをしたと思ったらブチッと止めて、
「待ったわね。30分で来るってゆったのに〜。何時だと思っとん。」
と、母は不機嫌です。

「あらっ、お義母さん。3時になりますってお伝えしたはずですよ。今日は30分早く来れて良かったと思ったのに…それは1時間以上も待ちましたね〜。喜んで貰おうと思ったのに残念です😥」
と、メーいっぱい可愛く弁明する私です。
(激怒するのは大人げないので、可愛らしく、言うことはちゃんと言わなきゃ!)

だけおぉとる。わっハッハッハッ!電話じゃ〜そうゆう事もあるわね。」
と母。

母に一本取られた感じです。

耳が遠いし、思い違いもあるし、時間が経過すれば内容も変わるし、何でもありぃ〜のお義母さんですが、
待ちくたびれて立腹していたはずなのに、時短で腹を寝かせ譲歩する姿勢に一目置く私です。

用件はズボンの裾丈のお直しでした。

直ちに持ち帰り、補正して、即届けました。

おぉーーーホッホッホッホッホッ
わぁーーーハッハッハッハッハッ
と、喜んでくれました。

千円を差し出す母に「お代は要りません。」と言うと、

「じゃ〜、コレね。」と、CO・OPのヨーグルト6つ入りパックを持たせてくれました。

帰り際、長男宅に立ち寄り孫の顔を見ながら 「良かったら食べて♬」と、さも買ってきたかのように渡して帰りました。

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同伴して思う


2日掛けて母に付き添い母の兄姉の元へお仏壇参りお墓参りに行ってきました。
従兄たちにも数年ぶりに会いましたが、体調の変化で随分身辺が変わっていました。
母が末っ子なので私が一番若いのですが、私の数年後を見ているようで身につまされる思いでした。
今を感謝して大切に日々を過ごしましょう…☆”って、感じました。


お墓参りをしながら、
私と同じものを見ても私ほど心が揺れないようで、母がケロッとしていることが唯一の救いでした。


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私はある経験から…
正直に申し上げますと父親が14歳の私の胸を触ったことで、
興奮を目の当たりにして、惨めだし底に落ちたと思ったし、必死にもがいて生きてきて、最善の心持ちを保つように相当努力してきました。
己の感情くらい己でコントロールする事が幸運の秘訣と知っていますよ。
だけど、苦難でした。
今はその感情の起伏やその時間を無駄にしたくは無いと思っています。


年始にやっとの思いで母に告白しましたが、
「メンドイ子じゃね。まるちゃんは考え過ぎよ。ワタシダラは、直ぐ忘れる。」
と、言います。
母は、私より遥かにノーテンキで、毎夜、沢山睡眠が取れている様子です。


「いつまでも同じ感情を持っていたわけではないのよ。様々に変化して成長してきたよ。」
と、弁明している私です。


私は長年、親と距離をとってきましたが、母は私の葛藤に感心を示しません。
自分の評価と他者とのすれ違いって往々にしてあるけれど、なんだか拍子抜けです。


母が残してくれている“おいたち”を見ていると、冷静に考えると…親の愛を感じます。
明らかに両親の子どもへの愛の表現は間違っていました。
決して優等生の親ではありませんが、精一杯に生きて その行いだったのでしょう。


長いモヤモヤはナンテことは無かったかのように解けていきました。

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案じる

母は眠れているだろうか?
近頃の母は丁寧に説明しても聞き誤ることが多くなった。
様子を見て安心していたけれど、落ち着いていると感じても感情が日によって異なるので違う受け止め方をしないとも言い切れない。

今日こそ母を訪ねようと思っていたが行けなかった。

午前中は、寒さを堪えて予約時間を気にしながら夫と健康診断へ行ってきた。

昼からは、3日連続、1歳の孫ボーイを預かった。
夫が居たので孫をお願いすることも考えたが、孫は今日は特に何をするにも私を求めトイレまでも追ってくる。

孫がドアの前で泣きながら待っている。そこをじぃじに見られ、なお泣きべそをかいている。可愛い〜〜〜。

あっという間に夕刻となってしまった。

この時間からの運転は視界が霞むので自信が無い。

明日も行けない。夫と松山の娘のところへ行くことになっている。

いつだって自信満々の母だから大丈夫なはず。

孫と同じ顔をして泣いていないだろうか?

平常心で過ごしていることを願う。そうであってほしい。

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無くならない思い出



あと1か月で99歳を迎えるはずの伯母が亡くなりました。


19日通夜、20日葬儀が執り行われ、 盛り沢山な思い出と共に故人の旅立つ儀式が無事終わりました。


「母の芋炊き、カブの酢漬け、どれも美味しかった。嫁に来る前から〇〇家で受け継いでいたその味は天下一品だった。母は多才で晩年俳句を詠み、手先の器用さで数々の細やかな作品を残している。息子や弟を早く亡くした哀しみはあるけれど母の人生は結構上々だったのかもしれない。」
と、喪主であるご長男(夫の従兄)の挨拶がありました。


息子に認めてもらっている⋯母親冥利に付きますね。


参列者の中、体が殊の外小さくて立つのもやっとの102歳の伯母さまが「しっかりせ〜言うたでしょう。ワタシより若い貴女が、何故早く逝くんよ」と妹の亡骸に手を合わせる姿が目も当てられませんでした。


その102歳の伯母さまは、涙をぬぐっては気分転換をしようとなさってか?私と目が合うたびに「ありゃ〜、貴女は、いつまでも若いね〜。」と、その場を和ませます。
このたび、幾度も聞いているのですが、初めて褒めてもらった風に「ありがとうございます」と言う私です。


その後も声にならないむせび泣く声が私の耳に深く入ってきます。
大往生だと皆が口を揃えるけれど、遺された人の悲しみは思い出が詰まっている分深いようです。
お骨を拾う違い箸が震えて、竹と木の相性って悪いのかしら〜と振りをする私です。


亡くなっても無くならない⋯この数日を遺しておきたいと思いました。

母との車中


弟に頼まれ今日は私が実母の通院に同伴しました。
眼科と内科(予防接種)へ、そしてホームセンターへ野菜の種を買いに行き、その付き合った時間は5時間でした。



私以上に元気な80歳後半の母は5年ほど前に白内障の手術をしました。
当時その手術で、すっかり見える世界が変わったと聞き、私は安心していました。
ところが、半年前から霞んで見えづらくなり、やっと弟(息子)に連れられ昨日眼科を受診したところレンズが濁っているとのことでレーザー治療をしたそうです。



母は丸い背中を更に小さくして車に乗り込みます。そのたびに
「よいよ、すまんのね。」「よいよ、ごめんよ。」
と、言います。



「謝らないで〜。母さんは悪いことをしていないのだから、そのすまんのねは止めてよ。」
「だから、そのごめんよは言わないでね!」
と、母に何度か言いました。



今さら良い母親にならなくてもいいから、堂々としていてよ。いつだって自信満々だったじゃない。
母さんは、幸せでしょう!?
幸せじゃなきゃ、私は楽にならないのよ。
と、胸の内で思うのです。



いつか辿る道。
私も高齢者となり通院のたび子どもの時間を盗むときがきっと来るわね。
自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ。私は幸せよ!
と、その時が来たら笑顔で堂々としていましょう。
と、心に刻むのでした。

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