花曇り



産業道路ではなく、今日は旧道を通って実家へ行きました。


川沿いや沿道の桜がほころび始めています。


曇天ですが、一面に白い花を咲かせた桜の木、直にほころぶだろう赤い蕾の木など、車窓にポツンポツンと現れて視界を楽しませてくれました。

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アカメガシの塀に囲まれた実家の巨大な桜は、満開でした。

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周囲を見渡すと右の山も左の山も山桜はまだ蕾のようです。

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実家は山と山の谷間にあります。


今日はあいにくの花曇りでしたが、ここは一週間もすればパラダイスになることでしょう。


決して大げさな話ではなく、自然が織り成す美しさに誰もが目を見張ります。



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風通しの良い庭



まるで初夏の陽気です。



私の体は大喜びで、可動域は広くなりました。



気温が低いと体は冷え込みますね‥‥この時の冷えってかなりストレスを受けるものなのですね〜。
(全身打撲の件があり)今回つくづく体感しました。



イチゴ狩りに実母を誘いました。
娘たちが準備をしている間に、私は約束より少し早い時間に実家へお迎えに行きました。
母は畑仕事を済ませシャワーを浴びていました。



庭を散歩しました。
剪定がなされていて風通しが良くなり過ぎです。(笑)
刈り込んだというより これは伐採ですね。
正気の父(施設に居る)が、この様を見ると嘆くかもしれません。
父が拘ってきた庭や諸々を 今は弟が継いでいます。
おかげさまで私の家族は気楽に生活をしております。



「ありがたや〜♬ありがたや〜♬」
と、話さずには いられません。
花々に頬ずりをしたいくらいです。

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瑞々しい若葉



母の日のプレゼントを携えて山奥にある実家へ行きました。



花々が見事に咲いていました。
芍薬、薔薇、そして、ガーベラも明るく美しく咲いていました。 



額紫陽花が咲き誇る準備をしていました。
その若葉が何よりも瑞々しくて詠嘆です。
「あなたは、素晴らしい〜♡❤♡」

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ふるさと

山の谷間

イノシシ除け

実家は山と山の谷間にあります。
イノシシやサルが出没します。柵を壊して畑を荒らすので 母はほとほと困っています。
父に会いに行く水曜日、母を迎えに行くと
昨夜、イノシシは柵の足元を掘り、柵をなぎ倒して乱入し、サツマイモ畑が全滅していたのでした。
「ひ孫が芋ほりを楽しみにしているから 丹精込めて作ったのに....」
と、母は何度も何度も言い 悔しそうです。

そこから10数分車で走ると父が入所する施設があります。
コロナ禍ゆえに直接会うことが叶わなく、タブレットの画面上には、昔ながらの穏やかな父の姿がそこにあって、
母の悔しい話を聞き「そうか~。そうか~。」と、うなずく父。
ケアマネさんに託したキューピー人形を父が嬉しそうに受け取り、
抱きしめたり そのお顔を突っついたり かぶりついたり ズボンに入れようとしたり
母が一夜にして編んだ衣装を着ているかわいいキューピー人形は、身長39cmなので迫力があります。
わお!ズボン破れるよ~~~!
母は、とても上機嫌でした。

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長く生きて!

前回の面会では、表情が乏しく能面のような顔をしていた父。
あんなに無気力だった父が、母のいろいろな差し入れに反応を示した。
父の認知症はもとに戻ることはないだろう。
施設で、たくさんの人と会話をして刺激を受け、その社会に身を置くことが父親にとって最善のことだと実感した。
以前、父の施設入所を母が拒んでいたことがあった。
でも現実、母は毎日を楽しく懸命に生きている。畑を耕したり、カラオケに行ったり、裁縫教室の講師さながら自治会館へ通っている。
これまで子育てや様々なことに貢献してきたのだから、これからは自分のために時間を使ってほしい。

母は、まもなく83歳の誕生日を迎える。
2019年日本人女性の平均寿命は87.45歳だから、まだまだ長生きできる。
平均寿命は年々更新していると聞くし、素敵な環境に居るのだから元気で長生きできるはずだ。

2018年4月の父の徘徊、その騒動以来、弟が単身で母と同居している。
母を交え弟とその家族が毎週食事に誘いあっていると聞く。
数日後に控えている母の誕生祝は、家族水入らずで外食で祝ってくれると言う。
私はイイよ。もう祝ってあげたよ。祝ったといっても特別な事をしたのではない。この秋に良いかなと思い、長袖の薄手パジャマをプレゼントした。
ただただ、父と母が生きている現実を喜んでいる。

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霧の森大福

夕刻、弟が、霧の森大福を持って我が家にやってきた。
すぐ帰ると言うので差しさわりの無い会話を玄関先でしていたら、とどのつまり遺産の話だった。
夫が二度(2000年9月・2014年7月)病気で倒れたことがある。私は、一家の大黒柱が倒れることの大惨事を身をもって経験した。
我が家を小市民と言ったことがあるけれど 貧民と言った方が真実に近い生活だった。
夫の快復から随分と年月が経ったのちであったが、そこを救ってくれたのが実家の両親であった。
“弟の願い” 遺産相続放棄を聞き入れて、お帰り頂いた。
霧の森大福を食べながら、実家が遠くなっていくのを感じた。
こうして、ふるさとになっていくんだなー。

 実家