ふるさと

山の谷間

イノシシ除け

実家は山と山の谷間にあります。
イノシシやサルが出没します。柵を壊して畑を荒らすので 母はほとほと困っています。
父に会いに行く水曜日、母を迎えに行くと
昨夜、イノシシは柵の足元を掘り、柵をなぎ倒して乱入し、サツマイモ畑が全滅していたのでした。
「ひ孫が芋ほりを楽しみにしているから 丹精込めて作ったのに....」
と、母は何度も何度も言い 悔しそうです。

そこから10数分車で走ると父が入所する施設があります。
コロナ禍ゆえに直接会うことが叶わなく、タブレットの画面上には、昔ながらの穏やかな父の姿がそこにあって、
母の悔しい話を聞き「そうか~。そうか~。」と、うなずく父。
ケアマネさんに託したキューピー人形を父が嬉しそうに受け取り、
抱きしめたり そのお顔を突っついたり かぶりついたり ズボンに入れようとしたり
母が一夜にして編んだ衣装を着ているかわいいキューピー人形は、身長39cmなので迫力があります。
わお!ズボン破れるよ~~~!
母は、とても上機嫌でした。

☆    ☆

長く生きて!

前回の面会では、表情が乏しく能面のような顔をしていた父。
あんなに無気力だった父が、母のいろいろな差し入れに反応を示した。
父の認知症はもとに戻ることはないだろう。
施設で、たくさんの人と会話をして刺激を受け、その社会に身を置くことが父親にとって最善のことだと実感した。
以前、父の施設入所を母が拒んでいたことがあった。
でも現実、母は毎日を楽しく懸命に生きている。畑を耕したり、カラオケに行ったり、裁縫教室の講師さながら自治会館へ通っている。
これまで子育てや様々なことに貢献してきたのだから、これからは自分のために時間を使ってほしい。

母は、まもなく83歳の誕生日を迎える。
2019年日本人女性の平均寿命は87.45歳だから、まだまだ長生きできる。
平均寿命は年々更新していると聞くし、素敵な環境に居るのだから元気で長生きできるはずだ。

2018年4月の父の徘徊、その騒動以来、弟が単身で母と同居している。
母を交え弟とその家族が毎週食事に誘いあっていると聞く。
数日後に控えている母の誕生祝は、家族水入らずで外食で祝ってくれると言う。
私はイイよ。もう祝ってあげたよ。祝ったといっても特別な事をしたのではない。この秋に良いかなと思い、長袖の薄手パジャマをプレゼントした。
ただただ、父と母が生きている現実を喜んでいる。

☆    ☆

霧の森大福

夕刻、弟が、霧の森大福を持って我が家にやってきた。
すぐ帰ると言うので差しさわりの無い会話を玄関先でしていたら、とどのつまり遺産の話だった。
夫が二度(2000年9月・2014年7月)病気で倒れたことがある。私は、一家の大黒柱が倒れることの大惨事を身をもって経験した。
我が家を小市民と言ったことがあるけれど 貧民と言った方が真実に近い生活だった。
夫の快復から随分と年月が経ったのちであったが、そこを救ってくれたのが実家の両親であった。
“弟の願い” 遺産相続放棄を聞き入れて、お帰り頂いた。
霧の森大福を食べながら、実家が遠くなっていくのを感じた。
こうして、ふるさとになっていくんだなー。

 実家

心のてんびん

「おっ!来たんか。」
と、車椅子の父は軽快に手をあげた。
母と私は、広い会議室のド真ん中で待っていた。
久しぶりの面会だった。

おそらく、心のてんびんの傾きが、その日の体調を変え、本来の父に会えるかどうかの命運を分けるのだろう。
「さて、私は誰でしょう?」と問いかけると
「こんなべっぴんさんは、そう易々とお目にかかれんぞい。」と、はぐらかす。
で?ワタシは誰かな~~~?
父と向き合い、しばらく談笑して
「あなたのお名前は~~~、あら素敵なお名前ね!」を歌い
ロケットくれよん『とまと』の手遊びをして
三人で『みかんの花咲く丘』を歌った。

母は駐車場で泣いた。ほろほろ泣いた。
「ごめんね。おじいちゃん。。。」
この期に及んで、まだ、そんなことを言ってる。

父は良いケアマネに恵まれて、良い施設に入ることができた。今、その幸運を噛みしめている。
特別養護老人ホームに入所できる条件は、要介護3以上だ。
父は要介護4で、「排泄や入浴などの日常生活全般に全面的な介助が必要」。
唯一、食事だけは介助不要で、お箸を使えるし、出された食事はいつも完食する。
毎日、食事はホカホカで、おやつと、毎週母が事務所に届けているヤクルトもついている。
父は認知症になり、親しい人々を認識する能力を失くしつつある。
でも幸運だ。父は母を肯定する本質を失うこともなく到って優しく穏やかなのだから。
感情と身体面の両方に、ちょっとした手助けが必要で、現在、心のてんびんの傾き加減は緩やかだ。
その手助けが老々介護の母には大変なのだが…。

バラ

2018年4月8日、冬の寒さから徐々に刻のうつろいを感じ 山桜が咲き始めた頃、父の徘徊騒動があった。

 父の徘徊 

この事件の1か月後、父は硬膜下血腫を患い手術を受けた。

その後も 幾度かの入退院を繰り返し、現在に至る。

聖橋から・・・

母と一緒に病室に入ると 父は母のペースに巻き込まれて 誘われるがままに手遊びをして、ウン·ウン·うなづいて、とても穏やかです。


私が一人で会いに行くと「そんなに笑って楽しいか?ワシがココにおるのが嬉しいか?」と、私を睨みながら言います。その後は、何を話しても聞く耳を持ちません。


心のてんびんが、傾いている日ね。
と、自分に言い聞かせ なるべく気にしないようにしますが、
私の気分は下降しています。
もう少し距離を置こう。
うかうか父の前で笑えないわ。
あの目は怖いわ。
頼まれごとを引き受けないようにしよう。
来るとしても、母と一緒がイイわ。
と、胸が苦しくなります。


その一部始終を見ていた看護師が
「見捨てられ妄想かもしれませんよ。」
と、さらりっと なだめてくれました。

ネットで調べてみました。

自分ひとりでてきることがどんどん少なくなってくると、その負い目はどんどん強くなります。さらに 認知症が進行してくると、「自分は家族にとって邪魔な存在なんだ」という思い込みが生じて、「自分はもう必要とされていない」と深い孤独を感じるようになります。 こうした「見捨てられ妄想」を患ってしまうこともあります。
と。


父は、不安なのかな?
その思いを表出できるほど、私に甘えているのかな?

さだまさしさんの『檸檬』
あの檸檬は、自分の夢? 
若かりし頃、あれは、夢を諦めた歌なのねー。と感じたことがあったけれど
父の病室をでた瞬間にその歌詞が脳裏をかすめました。
もう放り投げたい と。私、思ってる・・・
父と向き合うことを諦めた瞬間なのかな?