2004年は台風の日本上陸が異常に多く、風水害が全国各地で相次ぎました。
新居浜市では、5度にわたる台風襲来により、9名の方が亡くなられ、商店街、山肌の地、河川や海岸沿い・・・と、広範囲にわたっての被害でした。
斜面崩壊や地すべりによる家屋崩壊、川流域の鉄橋の流出や河川氾濫による堤防の決壊、多くの世帯において床上、床下浸水に見舞われました。
度重なる台風襲来で、その時期二度の被災をした所も多くあります。
7月末の台風襲来の時、
昼休み、職場の3階の窓から降り続く雨を見ていると、用水路にタイヤを落としこみ傾いている乗用車をみつけました。
その運転席には悲壮な顔をした若い娘さんの姿があり、見る見る水が増していきました。
私は大声で助けを呼び、上司が車窓のガラスを割って救出するまでを固唾を呑んで見守りました。
我が家は?我が子は大丈夫???と、案じて幾度目かの電話コールで、
「大丈夫よ~♪」と、私の電話を喜ぶ子供の声が聞けたときは安心しました。
3時頃、車を小学校に置き、汚水の中を一歩一歩踏み出し下半身が水浸しになりながら数十分掛けて家に帰りました。
我が家は、空気溝の格子の隙間から汚水がタップン~タップン~と床下に少しずつ入っていました。
あと数ミリ水かさが増せば完全に床下浸水でした。
5時頃、サァーっと汚水が引くと浮き草が犬走りにへばりついていました。
その日の洗濯物は山ほどあり、子供の衣服に沢山の浮き草がついていることに気づきました。
なんと、怖さを知らない小学6年生の双子っちは、風雨の中、沸いてくる水田の中で泳いだのだそうです。
何が大丈夫よ!道理であの時の声が嬉しそうだった!
大声で何度も叱り、怒り、呆れるやら生きてて良かったと安堵するやら、今でも思い出すたび手に汗を握ります。
ご覧の通り、我が家は田に囲まれています。辺り一面、稲穂の実りが待ち遠しいこの時期に洪水で沈みました。
消防団員の夫は、大雨洪水警報が発表されてから、見回りとボート、そして、一輪車と砂袋と・・・
体力の限界を感じながら、幾日も被災の酷い家屋の床下泥除き作業や土嚢造りに汗を流しました。
我が家の周辺は、治水装置の未作動により、床上浸水の家が圧倒的に多く、
家屋の修復やゆとりの生活を得るまでに長い月日を要しました。
私は有休を取り、炎天下、高校生たちと一緒に汗を流し ごみの撤去作業や泥除け作業をしました。
土砂を除きたいのに、私のしている事は、ただの移動でしかなくて、情けなく悲しくて・・・
途方にくれて苦しい中、黙々と汗を流して働く人たちの作業ぶりに感化され、力が沸き起こったのを思いだします。
一日も早い災害復旧を願い、住民はもちろんのこと、市職員や高校生の一隊、各地から駆けつけたサラリーマンや災害ボランティア団体が、炎天下、水分補給をしながら復旧作業に取り組みました。
この災害時、全国各地から延べ六万人という膨大な人数のボランティアが参加してくださったと聞いています。
協力してくれた人々の私たちへの思いやりを感じるたび、
『人間はひとりでは生きられない』
と、そんな当たり前のことをあらためて噛み締めます。
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