恰好の時間づくり



小学生の頃、転校生あるあるの これでもかと言わんばかりの理不尽な経験があり、周囲を見る限り自分は嫌われていることを理解していました。
揉め事は起こしません。
バカな勘違いをしません。
迷惑を掛けません。
誰ともつるみません。
どこにも属しません。
人前で泣きません。
だから、私を見ないで。
私に構わないで。
と、思っていました。



成長とともに
周囲の言動など気にも留めず、真っ直ぐ前を向いて我が道を行くスタイルへと変わりました。
一匹狼女子を決め込んで居ました。
しかしながら、
目立ちたく無いと思いながらも、本来が‥通り一遍の挨拶や行いや話しから突出した人間なので何で?どうして?こうすれば?の思いを隠すことができず ささやかな行動は見え隠れしていたと思うのです。



ところがですよ!
還暦を過ぎたこの私に会いたいという同級生がいらっしゃることにびっくりです。
嘗ての私は一見何を考えているか分からないと言われていましたし、一人でいることに全く抵抗のない私に興味を示していたと言うのですから驚きです。



25日に高校の同級生と会うことになりました。
先日の顔ぶれプラス新たな同級生が加わります。



人の誇らしげに語る人生は大いに好きです。
どこまでも聞きますよ。そこに至る想いを知りたいと思います。
それに、
採用!不採用の結果がまだなので心が落ち着きません。
ちょっと時間を持て余していた私には、恰好の時間づくりです。



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恰好の時間づくり」への2件のフィードバック

  1. 心配しないでください。私も子供の頃に同じ経験をしました。しかし、両親の良い指導と地域社会のサポートのおかげで、私はゆっくりと自分に自信を持てるようになりました。

    いいね: 2人

    • それは壮絶な経験ですね。
      逃げることは恥ではなく、最良の手段だと思いますが、逃げてもついてくるのは同じ問題のことが往々にしてあります。
      なので、自分に自信を持つことが解決策だと私も思います。
      人と一緒に社会で生きるとは、人から怒りをぶつけられても、それを傾聴し流して生きることだと思います。
      怒りをぶつけられても、自分を責めなければ、苦しみは続きませんし、流すことができます。
      お互い何らかの存在意義が有ると信じ気持ち良く一緒に過ごすことができるようになると信じて祈るほかありません。

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